清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2008.02.20

芦田先生のサロン

今日は我が国を代表する世界的デザイナー芦田先生のサロンでピアノを弾かせて頂きました。
3回公演で、お客様も各界の著名な方々が多く、大変豪華なコンサートとなりました。
何ヶ月かに一度、芦田先生からお声が掛かりピアノを弾かせてもらっていますが、
いつも、芸術家としての心の栄養を貰っております。
芸術家としてだけでなく、大人として、男として、人間としての栄養も貰っています。

どうしてでしょうか、僕は発作的にピアノを弾く事が疑問に思えてしまいます。
どうして僕が弾いてる必要があるのか。
僕は社会にどう貢献できてるのか。
疑問に思うと、自分が必要ない人間に思えてくる。
そんなとき、僕を救ってくれるのが、
皆様の応援の声と、芦田先生や尊敬する田中ドクターなどの尊敬する先輩方です。

芦田先生のお宅やサロンに伺うと、芸術品が沢山あります。
それは、高価な展示品というだけでなく、先生のお言葉一つ一つに価値があります。
今日も、沢山の価値あるお言葉を頂きました。
「いいかい、世の中技術のある人はいくらでもいるんだ。
 だからね、素直さや人間性を忘れてはいけないよ」
「人をみて態度を変えてはいけないよ。
 本当に、大使から政治家まで今日は沢山お集まりになられるけど、
 偉いと言われている人だけにへこへこするのは、一番品がない人だよ」
僕は先生のお説教(というほど怒られているわけではないです笑)を聴くのが大好き。
先生はお優しい瞳で、ずっと僕の目を見ながら優しくお話してくださいます。
だから、本当に温かく感じます。

今日は本当にステキなサロンで、素晴らしい時間を過ごせました。
コンサート後のお食事では、色々な方から賛辞を頂き、芦田先生の奥様からは、
「こんな息子がいたら」と母の思いで仰って頂き、本当に光栄でした。
きっと、ショパンやリストは、こういうサロンで弾いていたんだろうな、と思いました。

