清塚信也 OFFICIAL BLOG: 2008年01月

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2008.01.31

アイスクリーム3

乗り換えの途中、「お腹空いたなぁ」と呟きながらふと横を見ると、売店があった。
「ぐぅ」と、絶妙なタイミングで腹時計が鳴る。
僕は本能的に食べ物に見入ってしまった。
どれくらいそれを欲しそうに見ていたら、赤の他人がそんな親切をしてくれるのだろう?
すぐ後ろに立っていたロシア人のお婆ちゃんが、僕にアイスクリームを買ってくれたのだ。
何やらロシア語でしゃべっているのだが、全く解らない。
でも、僕にはそれが「優しい言葉」だという事だけは解った。
両手が荷物で塞がっていて、僕はお婆ちゃんが買ってくれたアイスを受け取れなかったが、お婆ちゃんはアイスを袋ごと強引に僕の鞄に入れた。
僕はお金を盗られていないか心配になって、すぐに鞄を確認した。
…お金は無事だった。
しかし、そうこうしている内に、また1本電車を見送ってしまった。
お婆ちゃんはその電車に乗って行ってしまったので、ろくにお礼も言えなかった。
「悪い事したなぁ。でも、親切な人もいるものだ」
と、僕は改めて人の温かさを知ったのだった。

僕が乗り換えに手こずっている間に、辺りはすっかり暗くなっていた。
USドルに両替した入学金と、血液検査の結果を、何とかモスクワ音楽院に持って行けたのはいいが、その夜泊まる所をまだ手配していない。
モスクワの夜は、閉め出されたら終わりだ。
僕は、面倒臭がる音楽院のスタッフを何とか説得して、急いでその日泊まる所を紹介してもらった。
紹介してくれたのは、どうやら音楽院の「寮」らしい。
噂では寮は酷いところだと聞いていたので、ちょっと不安だったが、こうなったらもう何も怖くない。
屋根があって風が凌げるだけでも充分だ。
僕はすぐに紹介された寮に向かった。
白タク(お金の要るヒッチハイクのようなもの)で随分安く値切ることに成功したが、酒瓶を片手に運転していた事は、苦笑するしかなかった。
かくて寮に無事たどり着いた頃には、モスクワに夜が訪れていた。

悪臭とゴミにまみれた寮だったが、それでも僕は、ここまで辿り着けたという達成感を覚えていた。
「強くなったな」
と鼻で笑いながら、何とか自尊心を保ってみる。
元々が「苦しい体験」をしたくて日本を飛び出てきたのである。
辛いと感じながらも、僕はどこかで満足感を感じていたのかもしれない。
やがて、寮母さんが僕の部屋に案内してくれた。
そこは冷蔵庫みたいな寒さだった。
管理人の寮母さんは、全く外国語が解らなかった。
僕が言う英語もまったく通じない。
何やら、怒っているようにロシア語を機関銃のように喋ってから部屋を出て行ったが、僕はもうバカにされるのも問題を起こすのも懲り懲りだったので、笑顔で「ダーダー」と言っていた。
ダーとはロシア語でYESという意味である。
しかし、後々知った事だが、その時寮母さんは僕に大切な説明をしてくれていた。
「新しく入った人は必ず地下に毛布を取りに行って下さい」と言っていたのである。
そんな事を知らなかった僕は、冷蔵庫のように冷えている部屋で自分のコートを布団代わりに寝るハメになった。
そんな寒さで眠れる訳もなく、ウロウロと部屋を歩き回ってみる。
すると、窓に小さな穴が空いている事に気がついた。
しかも、その穴から少しずつヒビが入っていて、目張りするには難しかった。
「この穴のせいでこんなに寒いんだ。おかげで部屋の中で遭難しそうだぞ!」
僕は穴をじっと睨んでやった。
「上等だ。僕はこんな事では負けないからな」
そんな勇ましい言葉を吐いて自分のテンションを維持させる。
しかし、寒いものは寒いので、僕は何か動く事をしようと思った。
暫く辺りを見回してみる。
体を動かす物…。
…そうだ、ピアノだ。
その部屋にはおもちゃの箱かと思うほどきゃしゃなアップライトが置いてあった。
恐る恐るその蓋を開けて、指を鍵盤に落としてみる。
「ド、レ、ミ、ソ…」
「え?」
今確かに音階が一つ抜けていた。
ドレミの次は当然ファだ。
なのに、確かに「ソ」と音が出た。
僕は絶望感に取り憑かれた。
全て鍵盤をたたいて見ると、半分くらいしか音が出なかった。
「こんなものがピアノと呼べるか!」
僕はピアノのお腹を蹴ろうとしたが、壊れそうなのでやめた。
「でも、僕が求めていたものに限りなく近い状態じゃないか」
修行がしたくて出てきたんだから、これくらいでキレてはいけない。
僕は、仕方なく、想像の中で音を鳴らしてみた。
 ここはソがなっているけど、本当はファ。
 ここの音は叩いても出ないけど、本当はラ。
そんな風に自分の頭の中で音をならしてみると、面白いようにイメージが広がった。
それは、誰の曲でもない、何の取り柄もない即興演奏だったが、疲れ切った僕の心を「回復」してくれる行為だった。

