身になった時間
【生きるって大変だワンの図】
東大の経済学と法律学、慶応の医学。
そんな3人に囲まれて話をしてきました。
僕より2つか3つくらい年下の彼らですが、サッカー仲間なので気を遣わずに話し合えます。
今日もサッカーをした帰りに、ちょっと久しぶりに話そうかという事で、一緒に田町の喫茶店にて近況報告をし合っていました。
僕は、彼らの話を訊くのが前から凄く好きでした。
どうしてか、いつも疲れるくらい話をしても、ストレスが全然ないのです。
それどころか、むしろ、楽しい。
音楽界とは違う、僕の全く知らない世界の事を訊けるからそれが楽しい、というよりは、僕が求めていたものに手が届く、というようなスッキリ感がある。
何故だろう?
今日は、僕がインタビュアーになって、3人の勉強している事を事細かに訊いていました。
あるお医者さんが、倒れた親の手術をすれば、95%成功して、5%失敗すると言う。
「95%で成功するので、殆どの人は成功しますからした方がいいですよ」とも言う。
しかし、手術の結果は、失敗だった。
失敗だった後で「我々は5%失敗すると説明しましたので、責任はとれません」と冷たくあしらわれ、手術が終わった以上もう入院は出来ないという事で、追い出されるように出て行った。
こんな事が、世の中には結構ある。
不条理だけど、しょうがない事。
ブラッドピットの出演していた映画「バベル」でも、不条理だけど、世の中にはしょうがない不幸というものが存在する、というような内容だった。
今日の話でも、それはしょうがないという範囲を出ない答えばかりが出た。
法律的にも問題があるわけではないし、例え訴えたとしても殆ど闘いにすらならないものだという。
経済学はまた面白い事を言う。
正直な事を言うと、僕は経済学というのは、正確に何をやっているのか分からなかった。
法律家は弁護士に、医学生はお医者さんになる。それはシンプルだ。
しかし、経済学者というのは、一体何をしてお金を貰っているのか、イマイチピンと来ない。
色々と質問してみたが、彼自身も、ハッキリした答えが出せない様だった。
それは彼の考えがまとまらないのではなくて、経済学自体が、これと一言で説明出来るようなものじゃないみたいだった。
社会の全てを数値化してそれを基に計算をしたり、統計を取ってみて色々な経済パターンを割り出したり…と、心理学にも数学にも、もっといえば哲学にまで範囲が届きそうな勢いだった。
どこにでも経済学というのは存在する。
音楽にも、法律にも、そして、医療にも。
病院をどこに配置するか、どこに建てたら効率よく患者がいて、お医者さんが通勤しやすくて、などなど、そんなことまでも経済学ではやるらしい。
つまり、経済学者は、色々なシステムを確立するために研究している。
誰にも優しいシステムを創るために欠かせない学問なのだ。
地図上の病院の配置まで司る。
だから、当然病院内のシステムも考えられるのだろう。
そう思って訊いてみた。
「なぁ、その経済学であの95%の問題を解決できないのかい?」
と、口に出してみて、僕は何を言ってるのだろうと思った。
そんなの簡単だ。
医者が口のきき方に気をつければよかったのだ。
経済学の出番じゃない。
医者が「大抵は助かる」と言ったから不幸が起きたのだ。
いや、そうだろうか?
だからといって残りの5%を心配して手術をしなかった事で幸せは訪れただろうか?
それも違う気がする。
「結局、残りの5%という失敗する確率を持っていながら、大抵は助かると言ってしまった医者は確かに悪い。でも、それが無くて、口のきき方に気をつけたからといって、今家族の方が幸せかと言われると分からない。口のきき方に気をつけても失敗したかもしれないし、その時はまた違うところで恨みをかったかもしれない」
「経済学的にも、その一例のために、他の多くのみんなのシステムを変えて貰うわけにはいかない。残りの5%の人のために、95%のリスクを出すわけにはいかない。勿論、その両方が心地よくいくようなシステムを創るのが経済学の仕事だけど、それはそんなに簡単にはいかないし、システム自体が変化するには、かなりの犠牲と時間がかかる」
つまり、口のきき方云々ではなく、仕方がない問題だったという事だ。
と、一同ため息と共に無言になる。
理論はわかった。
でも、何か納得いかない。
「でも、社会を成り立たせている君たちが、君たち自身の口で『しょうがない』と言ってはいけないのかもね。それを言う権利は、社会の専門家である時点で無いのかも。これはさ、初めから理論やシステムの話じゃなかったんだよ。人間性の問題だったんだ。つまり、親の手術が失敗した事実とは別に、冷たくされた、孤独だった、寂しかった、不安だった、といったような気持ちが関わっているんだと思う。それはとても根本的な人間性で、そんなに難しい問題じゃないのかもしれない。つまり、人はシステムの前に、愛を求めているんじゃないか」
一同、ため息まじりに、スッキリした様子。
でも、人の生活を良くしたいという気持ちから成り立ったシステムのなれの果てなのかもしれない、という可能性もある。
経済学では人の幸せをも数値で出して計算するらしい。
あの5%がいつ、誰のもとに訪れるか、それはわからない。
僕かもしれないし、あなたかもしれない。
まぁ、しかし、とにかく、
…とても身になった時間だった。