げんきだま〜〜〜!
世の中には不条理な事もあるし、しょうがない事もある。
もう、誰にもそうなる事を止められなかったという様な事だ。
誰が悪いわけでもない、でも、誰かが責められたり責任をとる事になる。
それは、それこそ「仕方のない事」だけれど、そんな時はホントにきついよね。
僕は今ちょっとそんな感じに陥ってます。
ということで、僕に元気を分けてくれる方大募集。
前回と矛盾するけれど、今は心からあふれ出る「頑張って」の言葉が欲しい。
あぁ、僕ってずるい奴だ。
悟空みたいに強くなりたい。


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世の中には不条理な事もあるし、しょうがない事もある。
もう、誰にもそうなる事を止められなかったという様な事だ。
誰が悪いわけでもない、でも、誰かが責められたり責任をとる事になる。
それは、それこそ「仕方のない事」だけれど、そんな時はホントにきついよね。
僕は今ちょっとそんな感じに陥ってます。
ということで、僕に元気を分けてくれる方大募集。
前回と矛盾するけれど、今は心からあふれ出る「頑張って」の言葉が欲しい。
あぁ、僕ってずるい奴だ。
悟空みたいに強くなりたい。
【渡辺俊幸さんとレコーディング終了後の安堵の表情^^】
「力抜きなさいよ」
そう言われて僕はハッとした。
しかし、
一瞬驚いた後で、すぐに怒りにも似た感情がメラメラとわき上がってくるのが分かった。
そんな事分かってる。
自分で分かってる事を人から指摘される事ほど面白くない事はない。
僕は、自分自身が肩に力を入れて生きている事を、よく分かっていた。
それだけに、それを指摘されてイラっときたのだ。
世の中には、心に筋が通っていない人がいる。
筋が通っていないから、自分で力を入れておかないと、
糸の切れた操り人形みたいになってしまうのだ。
一度でも力を抜いたら、もう元に戻れないのではないか、という不安。
いつかは力を抜けると思って、今日と明日を息苦しくも頑張って生きる。
だから、自分でよく分かってる。
「力抜きなさいよ」
「泣くなよ」
「頑張れ」
元気づけるための言葉は、時に鋭利な刃物のように心に突き刺さる。
OK,僕は確かにクヨクヨした男さ。
でも、人を愛する事は出来る。
それが、生きるって事だ。
今日は渡辺俊幸さんの作曲なさった曲を、映画のためにレコーディングしてきました。
映画の情報は解禁しているのかな?
感傷的な気持ちに雨が加わって、今日はちゃんと弾けるか緊張しました。
でも、渡辺俊幸さんの曲は、そんな僕の凝り固まった心に、とても効きました。
自分で弾きながら、気持ちを込めて、込めて、込めて…
僕の気持ちが伝わって欲しいんだ
と気持ちを込めて、込めて、込めていたら、涙が出そうで、でもそれを堪えて、
一生懸命鍵盤に注ぎ込みました。
力を入れてないと生きていけない人に、是非届いて欲しい曲ばかりです。
映画、観てね。
考えてみれば、先生に譲って貰った事はほとんど無い。
連弾の時、必ず肘を僕にぶつけるほど振り回す箇所があって、僕の脇腹はいつもあざだらけになっていたから、
「先生もうちょっとその仕草少なくしてください」といっても、
「あなたが上手くよければいいのよ」と言ったし(実際に上手くよける技術をあみだした)、
飲みに行くと言い出してそのまま逃げ切れた事は殆どない。
言い出したらきかない、言ったら絶対やめない、そして、絶対撤回しない。
それが山岡優子先生だ。
飲み屋を渡り歩く時、腕を組んで「あなたは恋人よ」と言ってくれた。
そして、実際に飲み屋の主人に「私の恋人よ」と僕を紹介して回った。
僕も悪戯にノって「僕の恋人です」と先生を自ら先に紹介した事もあった。
先生は酔っぱらった勢いからか、「死ぬときは一緒よ」と言うことがしばしばあった。
「いやー、僕先生より早く死ぬと思うなあ」と僕が悪戯に言うと、
先生はまた僕の髪の毛を思い切り引っ張って、二の腕のところを勢いよく殴り、
