清塚信也 OFFICIAL BLOG: 2007年11月

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2007.11.29

おーちゃん2

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【この橋ど〜こだ?】

中学3年生の2月11日、僕は一つの夢を叶えた。
それはプロオーケストラと共演する事。
でも、僕にはその3日前から気がかりな事があった。
大好きなおーちゃんが行方不明になってしまったのだ。
散歩中、何かの大きな音に驚いて走っていってしまった。
突発的に走っていったおーちゃんは、
きっと自分でもどこに来てしまったのか分からなくなったのだろう。
3日も帰ってこなかった。
散歩中リーダーを外しても逃げたりしないのに、とても珍しい事だった。
それだけに、僕もすごく心配だった。

2月11日の本番直前、オーケストラとのリハーサル中、母から吉報が入った。
「おーちゃんが見つかったよ」
僕は飛び上がって嬉しがった。
これで何の心配なしに今日の本番が楽しめると思った。
車にぶつかって重傷を負ったけれど、病院で入院して手術をすれば助かるらしい。
しばらくは入院だけど、すぐ帰ってくるから心配しないで、と言われた。
本当に良かった…。
本当に…。

勢いのあるティンパニが4拍分あった後、
落雷の衝撃のように力強くピアノの自由な独奏からこの曲は始まる。
哀愁めいたメロディと、北欧独特のハーモニー。
チェロの響きでさえヒンヤリと冷たく感じるのは流石に大自然ノルウェー生まれの作曲家。
感動的な2楽章と民族舞踏のような3楽章が終わりに近づくと、
僕の「夢」は成功という二文字に向かって突き進んだ。
最期はオーケストラと一体になる。
全てが一つになり、音が重なり合い、音楽は洪水のようにあふれ出てくる。
ここまで来れば、もう心配ない。
後は流れに身を任せ、この音楽の海原に気持ちよく浮いていればいい。
おーちゃんが生きていてくれて本当に良かった。
3日も帰ってこないんだから、本当に死んでしまったかと思った。
でも、また会えるんだ。
また、今日の日のこの感動をおーちゃんに伝えられる。
そう思うと自然に涙がこぼれてきた。

…本当に、良かった。

初めてのオーケストラ共演は、大成功の内に終わった。
僕の人生の中でもあれほど気持ちよく弾けた経験はそうはない。
未だに感触が昨日のように残っているくらいだ。
イギリスの事務所からオファーも来た。
楽屋には行列が出来た。
「僕は、ピアニストになれたのかな」
そう思えた瞬間だった。
初めてそう思えた。

それから、僕の調子が上がった。
数々のコンサートを成功させ、コンクールも獲り、順調に進んでいった。
怖いものなしの中学3年生だった。
桐朋学園の高校入試があったが、何とも思わなかった。
何の不安もなかった。

そして僕は高校生になった。
やっと音楽だけを考えていられる環境が整った。
全ては上手くいっていたはずだった。
ただ一つの事を除いては。
おーちゃんがまだ入院していた。
半年もたったのに、まだ帰ってこなかった。
僕は毎日のように母に尋ねた。
「おーちゃんはどこにいるの?」
しかし、母の返事は決まっていた。
「もうすぐ帰るよ。」
それを言う時の母の表情はいつも暗かったのを今でも鮮明に覚えている…

つづく

2007.11.28

おーちゃん

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【秋の景色です】


あれは僕が中学3年生の頃だった…。

中学2年生の頃から僕には大好きな愛犬がいて、名前はおーちゃんと言った。
小学生の頃からろくに学校生活を送っていなかった僕には、唯一の親友でもあった。
ピアノという孤独な世界に生きていた事もあってか、僕にはとても心強い親友だった。
何でも聞いてくれる、いつでも一緒にいてくれる、信頼し合ったいい関係だったと思う。
コンクールやレッスンなど、緊張を要するような時はいつでも話し相手になってくれた。

