清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2009.11.02

空音

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朝からピアノを弾いていた。
ずっと、時間を忘れて。
弾いていたのはショパンだとかそういうのじゃない。
ただ「降りてきた音」だけを無心に出す。
それだけだ。

人は「訓練」を積むと、空気中に漂っている音を掴めるようになる。
「訓練」とは実に単純で簡単だ。
ただ、色んな妄想をしていればいい。それだけ。
目に見えないものを見たり、そこにない料理の匂いを嗅いだり…
そういうことを続けていると、存在しないものが本当にそこに存在するようになる。
それが僕の場合「音」だった。
人によっては「色」だったり「香り」だったりするらしい。
僕は空気中にある音を探し出す作業やその音自体のことを「空音」と呼んでいる。

「空音」を繰り返していると、少しずつその場で曲が出来上がってゆく。
曲は完成されて弾かれた後、すぐにどこかに消化されてしまうが、それでいい。
それらの曲を録音しようだとか、楽譜にしようだとか、そういう風には一切考えない。
向かってきては過ぎ去って行く、秋の木枯らしか時の流れのように、
自然に消滅していくのが本来の音楽の姿だ。

秋の穏やかな朝から「空音」をしていたのは、
平穏でとても美しい時間だったが、精神ではなく身体がさすがに疲れてきた。
気付けば目の奥の方がどくどくと痛む。
頭の中で踏み切りが鳴っているかのようだ。
腕も熱をもっていてひりひりする。
僕は少し風に当たろうと思って立ち上がってみようとしたが、足に力は入らなかった。
それから暫く(といってもどれくらいの時間だかわからない)僕の足はふにゃふにゃのごむのようになってしまっていた。

身体が言うことをきくようになるまで、僕はピアノの鍵盤に覆い被さるようにして休んだ。
こうしてぼーとしていると、部屋がみるみるうちに暗くなってゆくのがわかる。
僕の後ろに今の僕と同じ様な格好をした「ビル・エヴァンス」の写真がある。
僕はいつもこの「ビル・エヴァンス」の写真を見る度に、彼のことを「壁」だと思う。
音楽の世界と人間界の境界線にある壁だ。
彼は、どちらの世界も行き来できる。
でも、彼自身に感情や意見はない。
ただ、彼は境界線という役目を果たしているに過ぎないのだ。
僕は、彼の音楽を聴く度に、そして彼の写真を観る度に、いつもそういう感覚を覚えてきた。
一体どういう人生を送るとそのようなオーラが出せるのだろう。

…さて。
僕の身体は大分回復したようだ。
僕は風に当たりに行った。
秋と冬の狭間を遊ぶ風。
僕は2階にある自分の部屋の窓を全開に開けて「狭間の風」たちを招待した。
随分と冷たい風だ。
でも、真冬のそれとは違う。
狭間の風には、冷たさの中にも優しさが感じられる。
変な話だけど、風なのに血が通っていて体温がある感じがする。
僕は目を瞑って狭間の風をより実際的に感じてみた。
通り過ぎてゆく彼らは、…やはり音楽のように感じた。
もしかしたら、感動というのは、通り過ぎていく過程で起こる現象なのかもしれない。
そんな気がしてならなかった。

ふと目を開けると、家の前の道を誰かが歩いている。
青年だ。
たぶん20歳かそこらだろう。
手には白いA4サイズほどの紙を持っている。
何だろう?
ここら辺はあまり人通りがないのだけど、彼はここで何をしているのだろう。
あの紙は地図で、知人の家にでも遊びに来たのだろうか。
何にしても、彼の人生に僕が関わることはきっとない。
新幹線で名も知らぬ村を過ぎ去る時に見える民家のように、彼は僕を通過し、僕は彼に通過される。
それだけのことだ。
その後、彼は僕に気付き、ふと目線を僕の目の奥に射してきた。
その時僕の目の奥の方ではもう踏切は鳴っていなかった。