  「今だけは寒さを忘れさせてくれ」

そんな事を願いながらピアノに向かっていると、ショパンやラフマニノフの思いが伝わってくるようで感動的だった。
やがて、瞑っていた目から自然と涙がこぼれて来た。
その涙がとても温かかった。
とても、心地よかった。
そしてその時、僕はこの旅の真の目的を悟った。
「涙するための旅だ」と。

つづく

2008.01.30

アイスクリーム2

始めて降り立ったロシアの首都モスクワ。
その二日目に僕は散々な思いをさせられていた。
9月だと言うのに東京の真冬並みの寒さ。
元はと言えば、僕の計画性の無さがいけないだけなのだが、それにしても、東京の秋に着るくらいの防寒具しか持ってきていなかったのは、ロシアの寒さを侮り過ぎていた。
そのくせ荷物の重さは空港で量ったら70キロはあった。
加えて、僕には地図もなければ、ロシア語の理解力もゼロ。
「何を要らない物ばかり持ってきたのだか…」
僕はそんな事を呟きながら、キャリーバックの動きを妨げる石畳を睨んでいた。
やっとの思いで辿り着いたモスクワ音楽院では、銀行に行けだの、病院にいって注射して来いだのとたらい回しにあって、その日泊まる所の予約さえも出来ていない状態だった。
僕は、泣きたい程の不安と怒りを何とか勇気に変えつつ、言われたとおり、銀行で学費の全てをUSドルに替えて、その後病院で血液検査の注射もした。
そして、
それら全てが終わった後、モスクワ音楽院へ帰る途中に、絶望的な空腹感に見舞われた。
考えてみれば、この丸2日間、何の食料も口にしていなかった。
しかし、今は大金を持っているし、相変わらず70キロ以上の荷物を持ち歩いている。
落ち着くまでは食べる事なんて到底無理だ。
第一、ここは日本とは違うのだ。
油断すればすぐに荷物やお金は掏られてしまう。
このお金が無くなったら、全て台無しだ。
何のためにこんな思いまでしてここまで来たのか分からない。
かくて、僕は食べることをもう少しだけ我慢する事にした。

僕は蜘蛛の巣のように張り巡らされているモスクワの地下鉄を、路線図の位置関係と野生の感覚だけを頼りに乗り換えをしていた。
モスクワの地下鉄は時間によっては凄く混んでいる。
そして、みんな僕より背が圧倒的に高い。
そうでなくても「東洋人」という事で注目されていた僕だったが、70キロの荷物と挙動不審な動きによって、地下鉄の大スターになっていた。
露骨にクスクスと笑われているのが分かり、精神的にも疲労感がたっぷりだ。
そんな中の乗り換えは、僕にとって容易な事ではなかった。
混み合っている車内に僕が荷物を持って入ろうとすると、もの凄く嫌な目で見られる。
時には押し出されて転びそうになったりもした。
ロシア語が解らなくても、悪そうなお兄さんが「次に乗れよ」と吐き捨てているのが解た。
もう、そんな事で、僕は2本も乗り換えの電車を見送っている。
空腹も眠気も疲労も限界に近かった。

