清塚信也 OFFICIAL BLOG: 2008年06月

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2008.06.28

弾 DAN3

深く掘れ、深く、深く掘るんだ。
僕は穴を掘り続ける。
自らの手で穴を掘り続ける。
両手の爪はほぼ無くなった。
それでも、痛みなんて覚えずに、ただ穴を掘り続ける。
ここは戦地だ。
今も敵の迫撃砲が僕らの周りに迫っている。
その迫撃砲に直撃しないためにも、穴を深く掘って、そこに隠れるのだ。
穴は既に僕が1人すっぽり入れるほど深くなった。
僕は穴を掘るのをやめて、その中に入った。
そして目を瞑り、迫撃砲が止むのを待つ。
ぎゅっと目を瞑り、現実をなるべく遠くに追いやる。
想像するのは、緑の丘だ。
白い蝶々がてふてふと風に揺らぎ、多くの草花たちは風を受けて石を投げられた水たまりの波紋のように波打つ。
牛が呻き、馬が滑走する。
しかし、僕にはそれらが上手く想像出来ない。
迫撃砲の事を忘れられない。
死ぬかもしれないという恐怖を忘れられない。
現実を逃避しようとすればするほど失敗し、結局逆に恐怖に全身を喰われてゆく。
「おい」
誰かの声がした。
「おい!」
誰かに呼ばれている。
「おい、おまえ!そこから出て敵に銃弾をあびせてやれ!早く!」
隊長の声だ。
しかし僕は穴から出られない。
体が釘で打たれたかのように穴にくっついてしまっている。
恐怖という釘だ。
僕はもう二度とここから出られないような気がした。
今穴から出て行くなんて、想像も出来ない。
辺りには相変わらず敵の迫撃砲がまき散らされているし、それに付け加え敵が一斉に銃をこっちに目がけて放っている。
周りでは、5秒に1人は味方が殺されている。
少しでも穴から頭を出せば、きっと僕の頭に風穴があく事になるだろう。
だから、僕は穴から出られない。
隊長に叱られるだろうな。
でも、僕はここで穴と同化して一生を終えるんだ。
勇気を出して敵に向かい、名誉の死をとげた仲間のようにはなれない。
僕は、ただの「穴」として生きて行かなくてはいけない。
…そんなの嫌だ。
そんなの絶対に、嫌だ。
僕は自分の体に命令した。
「穴から出ろ」と。
「お前は穴で終わる男じゃない」と。
僕は立ち上がった。
銃を両手に持ち、しっかりと立ち上がった。
しかし、辺りはすでに戦闘を終えた後だった。
嘘のように敵の銃弾と迫撃砲が止んでいる。
隊長が僕の顔を見てうんざりしているのが分かる。
「おい、おまえ。何やってんだ」
隊長はそれでも少し優しい笑顔を見せながら喋っている。器の大きな男だ。
「いいか、ここは戦場で、これは戦争だ。殺し合いだ。お前はここに来たときから、もう既に死んでいるんだ。だから、生き残ろうという望みは捨てろ。そんな希望を持つから、お前は穴から出られないんだ。一度死んだんだ。お前は、死んだんだ。二度死のうが三度死のうが、変わらない。いいか、もう一度言うぞ。お前はもう、死んだんだ」
希望を持つから死が怖い。
なるほど、と僕は思った。
生きるというのは、死なないという事なのだ。
生きるという事は、死んでいないという希望なのだ。
死を打ち消す事で生きるという概念は成立する。
しかし、戦場ではそれが通用しない。
僕は隊長の顔を見た。
言葉に出来なかったが、「よく解った」と言いたかった。
しかし、隊長の顔はゆがんでいた。
隊長の顔が雨の日の水面のようにゆらゆらと揺れ、モザイクがかかっていた。
その揺れはどんどん大きくなり、あたり一面に伸びていった。
もはや隊長だけではなく、全ての景色が揺れている。
そして、アイスクリームのようにドロドロと溶け出している。
それは壁紙が剥がれていくかのように見えた。
景色が溶けていくと、その裏側は宇宙のように暗かった。
やがて景色という景色は全て溶けて水たまりのような塊になり僕の足下に小さくなってまとまってしまった。
完璧な暗闇が僕を包む。
気が遠くなる。
暗闇の向こうから僕の名を呼ぶ声がする。
僕は大声で応える。
しかし声は届かない。
誰かが相変わらず僕の名を呼び続けている。
僕は応えるのをやめた。
そして、声のもとをめがけて走り出した。
全速力で走った。
走った。走った。走った。
走っていると、小さな光が見えてきた。
今度はそこにめがけて走った。
やがて光は近くなり、大きくなった。
僕を呼ぶ声も近くなった。
僕は光に飛び込んだ。
眩しくて目を開けていられないくらいな光が僕を包む。
そして、眠りから目覚めた。

