清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2008.03.06

弦打楽器の友達

狭い楽屋の一番端っこで、壁と同化したくて、呼吸もろくにせずに座っていた。
僕は、ずっとこうやってじっとしていれば、
そのうちこの狭い部屋の「角の一部」となれると思っていた。
そう、壁になって、僕は消えるんだ。
「出番です」とスタッフがこの部屋を訪れる時には、僕は既に壁の一部となっている。
それで、この心臓が違う生き物のように激しく膨らみは縮んでいる現象も何ともなくなる。
それで、僕は何も弾かなくてよくなる。
このピアノ地獄から逃げ出せる。

かくして、僕はもう二度とコンクールに出る事もなく、この大阪にあるホールの楽屋の一部となって、一生を気楽に、のんびりと暮らした…

とはいかない。勿論。
壁の一部になってもうすぐ来る出番を逃れる、という変人的な妄想をしていると、案の定素晴らしいタイミングでスタッフの人が僕の楽屋を訪れた。
「出番ですよ」
僕は、心の準備が出来ていないまま(というか現実逃避しかしてない)、
ステージに放り出された。
仕方なくピアノの鍵盤に手を置いて、一音目を義務的に出してみる。
なんだか空っぽだ。
どうしてピアノを弾いているのか、何故ここにいるのか、全く意味がわからない。
しかし、動きの連続で、手が勝手に弾いている。
そこには丸で心はない。
あるのは体だけだ。
心はまだあの楽屋にいる。
体だけが焦ってステージに出てきてしまって、心がまだついてきていない。
手だけが感情と意志を持って一生懸命に動いている。
そんな不思議な現象を僕は目の当たりにしている。
幽体離脱のように不思議だけど、これを非現実だと思ってはいけない。
「こんな事あるわけない」
なんて思ってしまうと、とたんに魔法はとけてしまう。
本当に非現実になってしまうのだ。
だから、今目の前で起こっている嘘のような本当の現象を、
心から受け止めなくてはいけない。
無心。
それだけが、心がこのステージに遅れて出てきてくれるまでのポイントだ。

5分もすると、やっと遅れて心がステージに来てくれた。
よし、これでもう大丈夫。
後はいつも通り弾くだけだ。
何百回、いや何千何万回と弾いた。
後は、いつも通り…
え?いつも通りってなんだ?
いつもどうしてたっけ?
もうすぐ一番の難所が待ち受けている。
どうしよう、このままでは、いつも通りがわからないから、どうしていいか分からない。
あの難しい場所を、どうやって弾けば良いんだ。
あぁ、もう後5章節くらいで難所が来てしまう…。
…4.3,2,1。

    「えい、こうなったらもう何でも良い、思い切りやってしまえ!」

その後の記憶はあまりない。
この間、たったの12分。
この12分のために、1年間全てを費やしてきた。
一度きりの挑戦で、二度目は絶対無い。
人生で、絶対に一度のチャンス。
そして、このコンクールで優勝しなきゃ、もうピアニストになれないと、言われている。
「死んでも良い」
矛盾しているけど、中学2年生だった僕は、このチャンスを手に入れられるならば、
死んでも良いとさえ思っていた。
ドラゴンボールに願いを叶えてもらえるならば、かわいい女の子でも、永遠の命でもなく、
このコンクールに優勝したい、という願いだった。
その本番だ。
予選も準決勝も勝ち抜いた。
後は、このファイナルだけだ。
その演奏を今していて、もうすぐ終わる。
そうだ、僕の人生が終わる。
それくらいの勢いだ。それくらいの感覚を持っている。
…あ、そんな事を考えているうちに、もう少しで終わる。
そう、この和音が出てきたら、あとこうして、ああして、こうやって、ちゃんちゃん。
終わり。

心は落ち着いているけれど、体がおかしい。
視界が黄色い。酸素不足だ。
立ち上がってお辞儀しなくてはいけないのに、足に力が入らない。
全身がけいれんしていて肺が痛くて心臓も痛くて腰のあたりの感覚がなくて左足が…
ようやく立つと、そんな僕の苦労もしらずに、審査員達が偉そうに頷いたり無視したり視線をわざとらしくそらしたり何だか知らないけど紙にメモしたりしている。

「もうやめよう。もう終わったんだ僕。いいんだ。もう泣いて良い。壁になったように、
 一生を眠って過ごそう。もう、終わりだ。二度とステージには上がらない」

いつもいつもそう思ってた。
落選するくらいなら死んだ方がましだ。
そんな意識が呪いがとけないから、僕はいつも苦しんでいた。
12時間も13時間も練習しても、その呪いはとけない。
眠れば夢に出てくるし、起きれば散歩をねだる犬の遠吠えのように僕を催促する。