小学5年生の頃から、僕の人生でコンクールを受けない年はなかった。
中学に上がると段々とコンクールのレベルも上がってきて、音楽を楽しめなくなってきた。
周りは僕の音楽に「感動」ではなく「勝利」を要求してくる。
僕は音楽を愛していたから、その現実はあまりに残酷だった。
だから、おーちゃんの存在は大きかった。
まだ現実と社会を受け入れられない僕には、親友は必要不可欠な存在だったのだ。

やがて、僕は幾多もの争いから「勝利」を生み、段々と現実的な社会に染まっていった。
でも、いつでも勝利の後にはおーちゃんに話しかけていた。
それが自分を保つための儀式だったのかもしれない。
でも、気がつくと、僕はプロのオーケストラと共演出来るようにまでになっていた。
それが中学3年生の時である。
「やっと一つの夢がかなった」
オーケストラとの共演をいつものようにおーちゃんに報告した。
おーちゃんは相変わらず、キラキラした瞳で僕の話を聞いてくれた。
「僕、絶対頑張って今回の公演成功させるからな」
自分への決意とも言える事を言ったりしてみる。
おーちゃんのそぶりが本当に言葉を理解しているようで、愛らしかった。

そんな支えのある中、僕は忘れもしない、あの中学3年生の時の2月11日のオーケストラ
との共演を果たす事となった。
グリーグのピアノ協奏曲。
情熱的な曲で、ノルウェー生まれのグリーグの独特なハーモニーと、北欧を感じさせる哀的
なメロディが特徴的だ。
やっとオクターブが届くようになってから1年の僕には少し大変なところもあったけれど、
頑張って弾き込んだ。
そして、遂に人生初めてのオーケストラとの共演の日が来たのだった。
建国記念日。
2月11日。
その頃おーちゃんの身には…

つづく

2007.11.24

DIARY

昨日は千葉の伊藤楽器さんに行ってきました。
新店舗オープン記念コンサートで、1週間くらい前にオープンしたほやほやの場所でした。
お客様も沢山来て頂いて、とても楽しい時間が過ごせましたね。^^
「今日はブログ更新されないのですか?」
楽しみにしています、と仰ってくれた方もいらして、とても嬉しかったですよ!
前にぴくとあっぷでケンイチとも話しましたが、
人の信頼とは、「失えるもの」の一つです。
この世で一番美しいものでもあり、一番不安定なものでもあります。
だから、人との出逢いを大切にするからこそ、僕は出逢いが怖くもあります。

「また一つ失うものが増えてしまった…」

まったく、贅沢な悩みですが、でも、一度得た友情や愛を失うという事は、
本当に辛い事ですよね。
でも、僕は勇気を出してこれからも大切な皆様とともに音楽の力をもって幸せを広めてゆき
たいと思っております。

寒くなると、寒かった時の深い思い出が蘇ります。

そう、あれは高校生の時…
なんて、今日も感傷的な僕なのでした。

2007.11.17

近況報告

25歳の初めてのお仕事は国際フォーラムでのワーナーコンベンションでした。
ワーナーの誇るミュージシャン達も集まって、
コブクロさんや絢香さん、新垣結衣さんからウルフルズさんまで、
流石ワーナー、幅広い層のミュージシャンでいっぱいでした。
外国からも沢山呼んでいて、そんな中1人クラシック代表として弾いてきました。

なんたる光栄!

この時のために頑張っていたんだ。
舞台に上がる直前にそういう思いが立ちこめてきて、涙が出そうになりました。
ワーナーのチームともすごく上手くいっています。
我がレイヴンジャムファクトリーとの相性もバッチシ!
この調子でCDも沢山の方々に聴いてもらえるといいなぁ。^^

近況報告でした!