つづく

2008.01.28

アイスクリーム1

「北海道産の牛乳をたっぷり使ったアイスクリームは如何でしょうか」
ワゴンサービスのお姉さんが僕の車両にまわって来た。
ただでさえ寝付きの悪い僕は、せっかくウトウトしていたのにその声で起こされてしまった。
「まだ全然着かないじゃないか」
午前11時過ぎを指している腕時計と13時着と書かれている切符を見比べて、僕は深いため息を一つ吐いた。
そして、また眠りに付こうと努力した。
寝不足は指と脳を鈍らせる。
指と脳をフル活用しなくてはならない「ピアニスト」という職業の僕には、寝不足は天敵だ。
無理矢理でも睡眠を取らなくてはいけない。
しかし、一度起きてしまったら中々寝付けないのが僕だ。
眠れないのがもどかしくて、もぞもぞと座席の中を動き回る。
…動けば動くほど頭が冴えてくるのが分かる。
そうこうしている内に、完全に目が覚めてしまった。
「やばいな」
そんな事を呟きながらもう一度深いため息を吐いた。
しょうがなく、一旦寝るのは諦めて窓の外の景色を見てみる。

    白銀の世界が広がっていた。

僕の乗っている「北見発」「旭川着」の電車は丁度山間を走っていて、辺りに見えるのは「山と雪だけで構成された景色」だった。
これでもかと光を放つ1月の太陽の輝き。
それが一面に広がる雪に反射して、目の奥がくすぐったいような明るさだった。
僕は暫くその景色を堪能していた。
東京では絶対に見られない光景だろう。
こんな景色をいつも見ながら育ったら、僕も全く違う人間になっていたに違いない。
いや、でも、いつものように見ていたらうんざりするくらいにしか思えなくなるのかもしれないな。
そんな事を考えていると、ワゴンサービスのお姉さんが、やっと僕の席のすぐ後ろまで辿り着こうとしていた。
「北海道産のアイスクリームは如何でしょうか」
案外アイスクリームは人気があるらしい。
でも、僕は甘いものがあまり得意ではない。
普段なら「アイスクリーム」と聞いた時点でもう興味がなくなる。
アイスクリームは、甘いものの中ではまだ食べられる方だが、外でわざわざ買って食べようと思うほどではない。
しかし、その時ばかりは耳にとまってしまった。
「雪国とアイスクリーム」
その響きが僕に18歳の頃のモスクワ留学を思い出させたのだ…

つづく

2008.01.26

美しい呪い

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【愛の図】


「一緒に来てくれないか」
という答えに一瞬ついて行こうと思った。
でも、すぐに向こうから断ってきた。
「やっぱりだめだ。お前は俺だけのものじゃない。
 お前はご両親のものだ。親友のものだ。未来の夫のものだ。
 だから、ここで俺が独り占めしてはいけない。
 ちょっと妬くけどな…。
 将来、お前が幸せな生活を送りすぎてて、幸せと平凡の差が何か解らなくなった時に
 少しだけ俺の事を思い出してくれよな。
 遠いところでも、いつまでも、お前の事を想ってるぜ。」

僕にもこんな台詞が言えるかな。
ずっと一緒にいたいという気持ちと、一緒にいない方がいいという気持ち。
愛の中にも、矛盾と葛藤が沢山ある。
時には、それらの試練を乗り越えなくてはいけない時があるかもしれない。
美しい呪い、愛。
僕らは、その宿命に立ち向かう事が出来るだろうか。

2008.01.25

愛の選択

お互いに強い愛があって、どうしても離ればなれにならなくてはいけない運命だとしたら、
僕は受け入れられるだろうか。

無理だと思う。

それを受け入れようとするがために、色々な問題が出てくると思う。
体にも心にも沢山のダメージがあるだろう。
愛を真っ二つに割るなんて事は、本当に残酷な事だ。

霊を信じるかどうか、それは人それぞれだ。
僕は信じている。
霊がいて、きっと僕たちを見ている。
怖い想像をしてしまうが、先祖であり、愛する者であり、それらの霊は、
少なくとも心の中には存在しているのではないか。