それでも、好きだから、未だにピアノを弾いている。
もう、何百年も弾いているような感覚だ。
そんな事を考えていたら、荒川さんと村主さんが氷の上で回っていた。
ジャンプの直前に見せるあの表情。
硬直して、一瞬体と心が遅れて見える。
ジャンプしながら回転している体の後を、そのまま心が沿って動いて残像になっている。
あの時の僕と同じだ。
だから今回一緒にCDを作れてよかった。
僕が弾く。あなたは回る。
わたし、配る。 
                             …は武富士だったか。

                 笑止

2008.03.04

ぱらどっくす

あの時ああしてれば良かった。
あの人が亡くなる前にこうしておけばよかった。
もっとこうしてあげたかった。そうしたかった。ああしたかった…。

そんな後悔の念が、一つや二つ、人生にはある。

運命があるとすれば、人が死んでしまう日は決まっている事になる。
僕が死ぬ日も決まっている。あなたが死ぬ日も決まっている。
よく「運命は変えられる」と言うけれど、僕はそう思っていない。
どれが運命で、どれが人生か、その境界線を引くのは人それぞれだから、
色々な意見があるだろうけど、僕は、少なくとも、
「死」というのは変えられない運命なのではないかと思う。

しかし、そんな運命なんかどうでもいい。

大切なのは、どう料理してやるかという事だ。
生まれてから死ぬまでの間、どう美しく生きられるか、それが大切だ。
生を伸ばす必要なんかない。
ショパンは39歳で亡くなったが、その中身は86歳まで生きたリストより濃密だ。
生を伸ばすより、中身を濃くする事に専念したい。

でも、大切な人の事を考えると、少しでも長く、永く、生きていて欲しいと思う。

これは、勿論矛盾しているが、一応僕の中の論理なのだ。
心理学は、人の心は論理だけでは語れないという事を、
科学は、科学では語りしれない事もあるという事を、
音楽は、その両方を強く教えてくれる。

