清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2008.04.16

DIARY

IMG_0921.JPG


調布グリーンホールでは沢山の皆様にお集まり頂き、とても幸せでした。
かわいい後輩の鍵富弦太郎もこれからよろしくお願いしますね。
僕は音楽家とあまりうまが合わない傾向にあるのですが、彼とはとても気が合います。
音楽よりもサッカーで関わっていた方が長いからかなぁ。
共演は少し苦手分野だったけれど、これからバシバシやっていきますよ。
これからも僕の紹介する素敵なアーティスト達を見守っていて下さい。

会場には、誰でもピカソの時に一緒だったダンサーのタカヒロさんが来てくれました。
その後楽しくご飯を食べに行き、ご自身も今、
宝塚とホリプロのミュージカルの振り付けをやっていて
やり甲斐があるといったお話とか、
久しぶりにNYから帰った、たかぴぃに会えてとても嬉しかったぁ。

みゅーじんも無事にOAが終わり、ひとまずホッとしました。

その翌日にはヤマハの講座収録がありました。
僕は普段3時間くらいしか眠れない人ですが、
流石にコンサートとみゅーじんの翌日AM5時30分起きは辛かった…。
でも、講座はしっかり収録しておいたので、是非ヤマハ店頭等でOAされたら観てみて下さいね!

今日は、先日渡辺俊幸さんの曲と熊木杏里さんの曲を
レコーディングした映画「天国はまだ遠く」の試写を観てきます。

その後渡辺さんとお寿司へ!!
渡辺さんは精神世界にお詳しいようなので、色々とお話したいと思います。
楽しみだぁぁ。

熊木さんもコンサートに来てくれました。
皆さんちゃんとサイン貰いましたかー?
映画の長澤監督やその他の方々も、チームで来てくれました。
お忙しい中、お越し頂いて、本当にありがとうございました。

とにかく、いつもお顔を見せてくれている方、初めてお顔を拝見した方、
たかぴぃ、熊木さん初めとする暖かく見守ってくれている方々、本当にありがとうございます。
僕は、皆様のおかげで今音楽を愛していられる。
条件付きの愛は本物じゃないかもしれないけれど、今はそれしかないのです。

以前、ある方から「子供を見ていると人の表現というのがよくわかる」と聞きました。
本当においしいものを食べたとき、もう、その驚きの表情ときたら、とてもストレートだそうです。
そして、「おいしい…」という言葉しか言えないのだそうです。

その気持ち、とてもよく理解出来ます。

僕も、あのステージで、皆様から暖かい愛の籠もった拍手を頂くとき、何も言えない。
   ただ、ひたすら、
        ありがとう
            と言うしかないのです。
皆様、本当にありがとうございます。

批判も含め、僕は皆様から話題にされるだけでも、とても幸せです。

2008.04.13

先の見えない道

IMG_0913.JPG

今日はみゅーじんが放送されます。
22時54分から?
今日は僕もどこかでOA観られると思います。
本当は恥ずかしいから直視出来ないと思うけれど…
とにかく、良ければ観てみて下さい。
NAOTO兄さんもちゃんと出てるかなぁ。
ほとんどOAでは使えないような事ばっかり言ってたからなぁ〜(-_-)

今日は今から調布に行きます。
今日の共演者である後輩の鍵富弦太郎は家が近いので車で拾って行きます。
今年は、始まってから既に色々とありました。
自分で選んだ道とはいえども、苦しい事は苦しいし、辛い事も沢山ある。
好きでやってるんだから、という言葉は幾度となく心に突き刺さりました。
他にも辛い人は沢山いる、もっと大変な思いをしている人は沢山いる…

そんな事関係ないと思う。

人間の苦しみというのは、花粉症と一緒でその人の免疫力によってその辛さが変化する。
同じ辛い出来事でも、何ともなかったかのようにテクテクと歩いて行けるような人と、それで自殺を考えてしまう程ダメージを受ける人とがいる。
他なんか関係ないじゃないか。
…やめよう。
僕は何を書いているのだか。

例えば誰か1人の命と引き替えに世界を救えるとして、
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ。
だけど、HEROになりたい。
ただ1人、君だけのHEROになりたい。

死ぬほど好きなミスチルのHEROの歌詞で収集つけます。

僕は人生を道に考える。
今日、今歩いているこの道は、一体どこまで続いているのだろう。
カーブで先が見えないからこそ、先に期待が持てる。
パンドラが最後に残してくれた予知という絶望。
それはまだ僕らに降りかかってはいない。
そう、今日のコンサートも、どうなるか分からないからこそ、希望がある。
癒すだなんておこがましい、幸せにするなんて口が裂けても言えません。
でも、生きている実感が持てる時間を創り出したいと思います。
後輩の鍵富弦太郎もよろしく。