2007.11.14

感謝。

僕の尊敬するドクター曰くは、
「25歳から人生は始まる」そうです。
そうだとしたら、今日から僕の人生は始まります。
もう時間が0時をまわったので昨日となりましたが…。

どうも、
しゃべりすぎていつも「ではそろそろ…」とインタビュアーにしめさせてしまう僕です。

新たに始まった人生一発目の仕事は国際フォーラムでのリハーサルです。
ワーナーミュージックのお祭りがあります。
国際フォーラムで弾くのは初めてですが、今からとても興奮しています。
頑張りますよー!^^


僕の誕生日会にお集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました。
金沢や京都、その他遠くからはるばる来て頂きまして、誠に恐縮しています。
親友のヴァイオリニスト吉田翔平君や、俳優の渡邉邦門君も駆けつけてくれて、
本当に幸せでした。

心から、ありがとう、です。

みんなに深い深い愛を。
おやすみなさい。
甘い夢を…zzz

2007.11.11

Love is ...

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【事務所の社長割田さんが撮ってくれた写真です】


愛とは何だろう。
いや、言葉で表そうとする事自体がおかしい事かもしれない。

バイクに乗ってもだめで
ドライブしてもだめで
ジムで汗を流してもムダ
犬と会話しても解決せず
親友に相談したってだめだ

何をしたって
暗くして眠る時に僕の頭の中をそれが駆けめぐる
心をかきむしるように胸の中を駆け回る

こんなに辛い目に遭っても
こんなに心をかき乱されても
それでも忘れられない
「どうして僕をこんな気持ちにさせるんだ」
いつもそうやって愛の事を呪っている

でもいつだって自分からだってやめられるのに
どうしてもやめられない

あの時代も
その時代も
いつだって僕の傍に愛があった
どんなに苦しい時でも
どんなに余裕がない時でも
何かを愛してここまで生きてきた

いつだって一緒だった

この「愛の呪い」から解けるには一つだけ方法がある

    
   「君が好き」
           
         そう呪文を唱える事だ

2007.11.10

雨の土曜日に思う事

ワーナーから出ている「ぐっすり眠れるクラシック」というCDがとても素晴らしいものでした
選曲も、録音も、とても素敵。
こんなCDをいつかプロデュースしたいな!と思っていたのに、先を越されました…。

今日東京は雨の土曜日でしたね。

僕は子供の頃は土曜日にいつも音楽教室に通っていました。
音楽の塾みたいなものです。
片道2時間かけて通っていましたが、帰りの電車がいつもこんでて大変でした。
でも、今となっては「良い思い出」です。
今振り返ってみると、その時大変だった事の方が、より印象強く心に残っていて、
良い思い出と変わっていきます。
その時嫌で大変でも、月日が経過すると、一生懸命やった事は良い思い出になるんですね。
もちろん、ならないくらい辛い出来事もあるけれど…。

やっぱり、歩みは止めない方がいいな。
未来の自分のためにも。

2007.11.07

知ること

「知る」という事はとても怖い事です。
情報というものは、音楽と一緒で、「出逢い方」が大切です。
ただ単に情報を得るのではなく、良い形で情報を手にする事が重要です。
音楽だって、綺麗なコンサートホールで聴くのと、会議室みたいなところで聴くのとでは、
同じ音楽だとしても、まったく違うように聞こえるでしょう。
そう、音楽も情報も、出逢うシチュエーションや環境が大切です。

だから僕は、人から「これいいよ」と気軽に勧められるのがあまり好きではない。
そして、自分自身でも「これいいよ」と人に勧めるのが好きではない。

僕が本当に良い音楽と出逢ったとき、涙が止まらない程素敵な映画に出逢ったとき、
大切な家族、大切な友人にそれを心から勧めたい。
でも、僕が気軽に勧める事によって、彼らはそれらの芸術と「出逢う」事が出来なくなる。
これは、僕がいつも抱えている大いなるジレンマなのです。