矛盾しているけれど、これが、僕の答えなんだ。

答えは出るものではなく、出すものだ。

この言葉の意味が、ようやく見えてきたように思える。
僕の心の中に、真夏の朝日のような、清々しい気持ちが宿っている。

2008.02.27

タクシーにて3

それにしても、本当にこの運転手の車は心地よい。
絶妙なスピードと加速。
的確な判断。
プロとはなんだろう。
僕がやっている職業は、ピアニスト、音楽家だ。
でも僕は、この日からプロとして生まれ変わりました、という記憶はない。
子供の頃から、やりたいことをやって、それがいつの間にかプロという職業に変わっていた。
そんな感じである。
だから、彼のように「これだけは誰にも負けない」といったようなプロ意識がそれほどあるわけではない。
ただ、ずっと愛してはいる。
音楽を愛しているから、それなりの意地もある。
でも、彼のプライドとは少し種類が違うような気がした。
そして僕は、彼のそのプライドが自分にも欲しいと、少し妬いてみる事にした。
「運転は足でするんです。手じゃない」
大分話を聞いていなかった。
外の景色に気を取られていた。
話はいつしか運転の技術に関する講座になっていた。
僕は彼の話をBGMのように心地よく思っていた。
それから3,40分、彼は話し続けた。
時折、話しすぎてますね、すみません、と謝った。
運転手は、運転講座から孫の話まで、上手く全て話す事に成功した。
残りの道のりとスピードで話をまとめたのだろう。
5人いるという孫の話も、ちゃんと全員分話していた。
「もうすぐ着きますよ。ほら、あの建物です」
恐らくもうこの運転手とは会わないだろう。
しかし、少しも悲しくなく、何の惜しみもない。
そのいさぎよさに、僕は酔いしれていた。
赤信号で車は停まった。
赤になったばかりでしばらくかかるのを知っているのか、運転手は再び師匠の話をし始めた。
「うちの師匠の最後の仕事はね、お葬式だったんですよ。お葬式の帰りか何かに呼ばれて、仲間で班を作って、4台くらいで行きました。途中、鋭角の橋があって、それを見事に後ろ3台のタクシーは一発で曲がって見せました。しかし、1番前の班長、ええ、つまり師匠の車だけは、一度バックして切ってから曲がったのです。私の運転してたのは一番後ろだったのですが、乗っているお客さんも、『一番前のだけへたくそだな』と言ったのです。もう師匠も大分年齢だったのでね、腕が鈍ったかのぅ思ったんですわ。でも、後から聞いてみたら、違いました」
信号が青に変わった。
目的地まで、後5,600メートルという所だろうか。
この話がそれまでにちゃんと終わるかどうか、僕は少しソワソワした。
「腕を見せつけるのがプロじゃない。プロは運転が上手くて当然だ。あれくらいの鋭角、俺なら目を瞑ってでも出来る。でもな、葬式だ。遺族を乗せてるんだ。もし、もしもの事があったらどうする?今亡くなった人間を悲しんだばかりで、その後乗せているタクシーが橋から落ちたらどうする?乗せているのは人じゃない。心だ。それが理解出来なくては、まだまだ半人前だという事だぞ、と言うんですわ。私もこの言葉には涙しました。そして、調子にのっていた自分に初心を取り戻しました。今考えればね、師匠はケロヨンなんて人形じゃなくて、水をコップに入れて置いて、一山越えて見せたんですよ。そんな師匠があれくらいの鋭角を曲がれないわけがない。敢えて、曲がらなかったのですわ。そこに本物のプロを見ましたね。お客様もプロでしょう?きっと、師匠みたいに凄い腕をお持ちなんでしょうね。…さ、着きましたよ。お疲れのところおしゃべりな運転手ですみませんでした」
そう言うと、運転手はさっさとお釣りを出して、少し会釈をしながらあっさりと行ってしまった。
タクシーの運転手は、お別れに慣れている、と僕は思った。
お客は一度きりの友人、といったところか。
ホテルの部屋に入って、岡山駅に着いた時には酷くお腹が空いていた事を思い出した。
しかし、今は全く空腹感がない。
そのかわり、妙な、スッキリとした疲れを感じる。
あの運転手の孫は、ヤマハでピアノを習っていると言っていた。
自分の娘にはそんなお金がないから、レッスン料は私が工面してやっているとも言っていた。
僕は、いつかその子供達が何かの縁で僕のレッスンを受けている所を想像した。
おじいちゃんのために、必死で練習している彼女たちの可愛い姿を想像して、僕はほのかに笑った。
そして、荷物を置き、ベッドに腰掛けて、泣いた。
何かの表現ではなく、体内の汚れを外に出すような、涙だった。

次の日は、快晴だった。
しかし、時々雪がちらつく、不思議な天気だった。
時間や音楽のように、「過ぎ去ってしまうもの」に僕は深い価値を見出す。
パソコンや携帯のようにメモリに登録出来るものではなく、
その時、その場でしか経験できない事が、人生では最も大切だと思っている。
「出逢い」というのも、過ぎ去ってしまう、そして、人生で一度しか経験できない、最も貴重な出来事なのだと、そう思った。

帰りのタクシーで、山間を見ていると、いつかどこかで見たような景色が広がった。
それは、昨日食べに来てみようかと思ってやめたレストランだった。
「また逢ったな」と小さく呟いてみる。
帰りのタクシーでは、かかっていたラジオから、落語が聞こえていた。
そのレトロな感じが、なんとも僕のノスタルジックな気持ちとマッチして、ステキだった。

今頃、あの運転手は岡山駅のタクシープールの中で他のタクシーに埋もれながらも、きっとクラシックを聴いているに違いない。
もう逢えないかもしれないが、一つの音楽を通じて、同じ日本という国の中に生きている事に、刹那的な美学を感じられずにはいられない、そんな僕が今ここにいる。