2008.04.09

DIARY

いつものようにスターバックスのテラス席に座って、少し周囲の様子を見てみる。

テラス席には僕の他に女子高生が3人座っていた。
制服を着ていなくて私服なのだが、大体の雰囲気で高校生くらいだと分かる。
もし大学生でも、20歳はいっていないのは明らかだろう。
3人ともとても大きな声で話していて、時折歩行者が驚いて振り向く程だ。
子供から大人に移り変わる年頃で、話し方は子供、見かけは大人といったところだろう。
本人達は大人の意識なんて殆ど無いだろうし、まだ子供でいるつもりなのかもしれない。
しかし、子供は自らを子供だとあまり言いたがらない。
僕も子供の頃、大人にやたらと子供扱いされる事に嫌気がさした覚えがある。
勿論、大人の話は理解出来ない事も多かったが、解る事もあった。
理解出来る事もあるのに、
子供だからという理由で話してもらえない事をとても残念に思った。
理解してる事を話す事が出来たら、大人と子供という壁を破ってもっとお互いの事を解り合えると思った。

そんな事を考えていると、3人のうちの1人が煙草を吸い出した。
当たり前のように火をつけて、当たり前のように肺から煙を出した。
煙草を吸う姿というのは、どうして悪く見えるのだろうか?
とても不思議だ。
眠気と共にやってきた欠伸をするように煙を吸い込み、
「なに?何か文句あんの?」というようなけんか腰な感じで煙を吹かす。
その後彼女は暫くぼーっと遠くを見るような目をしていたが、突然何かに気付いたかのようにピクっと動いて煙草を灰皿に押しつけた。
何をそんなに急いでいるのかと尋ねたくなる程、それは素早い動きだった。
丸で、嫌なことを振り払うかのようにも見えた。

僕はブラックコーヒーを口にした。
香ばしい苦みが口の中に広がって、煙草の煙の嫌悪感はどこかへ行ってしまった。
マグカップをテーブルに置くと、僕は村上春樹さんの本を読み始めた。
ほろ苦い青春を書いたノルウェイの森。
本当にほろ苦いだろうか?いや、違う。ほろ苦くない。
苦いを通り越して、痛い。
痛いけれど、時間の経過が堅さをほぐして、痛い程の過去ともちゃんと対面して受け入れて話が出来ているような穏やかさがあった。
でも、とても切ない。
儚い。
僕がそんなノルウェイの森を読んでいると、右隣にお婆ちゃんが座った。
僕が座っていたのはテラス席の右の一番端っこだったから、お婆ちゃんが座ったのは席ではなくて、ただの花壇だった。
冷たかろうに、不憫だと思って「こっちに座ったら如何ですか?」と訊いた。
すると、「いいえ、いいんですここで、ちょっとだけ用事があるだけだから」と返した。
それから少しすると、お婆ちゃんは自分の携帯で電話を掛けた。
「あ、よしこさん?あのね、悪いんだけれど、わたしの靴を持ってきてくれないかしら。
 茶色のでいいから、よろしくお願いね。え?大丈夫よ。何か靴が壊れちゃって歩けないの
 よ。今あの、交差点、交番の近くの、えーと、ほら、何て言いましたっけ?えーと、
 喫茶店の…」
とお婆ちゃんは僕の方を見た。
「スターバックス」
僕が静かにそう言うと、お婆ちゃんは「そうそう、スターバックス」と楽しそうに話した。
「じゃあよろしくお願いね」
そう告げるとお婆ちゃんは電話を切って、とても優しい微笑みで僕にお礼を言った。
数分でよしこさんは来た。
よしこさんは言いつけられたように茶色の靴を持ってきて、おばあちゃんに渡した。
どうやらパジャマのまま出てきたようで、僕の目をとても気にしていた。
そして、お婆ちゃんの壊れた靴を見て、
「これは不良品ねえ、いけないわ」
と一言苦情を言ってから、すぐに自転車に乗って帰って行った。
おばあちゃんはまだ用事があるらしく、街の中央へ向けて歩き始めた。
お婆ちゃんが歩き出すと、右足を引きずっているのに気がついた。
そして、右足が履いている靴へと目を向けると、右足の靴底が左に対して著しくダメージを受けているのが一目で分かった。
右の靴底だけがすり減って、左と比べると、同じ靴ではないような形になっている。
僕はそのすり減った右靴底を見て、何故かとても感傷的な気持ちになった。
その言葉にも出来ないような感傷的な気持ちを、お婆ちゃんの微笑みが優しく包んでくれるようで、とても温かかった。