愛する者が死んでしまった場所。

そんなところには、いつもその人の魂があると思ってしまう。
ずっと、僕のことを待っているような気がする。
「どうして会いに来てくれないんだろう」
そんな風に寂しく思ってるかもしれない。

僕が、もし亡くなった愛する人に「一緒に来て」と言われたら、どうするだろう?

あなたなら、どうしますか?

2008.01.19

自己愛

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【この路の先には何があるのでしょう?】

一説では、
人間は「自分をコントロール出来ている」という事で満足感を覚える動物らしいです。
つまり、欲を自制する事で、自分が好きになれるという事です。
例えば、拒食症に陥る多くの人が、この「自制」と言う言葉に敏感で、
「食欲を抑えられる事の出来る自分は出来ている人間」という様に思えるのです。

確かに、それは言えてる気がする。
欲を制御出来たときは、欲を垂れ流しのようにしている時より自分を好きになれる。
それは僕も確かに感じます。
でも、幼い頃から親などに叱られて育った人は、
中々大人になっても自分に価値を見出せない。
なので、これでもか、というように自分の欲を抑えようとする。
欲を抑える事によって、自分の価値を見出そうとするそうです。
そうなると、死に至るまで食欲を制御し続ける。
それは、本当に悲惨な事だと思います。
自分を愛するって、本当に難しいのですね。

でも、第1歩を踏み出す事も相当難しい。

ニートと呼ばれる若者達の多くが、やりたいことが沢山あるし、野望も夢もある。
むしろ、その夢への気持ちが強すぎて、動けない人もいる。
それを頭ごなしに「ニート」と呼び出した大人達には、彼らにプレッシャーを与えて、
よりいっそう動けなくさせた責任がある。
「やりたい」という気持ちと「何がやりたいかわからない」という矛盾が動きを止めてしま
う事だってある。
そうなると、日に日に動く気力は失せていく。
希望を持てば持つほど辛くなっていく自分。
それは苦しい現実だろう。
僕にもそんな気持ちがすごく解る。痛いほど理解出来る。
それはケンイチも言ってたな。

僕は、第1歩を踏み出す時、一番必要になってくる事が、自己愛だと思います。

勇気、気力、気合い?
どれも2の次。
まずは自分が好きじゃないと。
だから、僕はまず「自己管理」から入りました。
自分の欲を、自分でコントロール出来るように。
やりたいと思うことも、冷静に考えて自制する。
それで、段々と自分の価値を見出せていけます。
多くの若者が、「どうしよう」と考えるばかりで、自己管理を怠っているように思えます。
まずは、しっかり自分をコントロールするところから、始めてみましょう。

生きていく上で、不必要な分の食事をしない。
眠くなくても、ちゃんと12時には寝る。
色々と考えられると思います。
規則正しい生活。
そこから生まれるものは、美しいです。
もちろん、毎晩のように友達と飲み明かして、なんて経験も必要です。
でも、何かを生み出すときには、ちゃんと自己管理したいですね。^^

2008.01.17

旅路

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【水には癒されます】

さてさて、今回は「先生」と呼ばれる仕事をしています。
名古屋から大阪、広島と終わって、今日は福岡に来ています。
講義というのは始めてなのですが、コンサートよりも遙かに会場との対話が出来るので、
また違った楽しさがありますね。
「また来て下さい、第2弾を待ってます」
この言葉がこれ程嬉しいと思ったことはありませんでした。
講義も、中々やみつき。(^_-)
でも、「先生」はやめてほしい…です…。笑