音楽と出逢いは、永遠に、心の中で死なない。
だけど、二度と同じ体験は出来ない。

僕は、ピアノを弾いていて、本当に良かったと、そう思える瞬間を見つけた気がした。


2008.02.23

タクシーにて2

「東京からですか?」
運転手が訊く。
「はい、そうです。僕も、クラシック少し弾くんですよ」
僕はいたずらにそう言ってみた。
「はぇ〜、そりゃまぁ、大先生を乗せてしまった〜。しっかり運転しますからね」
運転手の声は、一気にテンションが上がった。
「いやぁ、運ちゃんなんてのは、殆どがド演歌ですから、私なんかは変わったタイプでしてね、あ、いや、こりゃいけない、お疲れのところべらべらと喋ってしまって。どうも年齢ですなぁ、70を過ぎまして、べらべらとしゃべりたい事が出てきてしまってね、もう先が短いからか、話しておきたいと思うようになるんですかね」
と、面白そうに運転手は笑った。
「いえいえ、お話が聞きたいです。僕ら音楽家は色々な人の人生を知って力にするんですから…」
と言ってしまったと僕は思った。
「あらまぁ、お客さん、プロの音楽家ですか。こりゃ大変だ。いやね、うちの孫は5人おるんですが、そのうち2人が女の子で、ピアノを習っておるんです。私の娘にもやらせたんですがね、まったく才能が無くて、結局孫に夢を託しているんですわ」
運転手は所々、思い出し笑いのような笑みを浮かべながら喋っていた。
僕は、自分がプロだと告げないで色々と話を聞いてみたかったのに、自ら自白してしまった。
「まぁ、才能があるかといえばそうではないと思いますが、先生曰くは、コツコツとやる良い子ですよ、ということなので、長く続けて将来私のために一度でも弾いてくれたらなぁ、なんて思っているんですよ」
運転手は少し喋りすぎている事を気にしているようだ。
僕の顔をちらちら見ながら、恐る恐る喋っているような印象を受けた。
「ごめんなさいね、お疲れのところ、こんなに喋ってはいけないのですが…」
気を遣っているが、もう自分でも止められないから、というような、諦めの笑いが混じった言い方で、それはとても愛嬌のあるものだった。
「いいんですよ、もっと聞かせて下さい」
僕は本当に楽しんでいた。
丸で、さっきまで読んでいた「空港にて」の中に自分が入ったような感じがしていた。
「私はね、恥ずかしい話ですがね、、、大阪で生まれてすぐ捨てられて、施設で育ったのです。すぐ鹿児島に貰われていったのですが、そこでもやっぱりいらんっちゅう事で徳島に移り、その後また捨てられて、、、とにかく転々としていたのですわ」
運転手の目には、今まで無かった種類の優しさが灯っていた。
それは、自分の運命をもう受け止めた人の悟りの瞳だったような気がする。
「それで、ある日クラシックに出逢ったのですがね、どこで何の曲だったかは思い出せません。でも、それ以来なぜだか自分を慰めてくれるような気がして、ずっと好きなんですわ。特にヴァイオリンとピアノの組み合わせが好きで、こう、なんだか、心が音に溶け込んでいく感じというか、、、いや、私はまったく専門的な知識はないので解らないですが、とにかく、そんな感じがして好きなんです」
さっきまでは、可愛いおじいちゃんという印象だったが、この話を聞いてから、僕は、この運転手の事が、とても古い、何百年も立っている大木のように見えてきた。
ハンドルを握る手のしわが、生きてきた人生の深さを表す年輪にも見えた。
僕は、ただじっと話を聞いていたかったので、ええ、とか、はい、とかの短い返事しかしなかった。
時折僕は外の流れる景色に目をやり、遠いところを見るようにした。
そうやって自分を客観的にみないと、何かまたあの発作に見舞われる気がしたからだ。
「お客さんね、今日はついてますよ」
少しの間黙っていた運転手が、沈黙を破った。
「どうしてですか?」
「そりゃ、良い運転手に出逢ったからですよ」
嫌みのない、何か意味があるようないたずらな言い方だった。
「私はね、そこらの運転手とは違いますよ。私の師匠は私の先輩だったのですが、本当に多くの事を学びました。彼は美空ひばりさんや山口百恵さんが来たときに指名を受ける程の素晴らしい腕を持つ運転手でした。もう亡くなりましたがね、そりゃ凄腕の伝説的運転手でしたよ」
少し大げさな感じだったが、彼の中の誇りだとわかる、格調高い言い方だった。
「それにね、私はさっき申した通り、何もない空っぽの人間です。これ以外に取り柄がない。教育というものを受けていないから、字もかけない。本も読めない。教養も礼儀もなかった。親も兄姉もおりませんで、この職業を取り上げられたら何も残りませんのです。おかげで、上手くなりましたよ。ほら、そこにケロヨンがいるでしょ」
と、運転手は車内のフロント真ん中に置いてあるカエルの置物を指さした。
「これは何の固定もされてないのです。これを私は一度もひっくり返したことがない。それが人生唯一の自慢ですわ。もちろん、40年間、無事故無違反です!」
運転手はそう言って天下をとったかのようにがはがはと笑った。
何をしても愛嬌のある人だ、と僕は思った。
「でもね、一度だけ、師匠を引き継いで山口百恵さんを乗せたときは危なかった。え、どうしてかって?彼女のマネージャが急いでと言うもんですからね、こりゃ1秒何百万とするスターの時間を私が取ってはいけないと、急いだんです。それで警察に止められて、、、普通ここらじゃ見逃してくれるんです。あ、有名人乗せてるならしょうがないってね。でも、その時百恵さんはあまりに忙しいスケジュールだから、寝入ってしまっていて、起きてくれんのですわ。少しでも顔出してくれたら一発でOKなのにね、しかも、スターだから顔を覆っていて、外見じゃわからんのです。なんで、結局、警察の方に会場まで着いてきて貰いましたよ。それで見逃して貰ったいうわけです。面白いでしょう?」
疑問系で終わったが、僕の答えなんて気にしていない様子だった。
運転手は、とにかく話すことでみるみる若返っていくような感じがした。
外の景色に目をやると、山に囲まれたような地形になっていた。
とても暗く、寂しい道路だ。
その中にぽつんとフレンチのお店がある。
あんなところなら、とても美味しくなきゃやっていられないだろうな。
後で行ってみようか、と思ったが、明日のコンサートは入りが早いので無理だなと思った。
もう21時をまわっていて、辺りは暗い。
また来る機会があるだろうか?
僕はこの運転手とまた出逢えるだろうか?
それを考えると、なんだか、少し寂しい気分になった。
だからって、ここで名前を聞いておいて、次来たときに彼を指名する、なんていう話ではない。
たまたま出逢った事で、こうしたドラマが今展開されているのだろう。
僕は、その美学を大切にしたいと思う人間だ。
次また来て、この運転手に出逢ったら、それは間違いなく運命だろう。
その、わずかな可能性にかけたい。
僕はそう思う人間なのだ。
その儚さに、また酔いしれる事が出来る人間なのだ。