ただその音楽を聴けば良いというものではない。
ただその映画を観れば良いというものではない。

僕らは、
それらの芸術と運命的な出逢いをする事によって、初めて本当の感動を味わう事が出来る。
だから、僕は、本当に素敵な美しい芸術と出逢った時、勧めたい気持ちを抑えて、
ただただそれが彼らと運命的に出逢える事を祈るばかりなのです。
もどかしい。
僕の中には本当に沢山の芸術が眠っているのに、それを彼らに伝える事が出来ない。
あなたにも伝える事が出来ない。

だから、頑張って出逢いを探して下さい。
クリック一つで多くの情報が手に入る今、
運命的な出逢いを探すという事を僕たちは忘れかけていると思います。
便利という裏にはいつも何かが失われているのではないのでしょうか。

でも、そんなリスクを冒してでも、勧めなくてはいけない時もあるのでしょうか。

ここまで僕が「勧める」という事の重大さを語れば、大丈夫でしょうか。
それには勇気がいります。
この事については、もう少し、考えてみることにしましょう。

2007.11.04

孤独という名のワイン

孤独を楽しむという事。
それは僕ら人間にとってとても贅沢な事だ。
人間にとって指折りに大切なものを、
敢えて抑えつけてやっと手に入れる事が出来るからだ。
だから孤独は、お金や時間と一緒で、使い方を間違えたら大変な事になる。
二度と手に入らないものを失ってしまう可能性がある。
それは、
健康という財産を支払ってまで手に入れようとする酒やタバコにも似ているかもしれない。

それでも、僕ら人間は孤独を愛し続けて生きている…。

当然、僕にも孤独が必要だ。
独りの時間に得る事も多い。
しかし、どうしてリスクのある「孤独」を、人々は愛するのだろうか?
その理由の一つには、自分を偽っていなくてはいけないという、
人間の社会的な生活スタイルが関係あるのではないか。

多かれ少なかれ、人間は自分を偽って生きている。
それをマナーと呼んだり、エチケットと呼ぶことさえある。
社会性や協調性は、僕ら人間が快適に生活するためにとても重要な事である。
それは何としても守らなくてはいけない。
それが無くなれば、僕ら人間は生きる事自体が極端に心地悪くなるだろう。

その社会性や協調性を守るための原動力として、「孤独」があると思う。

だから孤独は必要だと思う。
だけど、それを楽しむという事に、大きなリスクがある事を忘れてはいけない。
社会性や協調性と同じように、いや、それ以上にかもしれない、
「信頼」というものは大切なのだ。

クリック一つで情報が山のように手に入る今、
僕らはリアルなものの大切さを忘れ始めている。
信頼や友情、愛情など、当たり前だとされていた人間性の価値が段々薄れている。
いや、価値は上がっているのだ。
ただ、僕らにとっての価値観が薄れてきているだけだ。

いつから「感情論」を否定する時代が始まったのだろうか。
論理は正当な感情を肯定するためにあるのではないのだろうか。

「理性」というものを盾にして感情を抑えつけるのではなくて、
今一度、本当に大切なものは、人間性なんだと、僕は強く思いたい。

孤独は、「孤独とは人間にとって贅沢なものだね」と語り合う仲間がいてこそ、
価値があるものだという事を忘れてはいけない。

2007.11.02

一匹の猫

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【先日(10月30日)の横浜市立中丸小学校でのコンサートの様子です。子供は歩く未来。大好きです】


「そういえば、あの日の夜もこんな雨が降っていた。」

たまに転がり込んできた夜のフリータイムに「散歩」を選んだ僕に、
高校生の頃に降ったような霧雨が降り注いだ。
仕事がある時は「衣装が濡れないか」「手が冷えないか」なんて心配事ばかりを運んでくる
雨だけど、解放された心を持っている時の雨は「命の恵み」だ。