「やっと起きた?もうすぐ着くわよ」
僕の右側で女性の声がした。

つづく

2008.06.17

弾 DAN2

IMG_1053.JPG

僕は駅で列車を待っている。
ただじっと、木製のベンチに座って下を向きながら。
駅は古くてとても清潔とは言えないが、周辺に緑が生い茂って空気も新鮮だ。
単線の典型的な田舎駅で、改札口に駅員もいない。
駅はその殆どが木の素材で作られており、そのためか目に付くものが殆ど茶系の色だった。
薄い茶色から濃い茶色、赤茶、こげ茶など、様々な茶色がそこにはあった。
そんな駅の周辺には僕の背丈くらいある草や駅の屋根より遙かに背の高い木が駅を取り囲むように生い茂っており、コップからあふれ出す水のように駅や線路にはみ出していた。
季節は夏だ。
セミが切なくなるほど勢いよく泣いている。
「鳴く」ではなく「泣く」にきこえる。
気温は熱く、日差しは刺すようだ。
しかし、どこからかいつも水の流れる音が聞こえてくるし、それほど湿気を感じない場所なので、耐えられないような暑苦しさは感じなかった。
僕はこの駅から一歩も外に出たことがないので、その水音が川なのか何なのか分からなかったが、それがとても冷たい水でとても新鮮な透明水だという事は何故か想像出来た。
そんな環境で僕はもう何年も列車を待っている。
ただじっと、木製のベンチに座りながら。

駅には他の乗客がポツポツと何人かいた。
僕らは互いに話したことは一度もない。
時々チラッとお互いを見合うことはあるが、コミュニケーションと言えるものはそれくらいだった。
あるいはそれはコミュニケーションではなくて、単なる状況把握のような感じもした。
お互いを干渉しない事、それがこの駅のルールのようなものになっていた。
だから、僕らはもう何年も誰とも口をきいてない事になる。
しかし、それは苦痛じゃなかった。
それが苦痛ならこの駅にはいないという事を僕らはよく理解していたからだ。
この駅にいる者は皆うつむき加減で暗く、いつでも何かに疲れたような雰囲気が感じられた。
でも、セミの声がその憂鬱な雰囲気を打ち消してくれていた。
それに、僕らは好きでここにいるのだ。
列車を待つと決めた時から、僕らは自らの意志によってこの駅で待ちぼうけをしている。
だから、列車がいつまでも来ない事に対して普遍不満を言う人は1人もいなかった。
僕らは、正確に言うと列車を待っているのではないのかもしれない。
列車がこの駅に到着する日を待ち望んでいるのではない気がする。
僕らはきっと、まちたいのだ。
殆どの人間は列車が来るまでの待ち時間を外で暮らしている。
ある者はくたくたに疲れるまで遊んでいるかもしれない。
ある者は息を切らして働いているかもしれない。
僕ら以外の人間はこの駅の外で生きる事を選んでいる。
そして、僕らはこの駅の中で列車を待っている。
どちらにしても列車をまっている事に変わりはなかった。
しかし、その待ち方が違うのだ。

列車は駅に到着すると、全ての人が乗り込むまで待ってくれる。
何時間でも何年でも待ってくれる。
つまり、この列車に乗り遅れる人はいない。
だから、この駅で待つのは馬鹿馬鹿しく感じる人の方が多いのであろう。
その事実を知った上で、僕らはこの駅で待つ事を選んだ。
それはある人からは「異常」だと思われた。
ある人からは「怠け者」だとも思われた。
僕ら駅で待つ人間を外界の人間はあまりよく思わない。
暗くて気味が悪いし、一緒にいて楽しくない。
だけど、僕らは誰1人として異常者はいなかった。
むしろ、みんな普通過ぎる程普通で、凡庸を絵に描いたような人々だった。
考えることは一般論だし、意見はいつも「人それぞれ」だった。
それでも、外界の人々は僕らが駅にいるという事だけで僕らを嫌った。
僕らはそれでも良かった。
僕らへの意見や僕らの見方というのは、彼らの問題である。
僕らの中にある問題じゃない。
僕らの外の問題だ。
丁度、この駅の内側と外側のように、そこにはしっかりとした境界線があった。
一般論というものは、多数派の意見によって決まる。
少数派は意見すら言う余地がない。
それが外のルールだ。
しかし、僕らは一般論がそういう風に決まるべきではないと思っていた。
僕らの中では、一般論とは、他人に迷惑をかけない理論の事を指していた。
多数派の意見が一般論になる世の中では生きていけない事をよく理解していた。
もし迷惑なら、直接迷惑な事を指摘すればいい。
そこには批判なんて必要ない。
苦情も必要ない。
勿論それは相手に悪気がない場合だが。

