そう、今こそ信じよう。
神童を観て、僕も救われた事がたくさんある。
ワオのように、才能や力がなくとも、奇跡を信じる事によって、生まれる力が人間にはある。
ウタのように、不幸や苦しみを耐え抜いてこそ、その先に奇跡のような幸せが待っている事がある。
本当に、たくさんの事を教えてくれる映画だ。
BBSやメールを通じて、「感動しました」「もう一度頑張ってみます」と、僕に勇気をくれた皆様、
本当にありがとうございます。
ピアニストや俳優は、夢を売る職業だと言われる事があるけれど、全然逆。
僕らが皆様から勇気と夢を与えてもらっているのです。
本当に、ありがとう。
「人間は、大いなる復讐のために生きている」
独りじゃ何もできない赤ちゃんの頃、人は皆誰かのお世話になって生きている。
騒いでも、泣き喚いても、大人は赤ちゃんのためなら我慢するし、あやしてくれさえする。
母親のみならずとも、世間の殆どの大人(あかの他人でさえ)は、赤ちゃんの事を優先にして考える。
「みんな、僕のために生きてるんだ」
当然赤ちゃんはそう思い込む。
僕はどんなワガママ言ってもいいんだ。
そう思い込む。
だけど、3~5歳くらい、悲劇は突然訪れる。
コアアイディンティティが確立されてゆくとき、急に周りは冷たくなってくる。
今まではワガママ言ってれば何でもしてくれたのに、その時をもって、急に何もやってくれなくなる。
「自立」という名の洗礼だ。
これが、まだ「裏切り」を知らない純粋な赤ちゃんには、かなりのダメージなのだ。
それは、赤ちゃんにとって、大人からの「大いなる裏切り」。
その時点で、殆どの人間には「大人への復讐心」が芽生えるという。
「よくも、僕を裏切ってくれたな」
それが、人生を生きる人間の、根本であり、誰もが持っている「トラウマ」なのだ。
・・・・。
・・・。
本当にそうなのだろうか?
確かに、理屈としては通っているかもしれないけれど、僕の中にも、そういう復讐心があるのだろうか?
ん~、ない、とも言えないかな?
そうだとしたら、人は本当に悲しい動物だ。
復讐心を原動力に動くなんて。
僕は、憎しみや苦しみ、復讐心などからは何も生まれないと思う。
宗教戦争だって、確かに、僕らが生まれる、いや、キリストが生まれる以前からもうやっていて、
今更停めることなんて出来ないっていうけれど、本当にそうかな?
どうして信じないんだろう。
奇跡をどうして起こそうとしないんだろう。
大人になればなる程、物事を初めから諦めてしまう。
憎しみ合い、恨み合い、そんなところからは何も生まれないと思う。
人はいつかは死んでしまうけれど、それは、よく生きるためだと思いたい。
満員電車の中、大混雑の都会、、、
最近、人々の瞳には生気がなくなって来てる気がする。
確かに、本当にイヤな事があったとき、苦しい事を抱えているとき、人生は辛いよね。
僕だって、子供の頃、コンテストに出されたとき、試験で試されているとき、
ただ、人々の娯楽のために走り続けなくてはいけない「競走馬」のように、自分を感じていた。
走れなくなったら、「ハイ、終わり」って捨てられるのではないかって、いつもビクビクしていた。
でも、いつだったか、やがて訪れる「死」という存在に気付いた。
「死」という限界は、誰のもとにも訪れる。
限界があるからこそ、人は美しいんだ。
終わりがあるからこそ、優しく出来るのではないか。
『バカの壁』の養老先生も、
「死はすぐそこにあるのに、誰もちゃんと見ようとしていないのが日本の現状。これは深刻な問題だ。」
と言っていた。
別に、死ぬ事を恐れて生きなきゃいけないという訳じゃないと思うけれど、
「明日事故で死んでも『あぁ、いい人生だった』『僕は幸せだった』ととっさに思えるかどうか」
それが大切じゃないだろうか。
ベートーヴェンやショパンが生きていた頃は、平均寿命がまだ60歳満たないところだった。
戦争も色々なところ、身近なところで起きていた。
だから、20~25歳も過ぎれば、人生大体半分終わったようなものである。
そんなに早く大切な人々が死んでいくのは、僕には耐えられないけれど、
でも、それだからこそ、早くから「生きる大切さ」を知っていたのかな、とも思う。
でも、どうしたって今の世の中を快適に生きていくために、「優劣」を気にしつつ人は生きてしまう。
誰が誰より上なのか、下なのか・・・。
そんなの下らないって思っている人も、どこかでこの現実に影響されているだろう。
それが現代だ。しょうがない。
時代の流れには逆らえないから。
だけど、僕の尊敬するドクターが言っていた。
「人生は、死ぬ時が勝負。どれだけお金を得ても、地位や名誉を得ても、
最後死ぬ時『幸せだった』って言えなかったら負けだよ」
北野武さんもこんな事を言っていた。
「僕は人生をサウナだと思ってる。中にいるときは苦しいけれど、
我慢して我慢して、ずっと中にいて、イヤになっても苦しくても中で耐えて、それから外に出れたとき、
『あぁ~やっと出れた』って本当に気持ちいいと思う」
うん。
だから、皆、遠い過去に背負ってしまった裏切りの思い出は、リュックのポケットに閉まって、
自分の存在と、生きてきた軌跡を信じて、自分を誉めてあげようじゃないか。
自分が何をしなくてはいけないか、という事じゃないんだ。
別に、競走馬のようにいつも、誰よりも速く走っていなくてはいけないワケじゃないんだ。
あなたが生まれてきた事
それだけに大いなる価値があるのだから。
僕は、そんな思いを音楽に出来たらと思う。
どんなに苦しくても、自殺したいくらい辛くても、
「いいんだよ。自然のままの君を愛してくれる人が、未来に待っているんだから。」
という思いを皆に伝えたい。
自分のレッスンをそっちのけでまで、うたの事を思っていたワオのシューベルト。
先生が眠ってしまうくらい下手だったけれど、僕は、いや、ワオは心を込めて弾いた。
バカみたいかもしれないけど、ダサいかもしれないけど、
「ねぇ、もう一度、愛や勇気の力を信じて、奇跡を起こしてみよう?」
って僕は投げかけたい。
・・・そう、今こそ信じよう。
ワオが、行方が分からなくなった、うたを探し出した奇跡のように、自分を信じよう。
美しい人生を期待したいから。
「信じる」
それだけで、2人は、あの、ピアノの墓場が天国に変わってしまうような、美しい連弾が出来たんだ。
僕らはその事を、忘れてはいけない。
人には理解できないような、美しい奇跡が、僕らの世界には、あるんだ。
そう、今こそ、信じてみよう。