つづく

2008.02.22

歩くという事が弾くという事、そして、象の一生は僕の夢。

空腹で空腹で仕方ないのに、子供が追いつくまでじっと見守っている北極の母シロクマ。
まだ泳ぎがぎこちない子供の下にまわって水面まで押し上げ、呼吸させてあげる母クジラ。
何百キロという道のりを歩き続け、次なる水場を目指す象達。
母親象は、一休みしているときも、砂嵐に襲われた時も、いつでも子供をかばっている。

野生の生活は、とても過酷だ。
もし僕らが野生に投げ出されたら、毎日、生きているという心地がしないかもしれない。
でも、僕は逆の事を思ってしまった。
生き物は、「生きるために生きる」のである。
人間みたいに、自ら生きる事を放棄する生き物は、生き物らしくないと思う。
しかし、それは僕らの生活の中に落とし穴があるからじゃないか。

「象に比べたら人間なんて幸せだよね」

その言葉に、僕は強い反感を覚えた。
そうだろうか?
確かに、過酷だし、いつ襲われて食べられてもおかしくない恐怖と不安に満ちた生活だ。
でも、生きる目標を彼らは常に持っている。
何百キロと歩き、砂漠で乾き、ライオンに襲われながらも、確固たる目標を持っている。
歩く=生きる、という方程式が絶対に揺らがない。
彼らは一生を歩いて終える。
そして、一生に何度か、水場に辿り着いた、という最高の幸福感に酔いしれる。
リーダー象に励まされながら、親象に守られながら、歩き続ける。
それで、一生を終える。
生まれたその日から、どうやって生きるかが決まっている。

僕は、こんな一生を寂しいとは感じない。
むしろ、憧れる。
むしろ、ある意味、僕らより幸せじゃないかとも思う。

飲みたい水がいつもあって、食べたいものもすぐ手に入れられる。
そんな僕らは、生きるという事を弄んでいる気がする。
象は、多分生きる事に迷わない。
いつでも命を奪われる事は、たやすく出来るからだ。
死がすぐ後ろから追いかけてくるから、生きなきゃと思える。
必死で生きる。
水を探す。
歩く。歩く。

僕なんか、年に何度「生きる事を疑問」に思うかわからない。
でも、それは僕が幸せを持ちすぎているからだ。
持ち物があまりに多すぎて、自分がどんな幸せを持っていたかすら分からなくなっている。
そんな事だから、甘えたような口をきけるんだと思う。