ゴドンゴドン、ゴドンゴドン。
列車が通過した。
通過列車には「事故死車」と書かれていた。
その乗客達はみな悔しそうな表情をしていた。

僕は何かを思い出そうとしていた。
この駅で待っている内に、何か大切な事を忘れた気がしたのだ。
僕は僕の記憶の宇宙を彷徨ってみる。
しかし、そこには明確なものが殆どない。
あるのは記憶の影とそれらの気配だけだ。
仕方ないから僕はちゃんと思い出せる事だけを考えてみる。
記憶の宇宙を旅して、ちゃんと認識出来る事はそれほど多くないという事に気付いた。
記憶というものは時の流れのように一つの場所に留まってはくれないのだ。
現在というのは、未来に喰われるものだ。
現在というのは、過去を喰うものだ。
現在とは未来とも過去とも言えるのかもしれない。
記憶とは、過去にある現在だ。
それはまた、未来とも過去とも言えるのだ。
だから、正確に感じられる事なんて記憶の中には一つもない。
過去の現在は、現在の現在にはなれない。
でも、僕は過去の現在を出来るだけ忠実に再現しようと試みる。
宇宙の中で光が少し漏れている扉を探し、そのために気が遠くなるような距離を移動する。
そしてやっと一つだけ扉を探し出した。

あれは6月の事だった。

僕は梅雨の合間に時折現れる太陽を懐かしそうに眺めていた。
土からはまだ雨の匂いがしてくる。
刺すような日差しに手をかざしてみると、指先が赤く光った。
指の中に赤い果物が入っているかのように明るい甘い色だった。
僕は木漏れ日の中に入って、今度は木漏れ日を感じていた。
目を瞑って風にゆられる木々を感じると、肉眼で見るよりずっとリアルだった。
僕は目を瞑る事で別世界に行ける。
風景やルールは一緒の世界だが、その別世界には僕しかいない。
本当の孤独を感じる事が出来る。
僕はその内に目を瞑っていても木々の揺れが分かる事に気付いた。
それは小学6年生の僕にとっては一大事だった。
超能力を身につけたような気分だった。
僕は暫くそうやって風と光を感じていた。
すると、横から何かが僕にぶつかった。
僕は車に轢かれたのかと思った。
痛みはなく、全てがスローに感じた。
僕はすぐ横にあった階段を転げ落ちていった。
10段くらいの階段だったのだが、100段くらいあるかのように感じた。
落ちきった所で、僕は痛みを感じた。
感じたというよりは、痛かった事に気付いたと言った方が当てはまるかもしれない。
あの時僕が何に当たったのか、よく思い出せない。

ゴドンゴドン、ゴドンゴドン。
駅にまた通過列車が走った。
今度は「自殺車」と書かれていた。
中にいる人たちはとても悲しい表情を浮かべていた。
僕はその列車が見えなくなるまで見ていた。
列車はとても混んでいた。
ぎゅうぎゅう詰めだった。

あの時僕は何に当たったんだろう。
また何かを思い出しそうだった。
ぎゅうぎゅう詰めの列車…。
確かあの時僕は満員電車の中にいるような思いをした気がする。
沢山の足音、息が出来ないような混雑…。
その時僕の脳を電流が走った。
まるで雷が脳の中で発生したかのように。
そして僕は鮮明な記憶を呼び起こせた。
そうだ。
あの時、僕は車に轢かれたんじゃない。
人に蹴られたんだ。
蹴られて転げ落ちた。
そして、落ちた後に30人もの同級生にリンチされた。
踏まれたり、蹴られたり、殴られたり、引きずられたり…。
でも、僕は痛みを受け入れなかった。
痛みの存在を信じない事で痛みを感じなかった。
目を瞑れば、別世界に飛ぶ事が出来る。
そこでは、同じ情景同じルールだけど僕は孤独だ。
だから、リンチにあって痛みを感じる事はない。
僕は別世界に逃げた。
体は泥まみれになりながら、僕は魂だけの存在になった。
僕を馬鹿にして笑う声も、僕を蹴る足音も、もう何も存在しない。
気が遠くなる。
光が僕を包み込む。