その後一番近くにある体の部分をどこでもいいから思い切りつねった。
僕は、それを面白く思っていた。
言って置くが、僕は恋人に我が儘を言われるのが好きなタイプだと思うけれど、山岡先生はそれにぴったりだった。
夜の1時にようやく山岡先生から解放されて、
第3京浜を夜中の1時にバイクで1時間半かけて家に帰ったら(それも雨の中)、
帰ってすぐに山岡先生から電話がかかってきて、「ねえ、今から来てよ」と言ったり。
ギリシャ料理屋が開店まであと30分あるからって言って
「ちょっと焼き肉でも食べて待ってよう」と本当に焼き肉屋に入ったり。
急に「このバッカヤロウ!」とすごい剣幕で怒り出したり。
本当に色々な我が儘や傲慢があった。
でも、それを感じるのが僕は好きだったし、誰にでもそれは好かれていた。
そう、いつも台風の目であり続けた山岡優子先生。
そんな先生も、今となっては思い出と、バレンタインに僕に渡しそびれたチョコレートだけを残して去ってしまった。
先生がお亡くなりになったと聞いたとき、僕は何故か、初めてショパンの2番のソナタを聴いて、
それが終わった時と同じ感覚を覚えた。
そうだ。
先生自体が音楽だったんだ。
先生の人生は、一生ではなく、一曲だったのだと思う。
先生と同じ時期にパリに留学に行ってみたかった。
先生ともっと多くの談義をしたかった。
先生の科学的直感力をもっと解明していたかった。
もっとつねられて、もっと引っ張られて、もっと愛されたかった。
死ぬときは一緒だって、そう言ったじゃないか。
…でも、それはもう叶わない。
最終楽章まで終わってしまったからだ。
それはとても美しい事のようにも思える。
今僕は、先生が亡くなってしまったのを感じて、音楽が、終わりがあるから美しいと思えるときのように、
全ては終わりの瞬間のために動いていたのだと悟ったときのように、感動的だと思える。
最後まで現役で、最後まで音楽家であった山岡優子先生の人生に、最後だけだったけれど、
少しでも関われたことを、心から光栄に思い、幸せに思います。
山岡先生の一曲の最後のページの、最後3章節、いや、2章節くらいのところに僕のメロディが登場出来た事を、
とても嬉しく思います。
そして、今は、心よりご冥福をお祈りしています。
「先生、夜の音、僕にも出せるかな」
お葬式で手を合わせながらそう呟いたとき、僕は涙が溢れてくるのを止める事が出来なかった。
…曲は終わったけれど、最後に遺った言葉がある。
「死ぬときは一緒よ、と言った事、あれは『撤回』よ。」
それは、山岡優子先生の、最初で最後の、そう、初めての撤回だった。
僕の中で、ショパンのピアノ協奏曲第2番の2楽章が流れてくる。
そのメロディが僕らを慰めているように思えて、そして、先生の事を天国へと運んでいるように思えて、僕は泣いた。
今はコンサート帰りの新幹線の中でこれを書いている。
京都駅で列車が停まり、扉が開いた。
開いた扉から、客より先に、雨上がりの湿気の臭いが入ってきた。
そこには、新しい生命を運んでくる神秘的な美しさが感じられた。
そして、それは、長かった冬を乗り越えた僕らへの神様からのプレゼントにも感じられた。
「先生、もう春が来るよ」
僕は涙を隠すためにサングラスをしながら、黄金色と橙色が混ざり合っている黄昏の天に向かって呟いてみた。
ピアニスト山岡優子は、パリの夜の音として、今も僕らの中に生き続けている。
ふと、京都の空に、首の細い白鳥が消えて行くのが見えた気がした。
「先生、白鳥はやっぱり孤高の鳥だよ。それも撤回してよね」
と、また悪戯に僕は笑ってみた。
ありがとう、山岡優子先生。
僕は、先生との日々を愛しています。
完
その後、僕はスイスのルツェルンへと旅だった。
1ヶ月ほど、劇の音楽監督に就任していた。
その時に白鳥が死ぬほど湖で泳いでいて、その首の太さに、僕は自分の白鳥を撤回した。
「先生、本当に白鳥は首が太かった」
日本に帰国後、そう言ったら、先生はニコニコしながら僕の髪の毛を引っ張った。
