清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2008.05.07

身になった時間

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【生きるって大変だワンの図】


東大の経済学と法律学、慶応の医学。
そんな3人に囲まれて話をしてきました。
僕より2つか3つくらい年下の彼らですが、サッカー仲間なので気を遣わずに話し合えます。
今日もサッカーをした帰りに、ちょっと久しぶりに話そうかという事で、一緒に田町の喫茶店にて近況報告をし合っていました。
僕は、彼らの話を訊くのが前から凄く好きでした。
どうしてか、いつも疲れるくらい話をしても、ストレスが全然ないのです。
それどころか、むしろ、楽しい。
音楽界とは違う、僕の全く知らない世界の事を訊けるからそれが楽しい、というよりは、僕が求めていたものに手が届く、というようなスッキリ感がある。
何故だろう?
今日は、僕がインタビュアーになって、3人の勉強している事を事細かに訊いていました。

あるお医者さんが、倒れた親の手術をすれば、95%成功して、5%失敗すると言う。
「95%で成功するので、殆どの人は成功しますからした方がいいですよ」とも言う。
しかし、手術の結果は、失敗だった。
失敗だった後で「我々は5%失敗すると説明しましたので、責任はとれません」と冷たくあしらわれ、手術が終わった以上もう入院は出来ないという事で、追い出されるように出て行った。
こんな事が、世の中には結構ある。
不条理だけど、しょうがない事。
ブラッドピットの出演していた映画「バベル」でも、不条理だけど、世の中にはしょうがない不幸というものが存在する、というような内容だった。
今日の話でも、それはしょうがないという範囲を出ない答えばかりが出た。
法律的にも問題があるわけではないし、例え訴えたとしても殆ど闘いにすらならないものだという。
経済学はまた面白い事を言う。
正直な事を言うと、僕は経済学というのは、正確に何をやっているのか分からなかった。
法律家は弁護士に、医学生はお医者さんになる。それはシンプルだ。
しかし、経済学者というのは、一体何をしてお金を貰っているのか、イマイチピンと来ない。
色々と質問してみたが、彼自身も、ハッキリした答えが出せない様だった。
それは彼の考えがまとまらないのではなくて、経済学自体が、これと一言で説明出来るようなものじゃないみたいだった。
社会の全てを数値化してそれを基に計算をしたり、統計を取ってみて色々な経済パターンを割り出したり…と、心理学にも数学にも、もっといえば哲学にまで範囲が届きそうな勢いだった。
どこにでも経済学というのは存在する。
音楽にも、法律にも、そして、医療にも。
病院をどこに配置するか、どこに建てたら効率よく患者がいて、お医者さんが通勤しやすくて、などなど、そんなことまでも経済学ではやるらしい。
つまり、経済学者は、色々なシステムを確立するために研究している。
誰にも優しいシステムを創るために欠かせない学問なのだ。
地図上の病院の配置まで司る。
だから、当然病院内のシステムも考えられるのだろう。
そう思って訊いてみた。
「なぁ、その経済学であの95%の問題を解決できないのかい?」
と、口に出してみて、僕は何を言ってるのだろうと思った。
そんなの簡単だ。
医者が口のきき方に気をつければよかったのだ。
経済学の出番じゃない。
医者が「大抵は助かる」と言ったから不幸が起きたのだ。
いや、そうだろうか?
だからといって残りの5%を心配して手術をしなかった事で幸せは訪れただろうか?
それも違う気がする。

「結局、残りの5%という失敗する確率を持っていながら、大抵は助かると言ってしまった医者は確かに悪い。でも、それが無くて、口のきき方に気をつけたからといって、今家族の方が幸せかと言われると分からない。口のきき方に気をつけても失敗したかもしれないし、その時はまた違うところで恨みをかったかもしれない」

「経済学的にも、その一例のために、他の多くのみんなのシステムを変えて貰うわけにはいかない。残りの5%の人のために、95%のリスクを出すわけにはいかない。勿論、その両方が心地よくいくようなシステムを創るのが経済学の仕事だけど、それはそんなに簡単にはいかないし、システム自体が変化するには、かなりの犠牲と時間がかかる」

つまり、口のきき方云々ではなく、仕方がない問題だったという事だ。
と、一同ため息と共に無言になる。
理論はわかった。
でも、何か納得いかない。

「でも、社会を成り立たせている君たちが、君たち自身の口で『しょうがない』と言ってはいけないのかもね。それを言う権利は、社会の専門家である時点で無いのかも。これはさ、初めから理論やシステムの話じゃなかったんだよ。人間性の問題だったんだ。つまり、親の手術が失敗した事実とは別に、冷たくされた、孤独だった、寂しかった、不安だった、といったような気持ちが関わっているんだと思う。それはとても根本的な人間性で、そんなに難しい問題じゃないのかもしれない。つまり、人はシステムの前に、愛を求めているんじゃないか」