気がつくと僕はこの駅にいた。
それからずっと僕は列車を待っている。
死という列車だ。
ただ、待つだけの人生を送っている。
しかし、僕は大切な事を忘れている。それが何だったか、僕には思い出せない。
きっと、この駅を出れば思い出すのだろう。
そんな気がする。
だけど、僕はここでじっと列車を待つのだ。
それが、僕の人生だから。

つづく


2008.06.09

弾 DAN

僕はその日午後から雨が降ると知っていながらバイクにまたがり多摩川へと向かった。
家からバイクで10分くらいの所にある多摩川の河川敷に寝ころんでいると、
色々な人生とすれ違える。
沢山のかわいい犬とも戯れられる。
ただただぼぅっと川をみていると、時間の流れが見えるようだった。
あっという間に30分が経ち、1時間が過ぎた。
するとやはり雨がポツポツと落ち始めた。
僕はそれでも寝ころんでいた。
僕は雨に降られる事によって自分が存在しているという事を確かめたいのかもしれない。
川の反対岸では老人が突然の雨に驚いて犬と共に駆けだした。
犬は茶色い柴犬だった。
犬は老人が突然駆けだした事が楽しそうだった。
100年後はどうなっているのだろう?
僕はもういないだろう。
この多摩川もどうなっているか分からない。
地震が起こって致命的ダメージを与えるかもしれないし、
埋め立て好きな東京人達が埋め立ててしまうかもしれない。
100年後はわからない。
あの犬も、あの老人も、僕も、今目の前を通過した子供達も、みんないなくなっている。
人間は死ぬとわかっていて頑張って生きる。
終わりの日を予感しながら、一瞬一瞬の生を大切に生きる。
どうしてだろう?
僕はなんでここまでしてピアノを弾くのだろう?
そんな風に僕は思った。
生活、ピアノ、音楽、友人、家族、僕の人生というパズルは繋がらない。
何かがぴたっとはまれば全てが繋がる気がするのだが、まだバラバラのままだ。
答えは出すもの。出るものじゃない。
分かっているのだ。
答えはもうすぐそこにある。
何となく分かる気がする。
でも、それでも、それが答えだと認めるのに時間がかかる。
そう、答えは出すものなんだ。
認めればそれが答えなんだ。
思えば僕は小学校中学校と楽しい思い出なんて殆ど何もなかった。
ピアノ漬けの毎日。
人との交流なんて殆どなかった。
だから、1人でも多くの人に好かれたかったし、コミュニケーションを取りたかった。
でも、そのやり方さえ僕には分からなかった。
だから、弾いて欲しいと言われればいつでもピアノを弾いた。
何でも弾いた。
だけど、弾けば弾くほど、ある意味でみんなは僕から離れていった。
ピアニストとしかみなくなったのだ。
ピアノの上手い清塚くん。
ピアノの上手い清塚くん。
ピアノが弾けない僕にはみんな無用だった。
だから、音楽室を使う時間だけはみんな僕と話してくれた。
先生だって同じだった。
ある時は理科の先生に、
「お前見たいのがいるから学校はかったるいんだ」と言われ、
「ピアノを一生懸命頑張る事がそんなにいけない事ですか?」と言った。
口答えをした僕に理科の先生は舌打ちした。
「ちっ」
僕のなかであの時の音は忘れられない。
舌打ちだけで僕の人生を片付けられた気がした。
僕は舌打ちだけの男か。
そんなみじめな思いを僕は持っていた鉛筆にぶつけ、真っ二つに折った。
そして、その折った鉛筆を2回に分けて理科の先生に投げてぶっつけてやった。
僕はすぐに教室を出て行った。
そんなに邪魔なら消えてやる。
そう思った。
僕はピアノが弾きたかったんじゃない。
僕には、ピアノしかなかったんだ。
僕が生きている意味だったんだ。
そんな事を考えていると、雨は本降りになって僕を濡らしていた。
僕はいつの間にかビショビショになっていた。
いいんだ。
これが生きるって事だ。
ピアノを弾くのと濡れる事は変わらない。
それが、生きるって事だ。
僕はバイクをとばして帰った。
雨が体に当たるとずしりと重くて痛かった。
僕にとってピアノを弾くという事が何なのか、分からなくなった。
いや、随分前から分からないが、昔を思い出した事が更に混乱を招いたのだ。
僕は混乱している。
パズルのピースがどこにもはまらない。
さて、どうしたものか。
シリーズコンサート「弾」はもう目の前だというのに…。