そして、その勢いで今度はショパンの討論になった。
「いい?ショパンの音はパリの夜の音よ」
といって山岡先生はバラード1番の一部分を弾いて見せた。
確かに、それはステキなパリの夜の音だった。
でも、僕の洞察力だって負けてはいない。
先生が「夜の音」と言って弾いてる時、必ずソフトペダルを踏み、上からではなく手首を横にスライドさせるように動かし、
指をいつもより少し立てている事に気がついた。
「先生ずるいよ。夜の音って言ってもさ、結局はメカニズムがあるんだから、そこを教えてくれなきゃ、
初めからその秘密を知っている人にしかわからないよ」
先生は得意げだった態度に水を差されて少しとまどったが、一瞬でもとの得意げな表情に戻り、また悪戯にニコッと笑ってみせた。
そして、「ううん、これはパリの夜の音、よ」と言った。
それを加藤先生は横で優しく見守って笑って見ていた。
でも、山岡先生は、いつもそうだった。
僕の大好きな村上春樹さんの言葉をお借りすると、先生は音楽の事に関して、「科学的直感力」を持っていて、
本当は式があって計算しなきゃ出ない答えを、何故かいつも答えだけを先に知っていた。
夜の音もそうだ。
ソフトペダルを踏み、手首を上下させず、少し指を立てて…なんて事を、先生は無意識の内にやっている。
若い内に練習していた事が身になりすぎて、今では呼吸するのと同じように考えなくても出来るようになってしまったのか、
それとも初めから直感的にわかってしまうのか、それは大いなる謎だが、
少なくとも加藤先生は、若い頃から山岡先生を見ていて、彼女は天才だと言っていたから、
きっと山岡先生はそういう事が直感的にわかってしまうのだろう。
でも、僕にとって一番印象に残ったのは、このテクニックの見事さでも、山岡先生のメカニズムでもない。
何を言われても、山岡先生は最後までやっぱり、「夜の音」を撤回しなかった事だ。
本当に、撤回しないお人だ。
夜の音は夜の音。
それはテクニックなんかじゃない。
僕にはそれが深く理解出来る。
でも、あまりに先生が得意げに言うもんだから、ちょっと横から水を差したくなる。
屈折した僕。
だけど、そうやって水を差す事で、加藤先生も山岡先生も僕も、
つねったり髪を引っ張ったり、げらげらと笑ったり、ちょっと本気で怒ったり、色々な感情が生まれる。
討論する事で、中華街までネタが絶対に切れない。
そう、つまり、楽しいんだ。
一緒にいて、本当に楽しかった。
幸せだと、そう言えた。
つづく
「山岡先生のは首が太い白鳥だよ」
僕の恩師である加藤伸佳先生が言う。
「違うのよ、白鳥ってのはね、優雅に、こう、ほら、こうやって泳いでるのよ」
山岡優子先生が、バレリーナがよくやるような仕草で加藤先生に反論する。
これは、僕と山岡先生との連弾の練習の最中での出来事である。
サンサーンスの「動物の謝肉祭」の中の白鳥を練習していたときの事だ…。
僕の白鳥と山岡先生の白鳥とは、まったく違ったイメージだった。
山岡先生の白鳥は、先生の性格と一緒で、もの凄く優雅でダイナミックだった。
時に僕にはアグレッシブに感じてしまうくらいだったので、僕は困惑した。
僕の中での白鳥とは、ひっそりと湖で泳ぐ孤高の鳥だった。
だから、先生のようにグイグイとテンポを引っ張っていく感じではなく、
インテンポの中での微妙な音色の変化や、ばれない程度の滑らかなテンポの変化をイメージしていた。
しかし、いざ山岡先生と合わせてみると、先生があまりに引っ張っていくものだから、ついに僕たちの演奏は止まってしまった。
合わない所は今までもあったけれど、止まってしまう程の事は初めてで、僕と山岡先生とでしばし白鳥議論になってしまった。
そこへ加藤先生が僕に助け船というわけである。
「山岡先生のは首が太い白鳥だよ」
と一言、真っ向両断。
しかし、山岡先生に多数決は通用しない。
いや、全ての芸術家の価値観には、多数決は全く意味をなさない。
それは僕や加藤先生だって一緒だ。
だから、山岡先生は持論を固めていった。