一同、ため息まじりに、スッキリした様子。
でも、人の生活を良くしたいという気持ちから成り立ったシステムのなれの果てなのかもしれない、という可能性もある。
経済学では人の幸せをも数値で出して計算するらしい。
あの5%がいつ、誰のもとに訪れるか、それはわからない。
僕かもしれないし、あなたかもしれない。

まぁ、しかし、とにかく、
…とても身になった時間だった。

2008.04.28

祈り

「祈り」という曲がある。
単純な和声に、単純なメロディだ。
特に記述する程特別な技術もない短いノクターンのような曲だ。
メロディをチェロが、伴奏の和音をピアノが弾くというスタイルを想定して作られた。
ピアノだけでも弾く事が出来て、又、歌詞を付けて歌の曲にまで変貌した。
僕が作った曲で、僕以外の誰かが弾いたり歌ったりしているのを聞いた唯一の曲でもある。
この曲は、
僕のために祈ってくれている人へのお返しに何か出来ないかという思いで作った曲だ。
学生の頃は、祈るくらいならチャンスをくれ、と思っていたが、今は違う。
どんな物よりも、祈ってくれているという事実が、僕の心には響く。
孤独な舞台を踏んだ後、嵐の航海のような仕事を終えた後、「ずっと無事を祈っていました」と誰かから言われる事ほど心にしみる事はない。
それを感じるようになったのはロシアから帰ってすぐの事だ。
そして、すぐにこの曲が出来た、というわけである。

そんな「祈り」は、そのシンプルさからか、子供にもよく弾いてもらえる。

そして、またこの祈りを僕の知らないところで弾いてくれている人がいた。
その方は、誰かのためにこの祈りという曲を弾くらしい。
しかし、その「誰か」のために弾くと、決まって途中で詰まってしまうらしいのだ。
感極まって、途中で演奏不可能になってしまうらしい。

僕にもそんな経験がある。

もっと若い頃にはそんな事が沢山あった。
ショパンを弾いていても、ラフマニノフを弾いていても、オリジナルを弾いていても、
一日に一度は、感極まってどうしても弾けなくなってしまう事があった。
困ったことに、時々コンサートでも同じような現象が起こった。
いつもなら演奏を止めて、泣くなり、叫ぶなり、壁を叩くなりしたのだが、
コンサートとなるとそうはいかない。
だから、こらえる。
こらえる。
それしか出来ない。
これが、これこそが僕の仕事だと、そう言い聞かせてこらえる。
そして、こらえるという力を得るのだ。
これが音楽家としての青春だ。
これは決して「青い」という事ではない。
これは、音楽家として深い表現をするために必要なアイテムだ。
同じ言葉でも、
人生経験豊富な老人が言うのと、20歳そこらの若者が言うのでは威力が違う。
同じ曲でも、ピアニストによって説得力が違う。

だから、その方にも、あと一歩頑張って欲しい。

そこが、そこからが、学生とプロの境界線かもしれない。
感極まって、どうしても止めたい時も、自分ではなく、やはり聞かせたい人の事を思って、
なんとか乗り切って欲しい。
その闘いこそが、その葛藤こそが、表現を深いものにするのだ。

僕は、いつもどこかでその事を、祈っている。

2008.04.27

暗闇病

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こうして、スターバックスのオープンテラスでコーヒーを片手に道行く人々を観ていると、
自分がどんどん暗闇の中に吸い込まれてゆく気がする。
いや、気がする、のではなくて、実際に僕を暗闇が包み込もうとしている。
暗闇が僕を飲み込もうとしているのだ。
いつも気を確かに持っていないと、すぐに暗闇は僕を包み込み始める。
僕はこれを「暗闇病」と呼んでいるが、他にも同じ症状を持った人がいるのだろうか?
僕は、このスターバックスが好きだ。場所が良い。
真新しい信号機がある交差点の角に建っていて、商店街にも駅にも近い。
人々は、駅に行くか、商店街に行くか、目標を持って歩いている。
だから、僕がじっと観ている事なんて気にもとめず、
エサを見つけた獣の様に一点に集中して歩いている。
このスターバックスを横切る歩行者は、実に種類が豊富だ。
子供から老人、学生からアルバイトの店員、社会人もいるし、世の中の凡庸さが全てここを横切っていく。
それを僕が、ただの石像のようにじっと座って眺めていると、この世は僕なしでもちゃんと動くという再確認が出来る。当たり前だが。
しかし、そんな疎外感を心地よく思ってぼぅっとしていると、いつの間にか暗闇が足下から浸食し始めている。
いかんいかんと首を振って気を確かに持つ。
ぼぅっとする時間が長いと、いよいよ僕は暗闇になってしまって、影として生きていく事になるのだろう。
それもまあいいか、と頭では思っているけれど、本能がそれを許さない。