今居る福岡の博多は、中学生の頃に入賞者演奏会で来たことがあります。
去年も一度コンサートで来ましたが、中学の時に弾いた「アクロス福岡」というホールを
先ほどちらっと観てきました。
つい「こういう建物だったっけか…」なんて見入ってしまいました。
一度旅に出てピアノを弾きに来た地にもう一度帰ってこれるっていいですね。
色々なところに「帰ってくるところ」を作りたいと思いました。
あ、なんか浮気亭主みたいな事言いましたね僕。笑
そう言う意味ではありません、ヨ。
(/\)

2008.01.10

負けるな、僕たち。

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【素敵なBARカウンターでしょ?】

幼い頃、思春期、そんな「人生の前半」では、人間はまだ自分自身の生に責任を持てない。
だから、自分が嫌な目に遭う事を受け止められない。
自分がそんな目に遭う筋合いが理解できないのだ。
大人になって、やがて自分自身の生に責任が持てるようになったら、
どんなに嫌なことがあっても、
ある程度は自分に問題がなかったか、自分が悪かったのではないか、
と理解をしめそうとする。
でも、若い時は別だ。
人は、生まれもって「幸せな動物」だと自分の事を思っている。
誰にもいじめられず、誰にも恨まれる筋合いはないと、そう信じている。
ある意味では自己中心的かもしれない。
しかしそれらの罪の責任は、「子供だから」という理由で大体は消去される。

でも、理解というのは良い物かどうか、それを判断するのは難しい。
理解するという事は、何かを知るという事だ。
知ってしまった以上、もう考えにくくなってしまう事もある。
知って失うものも、ある。
人生の前半でしか考えつかない事があるのだ。

人生の長い時間にしてみれば、
闇夜からワープしてしまうかのように消えて行く流れ星のようかもしれない。
子供時代や思春期は、それくらい一瞬のものだ。
一瞬だけど、きらめきのある、輝かしいものだ。
アイディアや閃きの宝庫とも言える。

しかし、僕たちは人生の後半にかけて、その輝きを失いつつある。
覚えている事もあるけれど、やっぱり失うものも多いだろう。

僕は子供の時、一体どんな夢を持っていたかな?

もう1人の自分に問いかけてみる。
子供の時分は、しっかりと自分の中に生きているのだ。
いつまでも歳をとらず、ネバーランドにいるかのように、僕の中で時間を止めている。
その時分に問う。
僕は一体どんな夢をもっていたのか。

…そうだ。
ピアノをやっていて中々学校に行けなくていじめられたり、
授業についていけなくて孤独感を味わったりしていた僕は、
とにかく人の輪に入りたかった。
はっきりいって、ピアノなんて二の次だった。
まずは友達を作って、人間の輪に入ってみたかった。

「友達が出来ますように」

そんな願いをクリスマスのサンタに向けて強く贈っている子供も、確かにいるんだ。
今だっているだろうな。
辛さを表面に出せる人もいれば、元気なふりが出来る人もいる。
僕はどっちだったかな。

とにかく、僕は自分が嫌いだった。

自分の生に責任を持てない時期だから、僕がそんな目に遭う筋合いがわからなかった。
だから、何かのせいにしなきゃ生きている事自体が屈辱だった。
だから、僕は自分を恨んだ。
恨む対象として、自分を選んだんだった。
ずっと忘れていた。
でも、今でもふとした瞬間に思い出すことがある。
自分が大嫌いだった事を。

今から考えると、どうして自分が嫌いになってしまったのか、よくわかる。

今自分の前に子供時代の僕が現れたら、すぐにケアしてあげたい。
君は悪い子じゃない。
君は悪くない。
君は、思いっきり泣きたいんだ。
でも、泣きつける相手もいない。
泣きっ面を見せられる程心を開いた相手もいない。
そして、何よりも、本音を言うのが怖い。
本気になる事が怖い。
自分が価値のない人間だと自分自身で確信してしまうのが、怖いんだ。
自分だけが、自分を愛してあげられる最後の1人だから。
自分だけが、自分を解ってあげている最後の1人だから。
この最終ラインを、突破されたくないのだ。

大人になってきている今、そういう過去はずっと忘れていた。


でも、今は色んな人に愛されている。
子供の頃、命と同じくらい大切なピアノを投げ出してまで欲しかったものが、
手を広げて僕を歓迎してくれている。
「僕は、人の輪に入っている。」
そんな事をステージの上で、僕はいつも感じている。