それどころか、逆に言えば言うほどムキになってかたくなになっていくようだった。
「わたしは白鳥を間近で観たことがあるの!」
と言われては、観たことのない僕には何も言えない。
でも、僕だって演奏について譲る気には到底なれない。
この白鳥だけは、譲りたくないのだ。
この一曲は、全体を通してひとフレーズで出来ているかのように感じたい。
むしろ、白鳥そのものではなく、孤高の白鳥が、
波のない恐ろしく澄んだ朝靄の湖をひっそりと何かを慈しむかのように佇んでいるような、
僕には、そんな「シチュエーション」の一つとしてのイメージが強かった。
かくて議論はその後、練習室から横浜中華街までに及んだ。
そして、やっとの思いで、紹興酒をたらふく飲ませて、加藤先生と僕とで説得した。
でも、説得したというよりかは、折れてもらった。
折れて貰ったというよりかは、まやかした。
とはいえ、勿論、議論は終始和やかで、笑いも絶えない。
実際、加藤先生が「首の太い白鳥」発言をしたときも、
「もう、こいつ〜〜」と言って山岡先生は加藤先生をつねろうとしていた。
必死で逃げる先生を見て、僕は笑う。
そして、二人の先生も笑う。
僕は、こんな一時に、芸術家として生きている実感を持てたし、それはとても幸せな時間だった。
でも、結局、山岡先生は「折れてくれる」というだけで、撤回したわけではなかった。
その事は僕は少し気に入らなかった。
どうにかして説得して、山岡先生の首の太い白鳥を撤回させてやる、と思った。
みなとみらい大ホールでのコンサートで、この白鳥を成功させて、山岡先生の意見を撤回してみせる。
それが、それからコンサートまでの僕の原動力にもなった。
コンサート当日に、先生が急に弾きたくないと言い出した。
周りがよってたかって先生を舞台に上がらせようと必死だ。
先生は僕との連弾の事ではなく、ご自分のソロを気にしているようだった。
だから、僕にそっとすり寄ってきて、「ねえ、あなた熱情弾いてよ」と甘えるように言った。
僕は、「先生のためなら」と80年代のアメリカのプレイボーイになった気分で答えた。
周りの大人が全員先生が弾かない事に反対しているのに対して、
僕ら二人だけがそれに反抗しているのが、何だか変に心地よかった。
芸術家VS主催者。
こんな闘いは、少なくともゲーテの頃から始まっている。
だから、先生がウインクしながら、そして悪戯な笑顔を見せながら僕に「私絶対弾かないからね」と言った時に、
同志を助けなくては、といった変な正義感みたいなものが胸の奥に沸いた。
同じ芸術家として、どんな事があろうとも、今日は絶対弾かないという空気を感じ取れたので、
僕は必死になってムダに先生を説得しようとしている大人達をみていてちょっとおかしくなってしまった。
そして、その光景を誰もいないホールの真ん中あたりでちょっとムカツク微笑みを浮かべながら、
「先生はね、絶対撤回しないお人なんだよ」と独り言で言ってやった。
そんなことで僕は先生の代わりに熱情のソナタを全楽章弾ききった。
憧れのみなとみらい大ホールだったので、僕も興奮した。
高橋多佳子さんなどが客席に来ていたので、またテンションも上がった。
そして、コンサートの後半にはあの白鳥が待っている。
先生は練習の時、「最初ペダル踏むの忘れちゃうから、始まる時に『足!』って私に言ってね」と言っていたから、
僕はその通りに「先生、足!」と舞台上で言ってやったら、先生はキョトンとした顔をして、
「何?緊張してるから足を思いっきり踏んで欲しいの?」と返してきた。
この時ばかりは、先生のキョトンとした愛らしい顔を見ながら苦笑してしまった。
結局、白鳥は無事に終わったし、中々評判も良かった。
僕は大満足だ。
ほら、やっぱり僕の白鳥のが正解だ、と先生に言おうと思ったが、どうせ撤回はしないから、と思いやめた。
そうしたら、先生から意見してきた。
「あなたのも中々良かったけど、本当の白鳥はもっと優雅なのよ」
…。
本当に芸術家って!!