しかし、ぼぅっとするとき、ちゃんと気を持っている時からの境界線はどこにあったのだろうと、いつも不思議に思う。
知らないうちに眠っているのと同じで、いつからぼぅっとしていて、いつまで気を持っていたかがわからない。
どんな事にも境界線はあるんだろう。
それがハッキリしていると気持ちがいいが、こういう風に曖昧だと、少し気持ち悪い。
コンサートでステージに出る直前、いつも境界線を感じる。
ここから一歩出たら、もう後戻りできない。
別れ道と似ているかもしれない。

…と、交差点の角に立っているポールに気付く。
白くて背の低いポールだが、少し曲がっていて、
車か何かに擦られたような黒い傷跡が無数にある。
しかし、この交差点は車が入ってくる頻度は他の交差点に比べて極度に少ない。
特に、ポールが立っているところは、商店街への道で、商店街は夜まで車両進入禁止だから、擦られる程車が入っているとは思えないのだが…。
時々入ってくるトラックとかが擦っていくのかな。
大体、あんなところにポールが立っていた事自体、僕は今まで気付かなかった。

コーヒーは既に冷めてしまった。
まだマグカップに半分以上残っているコーヒーは、風が通ってテーブルが少し揺れる度に、夜の海の様に波打っている。
目を瞑ると、目の前に絶対的な暗闇が押し寄せた。
コーヒーの黒とはまた違った黒だった。
春の緑と同じように、様々な黒が存在する。
そして、僕は暗闇に浸食される。
ポールを観たのがきっかけで、暗闇はまた僕を喰らい始める。
きっと、今目を開けても、また違った黒が広がっているのだろう。
僕は、さっきまでテラス席に座っていたのに、いつのまにか影だけになっているんだ。

暗闇病は、誰にでも襲いかかる病気だ。

ほら、あなたの足下にも…

2008.04.21

キラキラしあわせ

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人生の節目というのは、どうして涙が出るんだろう。
昨日、僕の仲の良い幼なじみが結婚しました。
僕は友達代表でスピーチしましたが、今更真剣になり過ぎる事もないくらい仲が良いので、
少し冗談を交えながら、色々と話しました。
でも、それでも、
幸せそうな二人を見て、とてもキラキラしていて、どうしてか涙が出そうになりました。

「なんでだろうね?人生の節目には感動がある」

思わずそう言ってしまった。
そして、ちょっと言葉に詰まってしまって、でも、最後は笑顔でおめでとうを言えました。
二人とも、本当におめでとう。
末永く、お幸せにね。

2008.04.19

別れ道

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今僕は別れ道の前に立っている。
人生という名の別れ道だ。
僕は、どっちが正しい道で、どっちが間違った道か、どうしてだか分かっている。
でも、明らかに、正しい道の方が険しい。
岩がデコボコしているし、崖っぷちだし、蜘蛛や蛇などが出そうな気配もする。
それに対して間違った道といえば、綺麗に舗装されていて、とても歩きやすそうだ。
誰がどうみても、間違った道を行く方が簡単だし、楽ちんだ。
でも、それでも、正しい道がどっちだかは、ちゃんと分かっている。

今はまだ別れ道の根本に立っているから、どっちの道に入るのにも1,2歩あるけばいい。
だから、間違った道にちょっと入ってみて、すぐこの分岐点に帰ってくる事も容易だ。
でも、しばらく歩いてしまったら、もう戻ってこられない。
今は1,2歩の差でも、しばらく歩いてしまったら、もう取り返しがつかなくなる。
だから、いつも人生という名の道に迷い込んでしまう時は、1,2歩の差なんだ。
初めは1,2歩の差だ。
でも、後で、何千、何万、何億歩という差がついてしまう。
それを理解出来ているのに、僕は時々間違った道を行ってしまう。
どうしてだろう?
それは、険しい道を行く勇気と体力がないからだろう。
間違えと分かっていながら、楽な方を選んでしまう。
そんな自分が嫌いだ。
いや、こうして口に出して「嫌いだ」なんて言っている自分も嫌いだ。

でも、今まで幾度となく間違った道を選んでしまったけれど、後悔はしていない。
反省はしているけれど、後悔はない。
人生という道は、一度歩くともう二度と同じ道を歩く事は出来なくて、いつも先に先にと進んでいなくてはいけない。
立ち止まる事は出来るが、戻ってもう一度という事は、絶対に出来ない。
だから、全ての「もし」は僕の想像でしかないけれど、でも、僕はこう思う。
あの時、正しい道を選んだとしていても、途中の道は違えど、今僕が歩いている道に出たのではないかと。
そう、間違いを選んでも、それを無かった事にする事は出来ないが、より険しい正しい道を経由する事で、もとの正しい道に戻る事が出来るんだと思う。
だから、途中で痛い目にあったりしたけど、今はまた正しい道に戻っていて、ちゃんと歩いていると思う。
でも、今でも時々また間違った道を選択している。
なんて学習能力のない奴だと思うけれど、体がどうしても険しい方に向かない時が、あるんだ。