つづく

2008.06.04

中西さん

大丈夫。大丈夫。
順番に一つずつこなしていけば、大丈夫。
ゆっくりゆっくり、急ぐことない。
まずは、健康だ。
ちゃんと食べてるか。ちゃんと眠れているか。病気はしていないか。
どうだろう。眠りは相変わらず深くない気がするが、僕の中ではよく眠れている方だ。
次は有意義な生活が出来ているかだ。
食べたいものを食べている。好きな映画は観られる。
これも大丈夫だろう。
お次は、人間関係だ。
数少ない友人とは相変わらずつかず離れず良い関係を保っている。
大丈夫だ。
…やめよう。きりがない。それに、もう大分落ち着いた。
湿気が出てくると左肩が痛むが、まぁ、その痛みとは腐れ縁の友人のようなものだ。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
まずは、自分を抱きしめてあげないと。
自分の中にいるもう1人の自分を、しっかりと抱きしめて、大丈夫と囁くのだ。
そうすれば、きっと何もかもリセットされる。
どんな夜にも朝が来るように。

「中西さんは明日死ぬって言われたらどうする?」と僕は訊いた。
「そうだなぁ。難しいなぁ。うーん、たぶん普通に過ごすと思うなぁ」
「なるほどね。でも、死という存在が目の前まで迫ってきていても普通でいられるかな?」
「どうだろう。そりゃ無理な事もあるだろうね。特に妻の前では普通にしてられないかも」
中西さんは所々関西なまりが出ていて、声は歌手らしく大きくてよく通る。
こんな声で説教されたらきっと納得してしまうだろうな。
お寺の住職さんの声も、このオペラ歌手の独特な声とよく似ている。
「じゃあ、中西さんは自分が死ぬってことをみんなに伝える?」
「うん、伝えるよ。だけどただでさえ24時間しか時間がないんだから、
 大事な人だけに伝えるね」
「大事な人?」
ちょっと僕は違和感を感じた。
「じゃあ、中西さんには大事な人とそうじゃない人の境界線みたいなものがあるの?」
「それは難しいよね」
中西さんはいつでも笑顔だ。
僕は時々その笑顔が中西さんの防御なのではないかと感じる。
たぶん、「笑顔癖」があるんだろう。
芸術家はみな弱いのだ。
それにしても、基本の顔が笑顔だと、本当に喜ぶときはどんな表情をするのだろう。
しばしの沈黙があった。
さっきの僕の質問で、話は行き止まりに当たってしまったのだ。
「それじゃあ、中西さんにとっての死とは?」
「終わりだろうね。全ての終わり。私にとって死は怖い存在だよ。
 生きるのを諦めたときという感じもするかな。
 私は何度も生きる事をくじけそうになったし、何度も生から目を背けたくもなった。
 そうなると現実逃避だよね、毎日が」
こんな話をしていても中西さんは明るい。
僕は、複合的に「明るい」この中西兄さんが大好きだ。
時々笑顔を休むかのように表情が陰る時があるが、
そんな兄さんを見ていても何故だか心がホッとする。
とても人間らしいのだ。
兄さんのそういう所からは人間くさい感情が感じられて、
なんだか本当の人間と接していると感じられる。
「コンサートするかも」
と中西さんは突然言い出した。
「ん?」
「コンサートだよ。死ぬとわかったら、24時間以内にコンサートしてもいいかもなぁ」
「それはさっきの日常を過ごすというのとはまた全然違うね」
「うん。でも、客は妻だけでいい。1人だけのためにコンサート。
 そのときはピアノ弾いてね?」
僕は独りになって泣きたい気分になった。
果たして、僕はそんな状況でちゃんとピアノが弾けるだろうか。
死を目の前にした中西さんを前に、音と音を混じり合わせる事に集中出来るだろうか。
だけど、不思議とこんな話をしていても哀しみは覚えない。
それは中西さんの持ち前の明るさがあるからだろうか?
確かな事は分からないが、とにかく、
中西さんがもし明日死ぬと言われたら、1人の女性を強く思うという事が分かった。