まだまだ僕には引きずっているものがある。
でも、色々と、失ったものがあるのは、大人になったからじゃないかもしれない。
今まで生きてきて、色々な事を得たからかもしれない。

子供の頃、思春期、そんな繊細な時期にダメージを受けた人間は、
いい人になるか、悪い人になるか、ぎりぎりの所で生きている。
どっちにも転べる。
もしくは、どっちも持っていられる。
親切過ぎる程優しい心と、冷酷で残酷な感情、それを同時に持っていられる。
でも、言い換えれば、何かを引きずっていて人を無差別に恨むような人にも、
誰よりも優しい天使のような心があるんだ。

いつでも悪魔と対決して打ち勝たなくてはいけないという呪いがあっても、

  
          負けるな、子供たち。


僕は、あの、闇夜に浮かぶ一瞬の煌めきのような時代を、ずっと忘れたくない。
たとえそれが受け入れたくない過去であっても、
しっかりと僕の中で生き続けている子供の僕を、優しく包んであげたいと、そう思う。

2008.01.09

謹賀新年

皆様、明けましておめでとうございます。
本年もどうか、このブログでのどうしょうもない呟きを温かい心で見守って下さいませ。
昨年は、色々な意味で「出逢い」の年でした。
新しい仕事や、新しい人との出逢いも多々ありました。
松山ケンイチや三宅健さんのような「親友」も出来て、僕の人生はとても幸せです。

しかし、年の終わり頃になって色々な課題も浮き出てきました。

課題というより、「疑問」です。
僕の中で沢山の疑問が出てきて、結構悩んだ事もありました。
「僕がピアノを弾く意味があるのだろうか?」
そんな疑問です。
応援してくれている皆様を前にこんな無責任な発言をするのは大変悪い事ですが、
自分のピアニストとしての存在価値、重要性を疑ってしまう事がありました。
「世界のどこかで僕の頑張りを必要としている人がいる」
そう思えない状態の時もありました。
そして、疑って疑って、ずっと疑って疑いが強くなると、
疑いは「不安」に変化するのだと知りました。

僕は、社会の歯車になりたい。

昔から僕は、人の役にたちたいという願望が強くありました。
今でもそれは強く思う事です。
誰かを幸せにしたい。
誰かを喜ばせたい。
誰かを癒したい。
そんな事を強く思います。
でも、音楽家として、それらを口にして目標にすると、
「おこがましい」という空虚さが僕を襲います。
でも、実際それを目標に掲げて頑張っているのです。
だから、ジレンマが起こります。
目標にするとおこがましい。
でも目標にしないとピアノを弾く意味がない。

昔は、僕は自分のためにピアノを弾いていた。

でも、今はちょっと違うのかもしれません。
自分のためだけでなく、多くの人の役にたちたい。
社会貢献のためには、何が必要なのか。
それを探しに、今年は頑張ってみようかと思います。

僕の尊敬するTドクターが僕に訊きました。
「信也、先生という立場になったとき、一番必要なものは何だと思う?」
僕は考えました。
やっぱり知識かな?技術かな?
もじもじと答えを出さない僕を横目にTドクターはきっぱりと言いました。
「人間性だよ。決まってるじゃないか。」
僕は、ここにヒントがあるかな、と思いました。
人間性。
本当の意味での人間性とは何か。
今年はそれも探してみようと思います。

さなぎから蝶々へと変革するように、僕は今年から変革の季節に入りたいと思っています。
成長はやがて衰退する。
成長をしながら、変革するタイミングを見計らう。
僕が変革するとき、そこにはきっと皆様への感謝と愛があります。
それが原動力となって、世界を少しでも良い世の中にするため、
今年も僕はピアノを弾きます。

ある時は儚く、ある時は切なく、そしてある時は、幸せに。
僕は、音楽家、清塚信也です。
本年もよろしくお願い致します。
皆様に幸せが訪れる事を、心よりお祈りしております。