祈り
「祈り」という曲がある。
単純な和声に、単純なメロディだ。
特に記述する程特別な技術もない短いノクターンのような曲だ。
メロディをチェロが、伴奏の和音をピアノが弾くというスタイルを想定して作られた。
ピアノだけでも弾く事が出来て、又、歌詞を付けて歌の曲にまで変貌した。
僕が作った曲で、僕以外の誰かが弾いたり歌ったりしているのを聞いた唯一の曲でもある。
この曲は、
僕のために祈ってくれている人へのお返しに何か出来ないかという思いで作った曲だ。
学生の頃は、祈るくらいならチャンスをくれ、と思っていたが、今は違う。
どんな物よりも、祈ってくれているという事実が、僕の心には響く。
孤独な舞台を踏んだ後、嵐の航海のような仕事を終えた後、「ずっと無事を祈っていました」と誰かから言われる事ほど心にしみる事はない。
それを感じるようになったのはロシアから帰ってすぐの事だ。
そして、すぐにこの曲が出来た、というわけである。
そんな「祈り」は、そのシンプルさからか、子供にもよく弾いてもらえる。
そして、またこの祈りを僕の知らないところで弾いてくれている人がいた。
その方は、誰かのためにこの祈りという曲を弾くらしい。
しかし、その「誰か」のために弾くと、決まって途中で詰まってしまうらしいのだ。
感極まって、途中で演奏不可能になってしまうらしい。
僕にもそんな経験がある。
もっと若い頃にはそんな事が沢山あった。
ショパンを弾いていても、ラフマニノフを弾いていても、オリジナルを弾いていても、
一日に一度は、感極まってどうしても弾けなくなってしまう事があった。
困ったことに、時々コンサートでも同じような現象が起こった。
いつもなら演奏を止めて、泣くなり、叫ぶなり、壁を叩くなりしたのだが、
コンサートとなるとそうはいかない。
だから、こらえる。
こらえる。
それしか出来ない。
これが、これこそが僕の仕事だと、そう言い聞かせてこらえる。
そして、こらえるという力を得るのだ。
これが音楽家としての青春だ。
これは決して「青い」という事ではない。
これは、音楽家として深い表現をするために必要なアイテムだ。
同じ言葉でも、
人生経験豊富な老人が言うのと、20歳そこらの若者が言うのでは威力が違う。
同じ曲でも、ピアニストによって説得力が違う。
だから、その方にも、あと一歩頑張って欲しい。
そこが、そこからが、学生とプロの境界線かもしれない。
感極まって、どうしても止めたい時も、自分ではなく、やはり聞かせたい人の事を思って、
なんとか乗り切って欲しい。
その闘いこそが、その葛藤こそが、表現を深いものにするのだ。
僕は、いつもどこかでその事を、祈っている。