僕は、感動したよーと涙を浮かべて抱きしめて下さったあの、先生の瞳を忘れません。

2008.02.19

タクシーにて1

岡山駅に着くと、僕はすぐにタクシーに乗り込んだ。
夜の冷たさから避難するようにタクシーになだれ込んだ僕だったが、タクシー内に充満している美しい音色に、すぐ心が温まった。
東京などではスーツなどをビシッと着込んだ運転手が多いが、この個人タクシーの運転手はとても和やかな雰囲気だ。
厚手で紺色のセーターを着込み、黒縁で大きな眼鏡をかけ、少し禿げた頭がかわいらしくも見える。
「倉敷国際ホテルまでお願いします」
僕がそう言うと、運転手は受け答えに慣れた口調で、はい、と短く返事をした。
短く返事をしたが、ぶっきらぼうな感じではない。
それは、人の良さが溢れていて親しみのわく感じだった。
僕は、ホッとして、車内にクラシックがかかっているのにやっと気付いた。
車内に入った時に感じた美しい音色はこれだったのか。
よく聴くと、、、ヴァイオリンだ。
ラヴェル。
ラヴェルのツィガーヌだ。
情熱的で、リズミカル、ラテンの血がないと弾けないような狂気的なテンションが感じられる。
ヴァイオリンという楽器の魅力を全て活かしたような、そんな作品だ。
オーケストラと共演出来る小品だが、タクシー内のこの演奏はピアノ伴奏だ。
ピアノも中々美しい。
独特なラヴェルのハーモニーをよく理解していて、煌びやかな高音と、不気味な低音を使い分けている。
僕がそんな「ツィガーヌ」に酔いしれていると、運転手が丁寧に話しかけてきた。
「クラシックかけててもいいですかね?」
バカ丁寧ではなく、少し笑いを含んだ静かで優しい言い方だった。
確かに、ツィガーヌはそれほど癒されるといった様な曲ではないし、クラシックをよく知らない人には、むしろ耳障りになりえる曲想かもしれない。
優しくて、配慮も出来る、こんなおじいちゃんが自分にもいたら、と僕は思った。
「ええ、もちろんです。僕もクラシック好きですよ」
運転手は瞳だけで笑いを表現して、少しだけ音楽のボリュームを上げた。
その表情があまりに無邪気で嬉しそうだったので、何だか、僕の方が年上で、子供に話しかけたような感じが残った。
僕は、東京駅から岡山駅までの新幹線で、村上龍さんの「空港にて」という短編集をまるまる1冊読み終えていた。
素晴らしい短編集で、一般的でどこにでもありえる様な情景を、独特の鋭い感性で映し出し、更にはそれらを「美しいシチュエーション」にまで変化させてしまうような、ある種の「美学」を感じる短編集だ。
村上龍さん本人も、人生で最高の短編が出来たと言ったらしい。
スタバやなんかで独りコーヒーを飲んでる時、自然と人間観察をしてしまう僕には、その本が自分の視点のようで、かなりツボだった。
それと同時に、同じ「表現者」として、完成度の高い、そして美しい芸術を生んだ村上龍さんの事を心から尊敬出来た。
僕は時々道を見失う。
どうして自分がピアノを弾くのか、理由がわからなくなるのだ。
それは突発的に発生する竜巻のようなもので、誰にも、僕でさえもいつ発生するのか予測できない。
それがやってくるのは、コンサートで成功した絶頂の時かもしれないし、失敗に終わって落ち込んでいる絶望の時かもしれない。
はたまた、ジムで運動している時かもしれないし、息抜きでドライブしている時かもしれない。
とにかく、なんの前触れもなくやってくるのだ。
その都度スランプに陥り、自分が生きている事の意味さえ分からなくなる。
そして、東京岡山間の新幹線の中で、僕はまたこの発作に見舞われていた。
理由が分からなくなるというより、理由が欲しくなる、といった方がいいのだろうか。
もともと、好きな事をやる上で、「好きだから」という以上の理由はない。
だから、「好きだ」と思えなくなったとき、他の確固たる理由が欲しくなる。
努力を努力とも思わなくなるような、勇ましい原動力が欲しいのだ。
でも、個人的には、(そりゃあ、色々と仕事でやっていれば嫌な事もあるが)音楽やピアノが好きじゃなくなった時なんてない。
だから、不思議だ。
その突発的な「理由探し」が体のどこから沸いて出てくるのか。
どうして、僕は時々道を見失うのか。
しかし、そんな「発作」にも、ひとつだけ特効薬がある。
それは、同じ表現者や芸術家の尊敬できる一面を感じる事である。
村上龍さんや村上春樹さん、五木寛之さん、などの作品から、僕は今まで幾度となく救いの手をさしのべて貰った。
映画でも、音楽でも、沢山の救いがあった。
けんちゃんの男達のヤマトも、その一つだ。
音楽では、バーンスタインのマーラーとかカラヤンのベートーヴェンといったところだろうか。
その他にも沢山ある。
今回は、村上龍さんに救って貰った。
でも、まだまだ病み上がりではある。
そんな弱気な僕には、タクシーの中の美しいラヴェルが嬉しかった。
そして、あの、優しそうな運転手がクラシック好きだという事も、勇気になった。

つづく

2008.02.17

こんな夢をみました。3

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おそるおそる鞄を開けると、中には僕の思い出が詰まっていた。
金色に光る石ころがいくつも入っていて、それを握る度に思い出が鮮明な映像として頭の中に浮かび上がってきた。
それはあたかも今経験しているかのように真新しい映像だった。
記憶の数々は、全て僕にとって辛いものだった。
でも、そこには音楽への喜びがあった。
初めてピアノにさわった時の事、初めてコンクールに出場したときのこと、
初めてリサイタルを開いた時の事、それに向けての練習風景、厳しいレッスン…
それら全てが初々しかった。
今の僕に足りないものだった。
あの時は、今の僕みたいになりたかった。
コンサートを沢山抱えていて、煌びやかなホールでリサイタルを開く。
夢がかなったけれど、今度は、昔のようになりたくなった。
追いかけてばかりで、いつトンネルを抜けられるか分からないけれど、
それでも、音楽への情熱と、ピアノへの思い入れは今より上回っていた。
一音出すのに喜びを感じたし、
どうして自分がピアノを弾くのか、そんな事考えなくてもよかった。
僕は暫く思い出に耽っていた。
しかし、時間が来たようだ。
石は光を失い、やがて鞄ごと消えていった。
ホールは廃墟と化したままだ。

僕は、ただ泣いていた。
そして、もう一度、音が聴きたいと強く思った。

僕の耳から音が失われて、改めて音を愛している事に気付いた。
僕は、奇跡が起こると信じて、ピアノのある舞台へと走った。
途中板が抜けて足ごとはまってしまった。
ズボンのポケットが破けて、中から精神安定剤が落ちた。
そんな事気にもせず、僕はピアノに向かった。
そして、一心不乱に弾いた。
音が、欲しい。
音が、欲しいんだ。
…。
…。
…。
だめだった。
音は戻ってこない。
ピアノの音だけが聞こえない。
僕は、絶望した。
遅かったのだ。
僕が音を愛せなかったあまりに、音が逃げていってしまった。
僕はヨロヨロと立ち上がりながら、さっき落ちた階段へと歩いた。