久しぶりの雨を感じて、僕は高校生の頃の思い出を思い出した。

後輩が真夜中に深夜バスで上京してきて、まだここら辺の地理間がないらしく、
僕に電話してきた。
電話によると、どうやら僕の家から自転車で1時間くらいのところに降りたらしい。
彼の家は僕の家から近かったので、同じく自転車で1時間くらいなのだけれど、
彼は今バスで来たんだから、歩かなくてはいけない。
上京したばかりの学生がタクシーで帰るわけにもいかない。
一応僕は電話で道を説明したのだが、電話を切ってからやっぱり放っておけなくなった。
結局1時間かけて迎えにゆき、帰りは自転車を引いて帰ってくる事にした。

僕「おう、夜遅くに大変だったね。」
後輩「ありがとうございます。」
僕「じゃ、行こうか。」
後輩「…はい。笑」
僕「…うん。笑」

男二人、仲良く歩き出した。
これが女の子なら良かったのになぁ、とか色々冗談を言いつつ、
高校野球の話したり、音楽の話したり、他愛のない時間を過ごしながら歩いた。
1時間も歩くと流石に飽きてきて、二人ともしゃべらなくなった。
疲れると、考えにユーモアが無くなってくる。
更に、眠気も出てきて機嫌も悪くなる。
そうなると、先輩としては「説教」しかしなくなる。笑
「あのな、この音楽って世界はさ…」
自分でも嫌気がさす。
言いたくもない説教がよくも口から漏れてくるものだ。
でも、後輩は意外と楽しそうだった。
色々な言葉に色々な反応をしめした。
そうなると、いよいよ僕の話はヒートアップして、最終的には「感情論」になる。
「いくら音楽が出来ても、まずは人間的に大家にならないとだめだぞ」
誰でも言えるような事を恥ずかし下もなくいばりばがら言う僕は自分で笑ってしまった。

気付くと1時間半も歩いていた。
そろそろ後輩の家に着く。
後10分くらいだろうか。
…と、真夜中3時の道路中央に異物が。
近づいてみると、どうやら「猫」らしい。
動けないところを見ると、事故に遭ったみたいだ。
僕らの疲れはピークだったし、眠気もあったから、一度は通り過ぎた。
二人とも可哀想な猫を見ていたので、なんとなく変な雰囲気になった。

僕「なぁ、やっぱり、だめだよなぁ…」
後輩「…はい。」

くるっと振り返って自転車を置いて、猫が横たわっていたところに戻っていった。
間近で見ると、見るに耐えない姿が目に飛び込んできた。

僕「これは酷いな。」
後輩「…はい。」

猫は、どうりで動けないわけである。
頭意外は原型がなくなっていた。
でも、強く最期まで生きようとしていた。
動くはずもない足を動かそうと必死にもがいていた。
流石にさわる事にためらいを持っていて、僕たちは男下もなくただ立ちつくしていた。
少しずつ、本当に少しずつ猫は動いていった。
このままでは道路のど真ん中でまた引かれてしまう。
それをわかっているのだろうか。
歩道に出ようと必死だった。
それが解ったので、勇気を出して僕と後輩は首根っこを摑んで歩道へと猫を退避させた。
歩道まで来ると、一旦猫は気を失ったかのように動かなくなった。
「死んじゃったかな…」
クールを装ったが、僕は胸の内を掻きむしられたような感覚を覚えた。

すると、そこに非情な雨が…。

雨は霧雨になって僕たちの悲しみに拍車をかけ、苦しんでいる猫には孤独をもたらした。
雨の冷たさを感じると、猫はまた必死で動き出した。
行き先を見ると、トラックの下だった。
僕は涙が溢れるのを抑えられなかった。
かわいそうだからというより、この猫の「生きよう」という力に感動したのだ。
猫は自分が死ぬ事を知っているのだろうか。
もう助からないと悟っているのであろうか。