疑問を持つと、答えが欲しくなる。
だから、一つずつ、人生の秘密を知ってしまう結果になる。

象が歩くことは、僕がピアノを弾く事そのものだ。
だけど、僕のピアノに命の危険はないし、ピアノを弾かなくては自分の命がもたない、
ということはない。
象は、次なる水場を探さなければ、絶対に死ぬ。
それも、群れの全員が。
僕がピアノを弾かない事で愛する人々が死に直面する事はない。
ただ、掛け替えのない、僕の大切なお客様達は、悲しむかもしれないが…。
でも、死ぬ危険というのは、本当に凄い事だ。
ナマハンな事ではない。
その責任といったら、半端じゃない。
そういう意味で、僕のピアノは、象が歩くのと比べて隙がある。

「どうして弾き続けるのか?」

という疑問を水差す隙がある。
象は、理由も何もない。
ただ、歩かなければ死ぬから、と答えると思う。
疑問に思う事自体の意味すらわからないのではないか。
生きるためなんだから、そりゃ、歩くだろっ。ははは。面白い奴だなお前。
なんて笑われそうだ。
歩いて生きるのが当たり前な象に比べて、僕はピアノを弾く事が当たり前じゃない。
敢えて、弾いているのだ。
「好き」という不安定な理由は、「生きる」という確固たるものよりは曖昧だ。
生きるという事は、生き物の義務。
好きだという事は、生きている中の価値観や気持ちに左右されて、いつでも変化出来る。
そう、不安定なものなんだ。
だから、いつも、確固たる理由が欲しくて、心がさ迷う。
好きという不安定な気持ちの他に確固たる理由が欲しくて、もがく。
その結果、自問自答しまくる。
そして、何となく、疑問を持ったからには、強引にでも論理的な答えを見出す。
それが、固定概念となって、また邪魔する。
でも、この悪循環を止められないんだ。

「達観したら終わりだ」

ケンちゃんがこないだ言っていた。
そう、達観したらだめだ。
でも、疑問を持って答えを出してしまった以上、僕らは自分なりの論理を持ってしまう。
その理屈に沿った生き方をしてしまう。
僕らはそれを、「価値観」と、格好付けてよんでいる。
でも、知るという事は恐ろしい事だ。
知ったことで、もうそれをそうとしか思えなくなってしまう事があるから。
そうなると、色々な事に冷めてしまったりする。
人の社会が茶番に見えてくる事もある。
でも、ケンちゃんが言うように、達観したら終わりだ。
それは、人生において「敗北」を意味すると思う。
達観するのは簡単だからだ。
それは、言わば「逃げ」に近いものだ。

生きている事に、疑問を持ってはいけない。

疑問を持つのは、僕の人生に隙があるからだ。
疑問を持ってしまう隙を持たないためには、必死で生きなくてはいけない。
…矛盾してる。
けど、それしかない。
地平線の向こうが見えない象たちにとっては、広大な砂漠はゴールのない人生。
自分達がどこへ向かっているのか、目先には見えない。
それがどれだけ恐ろしく不安な事か、僕は想像出来る。
ステージに立ったとき、終わりのない曲を弾き始める、そんな夢を見るからだ。
どんなに難しい曲も、終わりがある。
そして、弾き始める時僕はその終わりを想像する事が出来る。
始まったら、その曲は終わりに向かう。
ゴールがちゃんと待っていてくれる。
それを知ってるから、どんなに怖くとも弾き始める事が出来る。
でも、それがなくなったら、あまりにも悲惨だ。
そんなの耐えられない。
人生だって、死があるから美しいし、頑張れる。
でも、象たちの歩みは終わりを知らない。
「その先に水場がある」という希望だけで歩き続ける。
もしくは、DNA単位で水場を探す事が出来るのだろうか。
どちらにしても、目先にはない。
それでも歩き続ける。

僕は、
   それはいつでも死が待ち受けている事を象たちがよく理解しているからだと、
                                    そう思う。

僕のピアノも、僕の生も、いつでも終わりがすぐそこまで迫っている。
改めて、その危機感に見舞われた。
そして、気持ちよくなった。
とても、心地よく感じるようになった。
生きること、音を奏でること、全て、幸せだと思った。


「象さん、あなたは人間のように暮らそうと思わないのですか?」
「何を言ってるんだ。君たちみたいに過酷な人生、僕たちには無理だよ」

象さんとそんな会話を心の中でしながら、過酷な宿命を背負ったのは、

      僕たち人間なのではないか。

と思う僕だった。
しかし、今、こうしている中でも、地球は温暖化を進めている。
今、僕らに出来ること、それは、「無関心」を取り払う、という、
あまりにも初歩的な、問題なのだ。

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