もう、僕に残された物は何もない。
生きるという事、それはピアノを弾くという事だったんだ。
しかし、失ってからでは遅い。
それなら、いっそ…
僕は階段へとダイブした。
鳥のように飛べそうな気がした。
まわりがスローモーションになる。
ゆっくりと、頭から階段に落ちて行く…
そして、意識が、なくなった…

気がつくと、朝の8時だった。
携帯のアラームが鳴って、僕は現実に戻された。
「夢だったのか」
外は曇り空だ。
微かに雨の音がする。
今日は、紀尾井ホールでの初めてのリサイタル。
僕は、既に疲れ切った心を無理矢理起こし、熱いシャワーに入り、朝ご飯を食べた。
そして、紀尾井ホールに向かった。
リハーサルの時、
初めてピアノを触ったような、そう、あの時のような、初々しい気持ちで弾いた。

「僕はもう迷わない。だから、僕の音を奏でておくれ」

ピアノに魔法がかかったかのように、音が出た。
きっと、あのホールに来てくれた人には、伝わったと、そう信じている。

2008.02.14

こんな夢をみました。2

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【脊山さんと假屋崎さんと紀尾井ホール楽屋にて^^v】

気がつくと、僕は階段の踊り場まで落ちていた。
1階下まで落ちていたのだ。
しかし、どうしてだろうか、体に痛みが感じられない。
こういう大きな怪我は後々痛みが出てくるのだろうと思った。
それにしても、体が自由自在に動くのが不思議だ。
あれくらい激しく落ちたのなら、骨の一本や二本折れていてもおかしくないのに…

腕時計を見ると、壊れて止まっていた。
だから、今が何時なのかわからなかったが、まだ辺りに人がいないところをみると、
それほど時間は経過していないようだった。
「よかった…」
こんな時までコンサートの事を一番に思うのがプロというものだ。
僕は体を起こして、階段を登っていった。
自分の体を確かめるために、走って行った。
意外にも、本当に体は何ともなく、むしろいつもより軽く感じるくらいだった。

ホールまで走っていくと、まだ誰もいなかった。
…おかしい。
普通早く来すぎたとしても、誰かはいる。
それが、誰もいない。
しかも、ホールはかなり誇りを被っているようだった。
「こんなに古かったかな」
僕はステージから客席を見て呟いた。

ピアニストとしては、ピアノが気になった。
ピアノまでボロボロじゃあるまいな。
そんな挑戦的な態度で、一音、真ん中のドの音を弾いてみた。
…弾いてみた。
がしかし、音が出ない。
焦った僕は他の鍵盤もでたらめにさわってみた。
が、しかし、音は出なかった…。
両手で思い切り鍵盤をたたいてみても、何の音もしないのだ。
僕は、さっき階段で転んで、耳がおかしくなったと思った。
でも、違う。
ピアノ以外の音は聞こえるのだ。
僕は、何だか、ピアノに裏切られたような気分になった。
椅子にうな垂れて、そのまましばらくじっとしていた。
鍵盤の上に両腕を枕のようにして、ただじっと願っていた。
音が僕に戻ってきますように、と。

それからどれくらい鍵盤の上にうな垂れていたのだろうか、
僕は突然客席から何かの視線を感じて立ち上がった。
相変わらずピアノの音は聞こえない。
誰かに打ち明けても何も変わらないだろうが、それでもこんな時に孤独は嫌だった。
「誰かいるのか?」
ホールに響き渡るくらいの声で言ってみる。
返事はない。
その代わり、客席の左側一番後ろから少し真ん中に出たくらいのところに鞄があった。
そのカバンは、緑色のようだった。
そして、その時やっと気付いたのだが、ホールに蜘蛛の巣が張っている。
客席には、丸で廃屋だったかのように真っ白な誇りが落ちている。
「これはおかしい…」
明らかにおかしな光景を目の前に、それを受け入れられないでいた。
そして、僕はひとつだけ真新しい緑色の鞄の方向へと歩いていった。

その鞄は、僕が小学生低学年の頃、ピアノのおけいこに行く時持っていた鞄だった。

どうしてこれがここにあるのか、その理由はまったくわからない。
でも、どうしてか、息苦しいような懐かしさが胸に立ちこめてきた。
苦しい…。
懐かしさとはこれほど苦しいものか。
まるで、罪悪感かのように胸が詰まる。
その立ちこめる何かが体の外に出てくると、涙となって流れていった。
「どういうことだ」
僕は涙なんて見せている弱々しい自分に腹立たしさを感じていた。
そして、改めて客席から舞台の方をみてみると…、