相変わらず3人の女子達はうるさくしゃべっている。
そよ風が僕の頬を通り過ぎる。
もう、いよいよ春が本格的に暖かさを思い出してきた。
あの右足の悪いお婆ちゃんは既に街の人混みに飲み込まれていった。
僕は村上春樹さんの著書を引き続き読む。
コーヒーは冷める。
そして、人生は着々と死というゴールに向かって歩みを続ける。
僕は、今日も、生きている。
明日は、もう少し、ピアノを弾く予定だ。

2008.04.08

今日は世間話

IMG_0944.JPG
【熊木杏里さんのレコーディングに参加してきましたぁ^^】


「だからー!!これじゃあNAOTOさんみゅーじんで全然出れないじゃないすか!!」
「うひょひょひょひょひょー。だから言ったじゃん!出れないようにするよって!!」
「あぁーーもう、このどS!!なんでそんな意地悪するんですかーーー!!」
「え?だって楽しいんだも〜ん。この、ど・え・む☆」
「ど。え。む。じゃないっすよーーーーーーぉ!!」
と、ここでNAOTOさん葉加瀬太郎さんの情熱大陸の曲を弾く。
「あぁーーーわわわわ!!それ裏番組だからっ!!もう、どうすんのおおおおおぉ!!」
「うひょひょひょひょひょひょ〜〜〜〜〜!」

上記は、大阪いずみホール楽屋裏でのNAOTOさんとのやりとりです。
みゅーじんの取材カメラが入るとのことで、NAOTOさんと仲が良いところが見せられる!
と、思っていたのにぃ…^^;
本当にNAOTO兄さんはどSなんだから。
でも、僕ってそんなにどMなのだろうか…。
自分ではそう思わないけれど、そういえば、僕の親友達はみんな…どSだぁ…。

それにしても、NAOTO兄さんはかっこええーー。
クラシックの世界でもばりばりいけちゃう兄さんは、ロックヴァイオリニスト。
そこがまたええーーー。
僕なんか楽屋で着替えてる兄さんの事みちゃったもんね〜〜だ。
NAOTOファンの皆様、いいだろおう。

最近少しずつコラボが多くなってきた。
熊木杏里さんとのレコも最高に楽しかった。
音楽家として充実出来た時間だったです。
杏里さんはとても奥深い歌詞を淡々と歌ってのけるそのお人柄も魅力です。
でも、どこかに「本当は切ない部分を持っている」というような意味深な音楽性があって、
なんだかほっとけないような気分にさせられる、とても小悪魔でステキな歌手さんです。
ご本人は小悪魔な感じではないように思えましたが、ほんとのとこどうなんだろう?笑

ボクという歌詞がとても似合う歌声でした。
「こと」という曲です。
先日レコーディングしてきた某映画でも聞けるし、きっと杏里さんのCDでも聞けるのかな?
ご期待下さい!!
実は、このレコーディングに行く時の車の中で、意味不明の鬱に見舞われた僕でした。
あの、最近出来た山手トンネルに入った瞬間、何かに取り憑かれたかのように心が哀しみに覆われてしまい、今にも涙が出そうでした。
でも、涙を体が欲していたような気もします。
汗のように涙が出る事って、ありませんか?
でも、涙で出さずに、レコーディングの時音で出そうと、我慢しました。
それで、素敵な歌声と共に切ない音が弾けたと思います。

その数日後、六本木にある知り合いのお寺で御祓いをしてもらいました。
40分くらいかかったかな。
僕、実は「生き霊が憑いてるよ」と3人くらいに言われた事があります…!!!!
初めて言われたのはサントリーの小ホールでリサイタルをしたとき。
何年も前ですが、その時の衝撃は強く覚えています。
占い師と名乗る見知らぬ女性客から、「とても素敵な演奏でしたが、あなた、生き霊が憑いてるから、気をつけてね」と、笑顔で…。
その夜、自分の家のロフトで寝ていると、ロフトに掛かっているはしごをゆっくりと髪の長い貞子風の女性が登ってくる夢を見て、飛び起きてしまいました。

