水たまり 2
そこに溜まっていた水と、
僕が新たに差し出した水と青い金魚を一瞬にして飲み込んでしまった「穴」は、
何かの生き物の食道かのようにまっすぐと地底へ伸びていた。
僕は暫くその穴を観ていた。
すると、ゴボゴボと水が上がってくる音がした。
僕は青い金魚が一緒に帰ってくる事を期待した。
しばらくその穴をみていると、水が上がってくる音が段々と近づいてきた。
水はじわじわと僕の視力でも届くところまで上がってきていた。
僕は少しずつ少しずつ上がってくるその水をじっと観ていた。
金魚の姿はない。
金魚は恐らくどこかへと行ってしまったのだろう。
僕ははじめからその事を知っていた気がする。
もう、金魚は帰ってこないのだと。
僕は突然突拍子もない胸の苦しみを覚えた。
息が詰まるような苦しさだ。
これは、苦しさというより、切なさかもしれない。
体内で何らかのエネルギーがとぐろを巻き、僕の体を打ち破って外へ出たがっている。
僕は抵抗する事も出来ずに、そのエネルギーの渦を受け入れた。
そのエネルギーは、水かさと共に強くなっていくようだった。
僕の体が爆発しそうだ。
体中の穴という穴から光が漏れている。
水かさはもうみずたまりのいっぱいのところまで来ている。
僕は目から出ている光の強さに眩んで、やがて何も見えなくなった。
完璧な光の世界。
何もない世界。
影すらない世界。
ここは1ではなく0なんだ。
何もない。
無という存在。
それが僕だ。
人は誰かがその存在を認めてくれた時点で1人と数えられる。
僕は今、誰の世界にも存在しない。
僕はエネルギーの一部となって光に変化した。
今なら、何でも受け入れる事が出来る。
何でも。
僕は遠い日の記憶へと飛んでいった。
そこでは僕を男達が囲んでいる。
羽交い締めに合い、身動き一つ出来ないまま、僕は蹴られ殴られた。
蹴飛ばされて地面に叩きつけられると、泥が口に大量に入ってきた。
でも、大地は妙に温かかった。
「母なる大地だ」と僕は少し笑った。
僕の視界には、無数の男達の足が見えている。
その足が振りかぶっては僕の体にぶつかってくる。
それは僕に戦艦ヤマトが大量の敵空挺部隊にリンチに遭っている場面を連想させた。
痛みはもう感じない。
視力も麻痺して、動く物が全てスローに見える。
少し顔を上げてみた。
すると、男達の顔が見えた。
首から上は許せなかった。
彼らがコントロールしている体は許せた。
でも、彼ら自身の象徴である口元の笑みは許し難かった。
僕は、悔しかった。
悔しくて悔しくて、彼らに大切なものを失う辛さを味合わせてやりたかった。
僕は、そのとき、ボロボロに破けた服のまま、小学校の教室にもどって、小さな水槽に入った小魚を殺した。
水槽内の水に酸素を送る管が通っている丸い玉を必死に魚の体に当てて、魚が死んで浮いてくるまで当て続けた。
僕は殺してしまってから死にたいほどの罪悪感を覚えた。
翌日、担任の先生が、「残念ながら、小魚は死にました」とクラスに通達があった。
クラスのみんなはとても残念がっていた。
中には泣き出す女の子もいた。
しかし、あの僕をリンチした男たちは何ともないようだった。
でも、もうそれはどうでもいい。
月日が経ち、やがて僕は卒業式を迎えた。
卒業式の後で、どうしてもあの水槽が欲しいと僕は担任に頼んだ。
担任は「お前は最後まで変わったやつだな」と皮肉っぽい笑顔を浮かべながら水槽を僕にくれた。
あの、汚くて小さい水槽。
小魚をこの酷い世界から自由にしてあげれたという意見だけが僕の唯一の逃げ道だった。
僕はその水槽を大人になるまで大切に保管した。
ナルミという50代の女性が突然僕に青い金魚をくれて、それをその水槽で飼いだした。
そして、その金魚はもう10年も生きている。
いや、生きていた、と言った方が正確なのかもしれない。
僕は、ボコボコに殴られ蹴られたこと、小魚を殺したこと、水槽をもらったことを思い出した。
それだけ思い出すと、僕のいた無の光の世界は一瞬にしてどこかへ吹き飛んだ。
僕の前には水たまりがある。
そのとなりにはボロボロの水槽がある。
僕は水槽の中に水たまりにある水を入れた。
青い金魚のいない水槽。
それはポルトガルの田舎にある古城にも見えた。
ここに入っていた青い金魚はどこにいったのだろう?
死んでしまったのか、それともどこかで自由になったのだろうか。
僕は、大きな海を、くじらと一緒にあの青い金魚が泳いでいるところを想像した。
完