道の間違いはそれだけじゃない。
選択の間違いだけではなくて、歩き途中の行いでの失敗がある。

僕は、その間違いもしばしば犯す。

善人ぶって、人の荷物を持ってあげたり、もっとおせっかいな時には、自らの命を呈しておぶってあげちゃう事もある。
でも、歩き続けて、それが段々苦になってきてしまい、全て放り出してしまうのだ。
自分から親切を与えておいて、後で奪う、最低な奴だ。
でも、どうしても全てを放り出したくなる衝動が、僕には発作的に現れる。
だから、初めから親切なんてしなきゃいい、善人ぶらない方がいいのに、それでも、自分がいい人になりたくて、それに憧れていて、どうしても挑戦してしまう。
いい人という仮面をつけて、それで歩いているから、本当に心からあふれ出る親切じゃない親切をする事がある。
でも、それを続けていると、自分が本当に親切な人なのか、そうじゃないのか、わからなくなってくる事がある。
そうすると、なんだか本当に親切ないい人になれたようで、とても嬉しくなる。
でも、ある日突然それが音を立てて崩れる。
それで、信じられないくらいの速さで走って逃げてしまう。
走って走って走って、走りすぎて、どうして自分がこんなに走っているのか分からなくなった時に、ついに力尽きて立ち止まる。
そして、親切にしていて逃げ出してしまった人が後ろから追い抜く時までずっと立ち止まっている。
当然、追い抜く人は僕を白い目で見る。
「お前は最低な奴だ。偽善者だ。初めから親切なんてしなきゃいいんだ」
そんな目で僕を見る。
そして、全てが去った後、僕は、間違いと分かっていながら、険しい道を行く気力がないもので、楽な道を選んでしまう。
そして、また一つ、心に傷を負い、自分が嫌いになる。

人生なんて、それの繰り返しだ。

でも、僕は今日も諦めない。
自分がいい人になれる日が来ると信じている。
だから、こんな僕でも一緒に歩いてくれている人、途中声援を送ってくれている人、本当に感謝している。
言葉に出来ないくらい感謝している。(実際にいつもコンサートの時言葉にならない)

人生という名の道は山道で、きっと、最後、頂上に到着したときには、今まで歩いて来た道が一目瞭然に見えるのだろうと思う。
それで、僕は今までを振り返って懐かしむ。慈しむ。
「あそこで間違えなくてよかった。あそこをあのまま進んでいたらがけだったんだ。危なかった。あの時の選択は正しかったな。おや、あの人、まだあそこで迷っている。」
そんな事を想いながら、ゆっくりと腰を下ろして、死んでゆきたい。
頂上には、途中、僕の偽善で迷惑をかけた人もいて、謝る事が出来る。
「あの時は本当にごめんなさい。今となっては、何が善なのか、ちゃんと理解しました。あの時、僕は無理をしてあなたをおぶってあげたり、持てもしない重い荷物を無理して持ってあげようとしたりしなくて、ただ、一緒に世間話でもして、楽しく歩けばよかったのですね。あなたは、僕のおせっかいを期待していたんじゃない。僕と一緒に歩いて、励まし合い、孤独を感じずに歩く事を欲していた。それは僕も同じでした。だからこそ、いい人になろうと無理をして…」
そこまで言うと、その人は何かを悟ったような優しい笑顔をしながら言う。
「もういいんですよ。終わったことです。確かに、あの時私は傷つきましたし、大変な思いをさせられました。でも、今となっては、良い思い出です。本当ですよ。良い思い出なんです。人生って、そんなものだ。歩き続けてさえいれば、こうやって、いつかは全て良い思い出となって心のポケットにしまえるのです」
僕は頷いて、目を瞑り、その人に別れを告げ、そして感謝を告げ、独りになる。
死ぬ時は密やかがいい。
でも、その孤独は寂しいものじゃない。
今までの道を振り返りながら、まろやかな気持ちになれる孤独だ。

きっと、歩き続けた最後には、そういうのが待ってる。

僕は今また別れ道の前に立っている。
そして、僕はいつものようにどっちが正しいか、何故か知っている。
僕は、険しい方を行くつもりだ。
この道の先に何が待っているのか分からないけれど、それでも、険しい方を行くつもりだ。

僕はいま、人生という名の道を、歩いている。

あなたも、その道のどこかを、歩いている。

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