僕はお化けは見えないけど、負のエネルギーやオーラを感じる事に繊細だと言われました。
確かに、今までの人生で、怪奇話はいくつか体験済み。
とっておきの怪談話、お話しするのは、もう少し熱い季節になってからにしましょう。
でも、御祓いとか、信じる信じないは別として(僕は信じてます)、してもらうと本当にスッキリした気分になるし、言葉では言い表せない感動を覚えます。
人から祈って貰う事って、こんなに心地よい事なのかと、実感できました。

皆さんも、是非御祓い行ってみて下さいね!
ほら、今、あなたのうしろ…

2008.04.06

ライオンの手紙3

あなたさまがわたしの下らない話をお聞きになってくださった事、とても感謝しています。
感謝しているからこそ、あなたさまに言っておきたいと思ったことがあります。
これを読めば、どうしてあなたさまをわたしが友達に選んだかがわかるでしょう。

あなたさまへ
あなたさまはとても臆病で繊細な存在です。
だから、わたしたちといつでもシンクロできます。
いつでも、わたしたちに助けを願って下さい。
わたしたちも、あなたさまから勇気をもらっていますので。
最近のあなたさまは、少々周りが見えていません。
自分本位になりがちです。
わたしたちはとても可哀想な存在ですが、でも、自分を可哀想だと思ってはいけません。
それは、とても下品な事だとわたしの父は言っていました。
父はとても勇敢で、生きることの困難さを乗り越えられた数少ないライオンです。あぁ、また話が脱線しそうです。
とにかく、自分に誇りと責任だけは持つようにしたいものです。
弱いからこそ、勇気を得る事が出来るのです。
弱いからこそ、はじめから強い者には出来ぬことが出来るのです。

そこまで読むと、僕は、夢から醒めた。
そして、深いため息をつき、熱いコーヒーを飲み、食パンを一囓りした。
その食パンの噛みついた後が、どうにもライオンのあの太い手の形に似ていて、少し笑ってしまった。
ライオンくん、ありがとう。

自分の事を見つめ直してみようと思う。

科学にしても、医学にしても、心理学にしても、音楽にしても、人は不思議な学問を思いついたものだと僕は思う。
いや、学問自体、とても不思議だ。
宇宙の秘密くらい、僕には不思議だ。
音楽の勉強なんてしてるとき、僕は本当に嫌な気分になる事がある。
嫌な気分というか、不思議で違和感があって、気分が悪くなる。
もとは音楽というのは、人に感動を与えたり、ステキな一時を共にしたり、過ごす時間をちょっとだけ飾ってあげたりする役割だと思う。
つまり、人が評価してやっと成立する事だ。
人が感動する事には、幾つかのマニュアルがある。
音楽でいえば、和声だったりメロディだったりリズムだったり、色々なパターンがある。
人が感動するパターンがあるから、僕らは近道をするためにそれらを学ぶ。
でも、人って僕たちの事だ。
だから、本当はそんなの勉強しなくても僕らの中にあるということだ。
つまり、人間が猿から進化したときに、何らかの理由で創り上げた感覚なんだ。
人間が自ら創りだしたものなのに、創っておいて複雑になり過ぎて、今それがどんな仕組みかわからなくなった。
初めは一本のシンプルな綱なのに、色々と巻き付けて結びつけてたら、どうやって解けばいいかわからなくなった。
それが学問の始まりだ。
いや、綱をとくという行為自体に、意味がついたのかもしれない。

とにかく、僕は考えるという行為をとても空虚に感じる事がある。

自分でつくっといて解らなくなったから、よく考えてみる。
それがとても空虚に感じる事がある。
でも、学問は必要だから、怠ってはいけない。
学問は、学んでおいてから、何とでも言えばいい。
意味がなかったなら意味がなかったと。

創り上げようという単純な気持ちから始まった僕の人生という道。
歩き続けて歩き続けて途中小走りに走り出して最終的には段々ペースを上げて全速力に。
でも、気がつくと、何で走っていたのか忘れる。
つくづく、人生は学問と似ていると思う。

でも、きっと走り続けている事に後悔はないのだと思う。

ただ、走ってるからってぶつかった人にごめんも言えないようではいけないね。
ライオンが言うように、周りが見える程度に走る事が、一番いいペースなのかもしれない。
それが、一番難しいんだけどね。

ライオンのように勇ましそうに見えても、中身はとても繊細だったりする。

微笑み鬱病という言葉だってある。
社会的には微笑みという仮面をつけているが、その下の素顔は死んだ魚のように生気を失っている。

仮面の下の哀しみを、そっとわかってあげれるような人間になりたいと、僕はそう思った。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43