猫の頑張っている姿に背中を押されて、僕は近くのコンビニに飛び込んだ。
「すみません、電話を貸していただけませんか。猫が死にそうなのです。」
自転車で真夜中に後輩を迎えに行くだけだったので、僕はお金を持っていなかった。
その事を言うと、店員はすごく煙たそうな顔をした。
「だめだよ。ここの電話は。」
あまりに冷たくあしらわれ、僕は諦めた。
なので、あと10分くらいの後輩の家に自転車で行って、急いで小銭を持ってきた。
そして、電話帳で24時間やっているという動物病院に電話した。
すると、どこの病院からも、僕らが高校生でお金を払えなさそうという事で断られた。
結局、全てのアイディアが失敗に終わり、僕らは再び猫のもとにもどってきた。

…まだ息はある。

トラックの下で、雨をよけながら最期まで必死に生きようとしている。
「ごめんな、ごめんな。僕はいつも必死でピアノを練習してるんだ。
 後輩だって、必死にヴァイオリンを練習しているんだ。
 だけど、今お前を助ける事が出来ない。…無力だよ。情けないよ。本当にごめんな。」

霧雨に降られてずぶ濡れになっている事も忘れて、猫の前で男二人落胆していた。
すると、パトカーが通った。
僕は迷わずパトカーを止めた。
そして全てを話した。
年配のお巡りさんはとても親切に話を聞いてくれた。
あの夜の、唯一の救いだったかもしれない。

「この猫は明日保健所に引き取って貰うから、君たちは心配しないで寝なさい。」

明日まで生きられるとは思えないが、その言葉に僕らはやっと救われた。
でも、パトカーについて行って、交番まで見届けた。
最後にもう一度「ごめんな」と言った。

…何がごめんなんだろう。
僕みたいな奴を偽善者というのだろうか。
自分を責めればそりゃ簡単だ。楽だ。
でも、救えなかった。
それは事実だし、悲しいのも事実だ。

僕と後輩はただ一晩中黙り込んだ。

あれから随分時間がたったな。
でも、思い出すと昨日のようだ。
あの猫、あれからどれだけ生きたのだろうか。
そういえば、あの時、霧雨はいつ止んだのだろう。
いつしか晴れていたっけ…。

そんな事を霧雨がきっかけになって思い出していると、散歩も長引いてしまった。
あの時助けられなかった猫を、僕はいつまでも忘れない。
あの生命力を忘れない。
諦めるという事は、全て間違いだ。
そう学んだ。

あの時の後輩は今ドイツへ留学に行っている。
人生は色々だ。
本当に沢山の出会いと別れがある。
ただ、過去も未来も、人は愛しい。
僕も、あの猫のように、最期まで頑張れるかな。


  私が歌う訳は一匹の子猫
  ずぶ濡れで死んでゆく
  一匹の子猫

三善晃さんの合唱曲の歌詞にこんなのがあった。
あの一件の直後、この歌を高校の合唱コンクールで歌った。
奇遇だろうか、それとも、何かの運命だったのだろうか…。


    …あの夜も、今日のような霧雨だった。
    恵みの雨は、生命の美しさを、そして儚さを芸術的に飾り立てる。
         そんな霧雨が、僕は好きだ。

2007.11.01

NAOTO兄さん

「前は8人しかお客様がいないコンサートもありました…」

のだめでご一緒したNAOTOさんは、昨日の国際フォーラムでのご自身のライヴで、
素敵な笑顔を浮かべて、優しい瞳の奥にに懐かしさを秘めながら仰っていました。
とても素敵なコンサートでした。
クラシックで培った気品と数々のライブで培ったノリが融合していて、
なんとも格好いいライブでした。

「ヴァイオリンを野球選手やサッカー選手のように子供達が憧れるものにしたい」

そうも仰っていました。
すごく共感したし、勇気も貰いました。
近々NAOTOさんともご一緒出来る事があると思います。
その時、一体どんな音楽が出来るのでしょうか?
とても楽しみです。
これからは孤独な舞台だけでなく、誰かと共有出来る舞台も楽しみたいなと思います。
楽しみにしておいて下さいね。^^