環さんと中西さんに同じ『死』に関する質問をしてみて、明確な違いがあった。
環さんは死を何かの到達点だと思っているところがあった。
中西さんは死を終わりだと表現した。
村上春樹さんの小説では、「死は生の一部」と表現されていた。

僕の中で何かが繋がり始めている。
少しずつ少しずつではあるけれど、何かが繋がり始めている。
でも、今日はもう頭がショートしたので少し休む事にする。
梅雨が始まった。
かえるさんが活動する時期だ。
おはよう、かえるさん。
今年も頑張ろう。

2008.06.02

環ちゃん

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【左が中西さん、中央が環さん】

いつもどこかで僕の事を見ている少女が僕の目の前に現れた。
髪は黒すぎて光りが当たると青く反射し、腰のあたりまでまっすぐに伸びている。
少女は僕の半分くらいの背丈しかなくて、和服を着ている。
少女は僕の手を食したがっている。
いつもどこかで僕の手を食べようと狙っている。
いつもなら密かに僕の視線の届かない所から見てるのだが、
この日は何故か僕の目の前に現れた。
そして、ゆっくりと僕の右手を食べ始めた。
まったく痛みはなかった。
むしろ、ぬるぬるとした少女の口の中の感触が僕に吐き気を催させた。
気付くと、少女は僕の肘くらいまでを既に食べてしまっていた。
僕は少女の頭をなでて、更にまっすぐで硬い少女の髪の毛を手ぐしでといてやった。
右手はもうないから左手でといてやった。
少女の硬い髪の毛はゆでる前のパスタを連想させた。
黒いからイカスミだな。
「君、お腹がすいていたんだね…」と僕は少女に優しく言ってやった。
何を言っているのだ?
僕は右手を食べられてるんだ。
そんな優しい言葉をかけてどうする。
僕は全てを失ってしまったんだ。
ピアノが弾けなくなったなんて、もう死んだも同然だ。
あぁ、段々頭が混乱してきた。
ズボンの右ポケットでは携帯が鳴っている。
仕事の電話だろうか?
もう、僕には関係ない。
仕事も何も、僕には関係ない。
でも、一つだけ希望が残っていた。
これが、全て僕の見ている夢だという事だ。
さぁ、そろそろ起きよう。
目覚めるんだ。ほら、ゆっくり目を開ければ、そこには朝が待っている。
携帯の音…
携帯の音…
携帯の音…?
そうだ、夢を見ていた。
とても嫌な夢だ。
少女が僕の右手を…携帯の音。
携帯の音だ。
よし、起きよう。
こんな風に一日が始まると、ある種の勇気が沸いてくる。
もう、後がないという強さだ。
これ以上は引き下がれない。
背水の陣だ。
人生なんて俺様のメガトンパンチで粉々に砕いてやる!
ちょっとかっこよくアメリカンに決めてみた。
鏡の中の僕は、とても空虚な時間を感じているようだった。

さて、この日僕はポプラ社にてピアノを弾いた。
ディナーショー「フォルトゥーナ」。
出逢いの場だ。
お客様と僕だけではなく、僕のまわりの素敵な芸術家を引き合わせるための場だ。
これからも僕の数少ない友人をここで紹介出来ればと思っている。