ピアノは傷つき、ところどころ欠けてしまっていて、ステージの床の板は剥がれてしまっているところもある。
蜘蛛の巣が天井に張り巡らされており、全てが雪国のように真っ白な誇りを被っていた。
僕は、その信じられないような光景を目の前にして、受け入れずにはいられなかった。
自らの目でしっかりと見ているからだ。
つい昨日まで、ここではしっかりコンサートが行われていたはずだ。
どうして、こんなに古くなってしまったのだろうか…。
僕が、タイムスリップしてしまったのだろうか…。

つづく

2008.02.11

こんな夢をみました。1

「なぁ、まだ着かないのか?」
真新しい黒のスーツに身を包んだ男はタクシーの運転手に苛々しながら問いかける。
「もうすぐそこですから、ほら、その角を曲がったとこ…」
運転手はどぎまぎしながら信号を待っていた。
やがて信号は青に変わり、タクシーは運転手の言うようにすぐそこの角を曲がった。
曲がった先に「ホール入り口」という看板が見える。
「あ、もうここでいいから」
高級な真新しいスーツに身を包んだその男は、タクシーを止めた。
「釣りはいらないよ」
男は、皮肉を言うような口調でそう言って、5千円札を運転手のいる方に投げ捨てた。
「こりゃすみません…」
そんな対応にも、運転手は深々と薄くなったその頭を下げた。

炎天下のアスファルトに、タクシーから足が出てくる。
一目で高級だと分かるその靴は、真夏の太陽を反射し、キラキラと輝いていた。
「僕が主役だ」と言わんばかりに輝いているその靴は、まったく汚れや傷がなく、
それを履いている主人が「歩かないで移動出来る身分」だという事を物語っていた。
慣れた身のこなしでタクシーから出てきた男は、ホール入り口という看板の所に入った。

この男は、そう、僕である。

スーツ姿に鞄も持たず、手に財布を一つ持っているだけだ。
それには訳があって、それは、手が疲れないようにするためだ。
ピアニストなので、重い物を持ったりして手が疲れる事を極端に嫌う。
身なりも、スーツとはいえ、髪型や歩き方からして、サラリーマンとは違うと一目で解る。
僕は有名だ。
クラシックのピアニストで、人気がある。
2千名、3千名のチケットなんて、ものの何分かで売り切れる。
今日もコンサートがある。
割とこんじんまりとしたホールだが、クラシック界では由緒正しいホールとされている。
しかし、僕は苛々していた。
マネージャが暑さでばててしまい、突然倒れてしまったから、
車での送り迎えが無かったからだ。
他のマネージャもいるが、僕はその人達が好きじゃない。
気は利かないし、何せ音楽が理解出来ていない。
コンサート前に無神経な事をされていたのではマネージャの意味がない。
だから、今日は自分でタクシーを拾ってきたのだった。
その事に苛々していた僕は、目に映る物全てが文句を言う相手になった。
「こんな古いホール、早く潰せば良いんだ」
ホールは4階なのだが、エレベータ調整中との事で、階段を使わなくてはいけなかった。
その事で苛々がいよいよ怒りへと変わっていった。

僕は、疲れないようにゆっくりと階段を登っていった。
すると、1階上の踊場のようなところに、空き缶が転がっていた。
よし、ひとつこいつを蹴り飛ばしてやろう、と僕は思い立った。
今日のこれまでの苛々を全てぶつけてやろうと思った。
思い切り右足を振りかぶる。
音楽家なんて運動音痴ばかりだと思っているだろうが、僕は違う。
昔から運動が好きだったし、サッカーや野球は、そこら辺の男より上手かった。
最近運動不足だったが、、、と、足を振りかぶった時に、軸足がつった。
なんとも言えぬ痛みに僕は飛び上がった。
久々の痛みだったから、パニックになって、そこが階段だという事を忘れていた。
そして、次の瞬間に、見事に空き缶を踏んで滑った。
転びはしなかったが、体勢を取り戻すのに時間がかかり、気付いた時には遅かった。
目の前には、下に伸びた大きな口のように、階段が広がっていた。

僕は、見事に階段を落ちていった。

何度も階段の角に関節をぶつけて転げ落ちていったが、痛みは感じなかった。
スローモーションでただただ回転しているだけの映像の中、
僕の頭の中は、今日の演奏会が中止になる事への心配だけが充満していた。
そして、僕は気を失った。

つづく

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