小学3年生の時の僕は、その道が大嫌いだった。
ひたすら真っ直ぐにのびていて、周りが巨大な駐車場になっているその道は、町の中にある砂漠のようだった。
僕はその道を通る度に何故か切ない気持ちになった。
冬の風にさらされている時でも、夏の炎天下に立たされているかのようなストレスを感じた。
それは倦怠感や無力感にも似た感覚だった。
その道は僕の住んでいるところから電車で1時間半は離れていた。
週に一回の音楽教室に通う時だけしか通らなくて良かったのは、僕にとって唯一の救いだった。
もし、この道が家のすぐそばにあって毎日のように通らなければいけなかったら…。
と想像するだけでゾッとした。
僕は今25歳になった。
中学2年生の時、運命的にあの大嫌いだった道のすぐそばに引っ越してきた。
でも、中学生の頃は色々と忙しくて、小学生の頃に嫌いだった道の事なんてもうどうでもよくなってしまった。
それどころか、気がつくと、25歳の今はこの道が好きだ。
車も通らない、人通りも少ない、スペースも開けていて、ちょっとノスタルジックなこの道が好きだ。
飾り気のない寂しい道だけれど、僕は好んでよく通っている。
今なら僕は知っている。
昔、砂漠のように感じていた駐車場の先に何があるのか。
真っ直ぐどこまで続いているのか。
僕はこの道の表情を知っている。
朝昼夜。
春夏秋冬。
雨が降ったり風が吹いたりするし、雪も時々降る。
僕はこの道を体験したんだ。
だから好きになれた。
何かをちゃんと好きになるには、それなりの「情報」が必要だ。
情報とは知識ではない。
ただ知るだけではだめだ。
何度も通って、いつも近くに感じて、つまずいたり走ったりしてみなくてはいけない。
その通りの名前が何で、何メートルで、どれくらい傾斜があるのかを知っていたって全然好きになれない。
ちゃんと体験しなくては情報にはならない。
そうやって愛が増え、人はまた一つ成長していく。
情報の多さと愛の深さは、比例するのかもしれない。
明日は、その道で口笛を吹きながら歩いてみようと思っている。
完