今回散文を書いてくれた根崎環(ねざき かん)さん。
僕は環ちゃん環ちゃんと呼んでいる。
出逢った時は最近僕がCDを出したワーナーで働いていた。
あれは5年か6年くらい前だろうか?
環ちゃんは29歳だ。
でも、とても29歳とは思えない。
とても太っていて、最近では糖尿になってしまったらしい。
しかし、僕はそんな環ちゃんをとても「美しい」と感じる。
蜷川幸雄さんが、生まれ持ったものは芸術とは言わない、
かっこいい人が出てくるだけでかっこよく見える事ではなく、
どうしようもないような顔の人がかっこよく見える事に芸術はあると言っていた。
環ちゃんは自分の事を醜いとよく言う。
でも、僕はそんな彼の体内からあふれ出てくる芸術に、ある種の美学を感じる。
僕は、
環ちゃんの芸術は、環ちゃん自身が自らを傷つけてその傷口から溢れ出てくる様に感じる。
環ちゃんのあのふくよかなお腹にブスっと刃物を突き刺し、
そこからクジラの潮吹きのように出てくる血が芸術になっているような気がするのだ。
そういう命を削った芸術が最近少ないように感じる。
でも、環ちゃんの文字にはそういう類の悲惨さが感じられる。
内容が明るかろうが関係ない。
僕は、とにかく、彼のそういう芸術性が好きだ。
「環ちゃん、やむを得ない事情で明日死ぬってわかったらどうする?」と僕は訊いてみた。
「そうだなぁ、相方と過ごすかな。俺は最後まで日常を好むと思う」
環ちゃんの一人称は俺だったり僕だったり、色々だ。
「糖尿って言われてから、死が一気に近しい存在になったよ。
 それで焦りが出た。生きなきゃっていう焦りだよ」
そう言いながら環ちゃんはとても活き活きとしていた。
死という存在が明確になると、人は生に執着し、そしてよく生きなきゃと焦る。
それが人間の命に瑞々しさと初々しさを与えるように思えた。
「俺は弱いよ。お前の言うとおり、弱い人間だ。
 母がよく言っていた。
「人間は泣き叫びながら産まれ、苦しみながら生き、絶望して死んでいく」ってね。
 俺はね、何が怖いって、自分がまだなにも成していないのに死が近づいた事が怖い。
 俺はまだ何も出来ちゃいない。なのに死が近づいた。
 それがね、純粋に怖いんだ」
純粋に怖い。
良い言葉だ。
純粋に怖いんだ。
そうだ、人間はいつも純粋に怖がっている。
恐怖の前では人はみな純粋なんだ。
「環ちゃん、僕はね、ニートと呼ばれている若者がいる事にとても憤りを感じている。
 だって、僕だってニートと同じくらい引きこもりな所があるし、
 ニートというあだ名を付けて一括りにしたのは大人たちの都合だ。
 恐怖の前では誰でも純粋だよ。
 怖いと感じたら人は動く事が出来ない。
 そして、何が怖いって、自分が何も出来ていないという事が怖いんだよね。
 何も出来てないと思うと、死ぬのが怖い。
 死ぬって事は、つまり時間が過ぎるという事だよね。
 僕らは常に時間の経過という『死』を感じているんだ。
 だから怖いんだと思う。何か残さなきゃ、何か成さなきゃって」
目標を強くもっている者、何かやりたいと強く思う者。
信念を強く持っている者は、それだけ一歩一歩が重い。
だから、簡単に一歩を踏み出せる人からみてとても歯がゆく感じるだろう。
そして、一歩の重みに気付いてあげられない人は、彼らを非難するかもしれない。
そのおかげで世の中には第一歩を出せるタイミングを失った若者がいる。
それがニートだと思う。
条件だけ並べると僕や環ちゃんと何ら変わりはない。
僕は、ケンちゃんが神童の打ち上げで
「僕たちはずっとニートです。仕事ください」と言って笑いをとっていたのを思い出した。
「前の時代より今は仕事や人生の目標を見つけるためのレールが少ない気がする。
 ハッキリ言って、今のおじさんおばさん達が生きていた頃よりレールは少ない。
 いや、むしろ多すぎてレールがレールに見えなくなってしまっているのかもしれない。
 だからニートと呼ばれる若者が出てくるのも当たり前なんだよね」
環ちゃんはとても無邪気な笑い方をする。
たぶん、これをみて「かわいい」と表現する人は沢山いるのではないだろうか。
「だって、俺や君だってニートだもんな」
結局そこにいきつく。
そんな弱くて脆い僕らに今後何が出来るのか。
僕には今すぐ答えは出ない。
でも、最近何かが繋がり始めているのは感じる。
前にある詩人から「答えは出るものではなく、出すものなんだ」と言われた。
「環ちゃん、環ちゃんは何を芸術で語っていくの?」と僕は訊いてみた。
「俺はね、人間の脆さを肯定したいんだよ。
 弱くて脆い部分を肯定したい」
環ちゃんはとても正しい事を言う。
そうだ。
癒しではなく、肯定を必要としている時代になってきた気がする。
きっと、僕の出さなくてはいけない答えも、そこにあるような気がする。
全ては繋がっているのだ。
これからも、環ちゃんの創り出す美しい文字達に注目していきたい。

次回は中西さんとの会話を載せます。