つづく
【世界の程内さんです。ヤマハのエーステクニシャンで、僕の録音や多くのコンサートで調律などをして貰っています。そして、プライスレスのヤマハ最高級ピアノCF3Sの程内版を使わせて貰っています。皆さん、これね、信じられないくらい、すごい音ですよ】
僕は美しいものを見ると、どうしてか涙が出てくる。
感動するから、というのも少しあるけど、それだけじゃない。
今まで失ってしまった人と、この場を一緒にしたかったと思う気持ちもある。
見せてあげたかったな、と思うと、過去の人だという事を実感して寂しくなる。
後は、気持ちに余裕がもてるので、普段感じられない虚しさや悲しさも感じる。
普段は、無理矢理にでもテンションを上げなきゃ行けない事も勿論あるし、
いつもストレスを感じているような生活をしてる。
あぁ、あの曲もう少しやりたい、とか、色々と音楽に対しての心配は絶えない。
それに、いつどこでもピアノを弾ける状態になっていないと、落ち着かない。
ストレスというのは、いつ襲われても逃げられるように、あったらしい。
逃げるために足の筋肉をいつでも使えるようにしておく。
つまり、心臓から足に、血がドクドクと勢いよく通っている状態だ。
その状態じゃないと、僕は収まらない。
でも、体にも、心にもよくない。
ん?矛盾だ。
実際心にはよくなくとも、そのストレスを感じていないと安心していられないから、
それもまた心によくない。
でも、そんなストレスを感じなくても安心出来る時が、美しいものを感じたときだ。
だから、「お疲れ」って言って貰ってるかんじもして、また涙が出る。
そう、僕にとってそういった涙は、体や心の老廃物が外に出て行く作用があるのだと思う。
程内さんのピアノの一音を耳をすませて音が消える最後までただただじっと聞いたとき。
一昨日の芦田先生のコレクションのとき、春を感じさせる臭い、ステキな空…
その全てが僕の涙を流すきっかけになる。
そんなことなので、みんな、一緒に泣こう。
今日は芦田先生のコレクションを観に行きました。
グランドハイアット六本木にて、世界の美しさを堪能させて頂きました。
以前先生のコレクションで弾かせて頂いた時は、自分もステージ側にいたので、
今回お客様の目線で観られた事は、とても光栄だしまた違った意味で感動的でした。
本当に映画や劇を観たような、そんな後味があり、
最後のマリエの時には、思わず涙してしまいました。
なんだか、娘を嫁にやる気持ちを感じてしまった僕は、やっぱり老け込み過ぎかなぁ。^^
その後、作曲家の渡辺俊幸さんと打ち合わせでした。
先生のHPはこちら↓
http://blog.toshiyuki-watanabe.com/
打ち合わせの様子は渡辺さんのHPでも観られますので是非!^^
ワーナーでの打ち合わせだったので、青山でした。
青山といえば、先日ピアニストの青柳晋先生と車で通りました。
その時に先生がツインタワーの下のカレーがおいしいと仰っていたので行きたかったのですが、今日は都合が付かず、残念でした!
