コンサートを終えると、シャワーのように降っていた雨が止んでいた。
辺りからは雨に濡れた草木の独特の匂いがしている。
僕は車に乗り込み、夕方前の西東京を走り出した。
「あなたのコンサートに行くのは、私にとって恋人の部屋に行くようなものです」
僕がロシアにいた頃(まだ十代だった)、あるロシア人のお婆ちゃんが僕のコンサートに来てそう言ってくれた。
あれはどういう意味だったのだろう?
7年経った今も、まだちゃんとは理解していない気がする。
でも、やたらと嬉しかったのを覚えている。
僕の車は高速へと入った。
高速道路は時間帯や季節で驚くほど表情を変える。
ちょうど夕日が綺麗に見えたりすると、
高速料金はこの景色を観るための入場料だったのだと思える。
でも、今日はあまり好きな表情ではなかった。
雨上がりの曇り空、三宅坂はいつものように渋滞している。
おかげで西東京から目黒の雅叙園に着くまでに1時間半もかかってしまった。
雅叙園に着くとすぐに假屋崎先生がお声掛けしてくださった。
先生は忙しそうに、前に前に素早く歩き、活き活きとしていた。
「パーティの前にお花を観ていってね」
輝くような金の長髪をなびかせて先生は風のように過ぎ去っていった。
本当に、生命力とエレガントさを纏った素敵な方だと僕は思う。
雅叙園の百段階段に生けられたお花達。
奇跡の融合を果たした花たちとそれを受け止め、その新たなる生命を受け入れる器たち。
百段階段を一段一段上がっていく度に、僕の心はどこかで痛みを覚えた。
僕は強く感動すると心が痛む。
それはまるで、すりむいた傷を消毒するときの痛みだ。
体の中で毒が調和されていくのが分かる。
百段登り切る頃にはすっかり気持ちの良い脱力感が僕に訪れていた。
芸術とは何だろう、美しさってなんだろう。
假屋崎先生の華道25周年記念パーティから帰ってくる頃には、
またシャワーのような雨が地面に降り注いでいた。
黒くなったアスファルトを見ていると、僕は原因の分からない不安に見舞われてしまった。
未来への不安なのだろうか?
それとも…?
何だかもやもやとした暗雲が僕の体内に充満している。
僕と僕の人生はこの先どうなるんだろう。
「迷ってる暇はないよ。お前達はそういう天命なんだ。意味なんか考えるでない」
僕の行きつけのBARのマスターが面倒くさそうに僕にそう言ってくれた。
僕のコンサートが恋人の部屋か。
僕ならずっと入り浸ってしまうな。
恋人の香りが仄かに残り、淡い思い出たちが生きている部屋。
そこから見える眺めはあまり美しいとはいえない。
でも、僕はその景色でさえも愛してしまう。
朝の9時なのに21時と間違えて表示されたデジタル時計や、
無造作に置かれた領収書などにも愛を送らずにはいられない。
切ない。
寂しい。
怖い。
不安。
でも、そんなコンサートにしたい。
愛されるピアノを弾いていたいと強く思う。