来週またワーナーでの取材があるので、次は絶対行きます。(^_-)
青柳先生とはレッスンとかそういう師弟関係ではなくて、友人として、弟として(?)お付き合いしてもらっています。
先生はもの凄くセンスが良くて、お忙しいスケジュールの合間で何かと魅力的な休みの取り方をしているように思えます。
勿論、ご本人はあまりにもお忙しいので休まっていないのかもしれませんが…
それでも、僕は先生のそんなセンスの良い切り替えの仕方にとても憧れています。
そういえば、何年も前に初めて先生と遊んだりしたときなんかは、
「プロはやっぱり切り替えの仕方がうまくなきゃいけないんだな」と学びました。
そんな先生だから、おいしいお食事どころも沢山知っています。
なので、次は絶対行きます。
今日知ったのですが、イチロー選手もカレー好きだとか。
僕もカレーを毎日のように食べます。
外で食べる時は、まずカレーを考えます。
ワーナーの打ち合わせ後、そのまま東京駅へ。
そして岡山に到着。
今は岡山のホテルからです。
もちろん、駅に着いてから食べたものは…
☆かれえ☆
明日も頑張ります。
今月はみゅーじんの密着取材やNAOTOさんとの共演もあり、
普段とはひと味違った仕事が沢山あります。
どれも楽しみだなぁ〜。^^
狭い楽屋の一番端っこで、壁と同化したくて、呼吸もろくにせずに座っていた。
僕は、ずっとこうやってじっとしていれば、
そのうちこの狭い部屋の「角の一部」となれると思っていた。
そう、壁になって、僕は消えるんだ。
「出番です」とスタッフがこの部屋を訪れる時には、僕は既に壁の一部となっている。
それで、この心臓が違う生き物のように激しく膨らみは縮んでいる現象も何ともなくなる。
それで、僕は何も弾かなくてよくなる。
このピアノ地獄から逃げ出せる。
かくして、僕はもう二度とコンクールに出る事もなく、この大阪にあるホールの楽屋の一部となって、一生を気楽に、のんびりと暮らした…
とはいかない。勿論。
壁の一部になってもうすぐ来る出番を逃れる、という変人的な妄想をしていると、案の定素晴らしいタイミングでスタッフの人が僕の楽屋を訪れた。
「出番ですよ」
僕は、心の準備が出来ていないまま(というか現実逃避しかしてない)、
ステージに放り出された。
仕方なくピアノの鍵盤に手を置いて、一音目を義務的に出してみる。
なんだか空っぽだ。
どうしてピアノを弾いているのか、何故ここにいるのか、全く意味がわからない。
しかし、動きの連続で、手が勝手に弾いている。
そこには丸で心はない。
あるのは体だけだ。
心はまだあの楽屋にいる。
体だけが焦ってステージに出てきてしまって、心がまだついてきていない。
手だけが感情と意志を持って一生懸命に動いている。
そんな不思議な現象を僕は目の当たりにしている。
幽体離脱のように不思議だけど、これを非現実だと思ってはいけない。
「こんな事あるわけない」
なんて思ってしまうと、とたんに魔法はとけてしまう。
本当に非現実になってしまうのだ。
だから、今目の前で起こっている嘘のような本当の現象を、
心から受け止めなくてはいけない。
無心。
それだけが、心がこのステージに遅れて出てきてくれるまでのポイントだ。
5分もすると、やっと遅れて心がステージに来てくれた。
よし、これでもう大丈夫。
後はいつも通り弾くだけだ。
何百回、いや何千何万回と弾いた。
後は、いつも通り…
え?いつも通りってなんだ?
いつもどうしてたっけ?
もうすぐ一番の難所が待ち受けている。
どうしよう、このままでは、いつも通りがわからないから、どうしていいか分からない。
あの難しい場所を、どうやって弾けば良いんだ。
あぁ、もう後5章節くらいで難所が来てしまう…。
…4.3,2,1。
「えい、こうなったらもう何でも良い、思い切りやってしまえ!」
その後の記憶はあまりない。
この間、たったの12分。
この12分のために、1年間全てを費やしてきた。
一度きりの挑戦で、二度目は絶対無い。
人生で、絶対に一度のチャンス。
そして、このコンクールで優勝しなきゃ、もうピアニストになれないと、言われている。
「死んでも良い」
矛盾しているけど、中学2年生だった僕は、このチャンスを手に入れられるならば、
死んでも良いとさえ思っていた。
ドラゴンボールに願いを叶えてもらえるならば、かわいい女の子でも、永遠の命でもなく、
このコンクールに優勝したい、という願いだった。
その本番だ。
予選も準決勝も勝ち抜いた。
後は、このファイナルだけだ。
その演奏を今していて、もうすぐ終わる。
そうだ、僕の人生が終わる。
それくらいの勢いだ。それくらいの感覚を持っている。
…あ、そんな事を考えているうちに、もう少しで終わる。
そう、この和音が出てきたら、あとこうして、ああして、こうやって、ちゃんちゃん。
終わり。
心は落ち着いているけれど、体がおかしい。
視界が黄色い。酸素不足だ。
立ち上がってお辞儀しなくてはいけないのに、足に力が入らない。
全身がけいれんしていて肺が痛くて心臓も痛くて腰のあたりの感覚がなくて左足が…
ようやく立つと、そんな僕の苦労もしらずに、審査員達が偉そうに頷いたり無視したり視線をわざとらしくそらしたり何だか知らないけど紙にメモしたりしている。
「もうやめよう。もう終わったんだ僕。いいんだ。もう泣いて良い。壁になったように、
一生を眠って過ごそう。もう、終わりだ。二度とステージには上がらない」
いつもいつもそう思ってた。
落選するくらいなら死んだ方がましだ。
そんな意識が呪いがとけないから、僕はいつも苦しんでいた。
12時間も13時間も練習しても、その呪いはとけない。
眠れば夢に出てくるし、起きれば散歩をねだる犬の遠吠えのように僕を催促する。
それでも、好きだから、未だにピアノを弾いている。
もう、何百年も弾いているような感覚だ。
そんな事を考えていたら、荒川さんと村主さんが氷の上で回っていた。
ジャンプの直前に見せるあの表情。
硬直して、一瞬体と心が遅れて見える。
ジャンプしながら回転している体の後を、そのまま心が沿って動いて残像になっている。
あの時の僕と同じだ。
だから今回一緒にCDを作れてよかった。
僕が弾く。あなたは回る。
わたし、配る。
…は武富士だったか。
笑止
黄金期と言える’06年トリノから’08年までの
人気選手の演技を彩るあの曲この曲を厳選!
清塚信也による絢香「I believe」ピアノ Ver.と
ショパン「幻想即興曲」を新録!
録音:2008年1月@ヤマハ
発売:ワーナーミュージック・ジャパン
WPCS-12115
定価¥2,500(税込)

あの時ああしてれば良かった。
あの人が亡くなる前にこうしておけばよかった。
もっとこうしてあげたかった。そうしたかった。ああしたかった…。
そんな後悔の念が、一つや二つ、人生にはある。
運命があるとすれば、人が死んでしまう日は決まっている事になる。
僕が死ぬ日も決まっている。あなたが死ぬ日も決まっている。
よく「運命は変えられる」と言うけれど、僕はそう思っていない。
どれが運命で、どれが人生か、その境界線を引くのは人それぞれだから、
色々な意見があるだろうけど、僕は、少なくとも、
「死」というのは変えられない運命なのではないかと思う。
しかし、そんな運命なんかどうでもいい。
大切なのは、どう料理してやるかという事だ。
生まれてから死ぬまでの間、どう美しく生きられるか、それが大切だ。
生を伸ばす必要なんかない。
ショパンは39歳で亡くなったが、その中身は86歳まで生きたリストより濃密だ。
生を伸ばすより、中身を濃くする事に専念したい。
でも、大切な人の事を考えると、少しでも長く、永く、生きていて欲しいと思う。
これは、勿論矛盾しているが、一応僕の中の論理なのだ。
心理学は、人の心は論理だけでは語れないという事を、
科学は、科学では語りしれない事もあるという事を、
音楽は、その両方を強く教えてくれる。
矛盾しているけれど、これが、僕の答えなんだ。
答えは出るものではなく、出すものだ。
この言葉の意味が、ようやく見えてきたように思える。
僕の心の中に、真夏の朝日のような、清々しい気持ちが宿っている。