「さて…。もう一度、宛てのないピアノの旅に出るとしよう」
誰のためでもない、自分のためでもない、
この世に生まれては消えてゆく、儚い音楽を探す「空音」の旅に…。


2009.10.24

おもうことは…

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【僕は辛くなったとき、なんか良い感じの『道』を探す旅によく出ます】


   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


秋晴れの甲州街道は、たとえ渋滞していたとしても清々しかった。
木々はやわらかい風に優しく揺られ、
停車している僕の車の中にきらきらと清純な秋の光りを漏らしていた。
わるくない。
その瞬間は秋の美しさの全てが集約されているように思えた。

大きなトラックがクラクションを凄い音で鳴らした。
10秒以上も鳴らしていたので、そのクラクションは運転手の憎しみや怒り、嫌味みたいなものだと解った。
どうやらクラクションは、右折しようとしていた大型トラックが、
赤信号になってから猛スピードで直進してきた軽トラックに対して鳴らされたものらしい。
僕の周りで停車している車の運転手たちも、一斉にクラクションが鳴ったところに関心がいっているようだ。
「うるせえよ」と言っている人もいれば、ただ単に驚いている人もいる。
中には恋人との話に夢中で見向きもしない人だっている。
いろんな人がいる。
あの、トラックの鳴らしたクラクションは、
トラックの運転手に鳴らされた時点でこの世に生まれ、色んな人の感性に宿って一人歩きしていく。
大きなクラクションの音を鳴らした時点で、もうその音はトラックの運転手のものではない。
それぞれの人のものだ。
交差点は、まさに人生が交わる場所なんだ。
単なるクラクションでさえ、そこではそれぞれの人生の味付けに変化する。
僕はその交差点を見つめながら、いつしかゆっくりと自分の人生を振り返っていた。
僕の人生にも、沢山の交差点があった。
この甲州街道のように。

小学生の頃、お母さんとお姉ちゃんが
ヴァイオリンのレッスンから帰ってくる夜の0時まで、心細く待ち続けたこと。
何かに追われているような不安がつきまとって、独りでは絶対に眠れなかった。
大勢のクラスメイトにいじめられてからかわれて、必死に逃げようとしているとき、
その大勢の中のひとりにいつも僕を助けてくれていた友達がいたこと。
中学生の時、念願のピアノコンクール全国大会優勝を果たした時のこと。
あのとき、やっと、ようやく手に入れた栄光なのに、なぜか僕には虚無感しか残っていなかった。
普段思い出せないような、どちらかといえばネガティブな思い出が、いくつも強制的に脳裏を走った。

僕の視線はまだ交差点に釘づけてある。
「でも」と僕は呟いた。
「わるくない」

僕のネガティブな思い出も含めて、僕の人生は素晴らしい人生だ。
だって、走っているじゃないか。
いま、こうやって甲州街道を走っているように、僕はいつだって前に進んできた。
だから、今こうしてここにいる。
いくつもの交差点を越え、時には渋滞に巻き込まれ、
時には疲れて停車し、時には大きなクラクションを鳴らされる。
でも、道はそこにある。
だから、わるくない。わるくない人生だ。
この秋晴れの甲州街道のように、わるくない道だ。

「ビー」と後ろでクラクションが鳴った。
気付けば、僕のひとつ前の車はもう結構先に進んでいる。
しびれをきらした後続車が僕に向かってクラクションを鳴らした。
僕はゆっくりと車を進ませた。
思い出を思い出すときは、目を瞑っていた方が良い時と、
目を開けて、しっかりと何か一点を見つめていた方が良い時と、どうしてあるのだろう?
そんなことを考えながら、僕はリハーサルに向かった。

2009.10.17

結城安浩さん(Vo)

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今日(10/16)は明日のリサイタルのリハーサルのために新宿へ行ってきました。
今僕は銀座の王子ホールで「5週間連続リサイタル」を行っている真っ最中なわけですが、
ゲスト出演していただく方との「合わせ練習」は全て
新宿のヤマハピアノセンターで行わせていただいています。
最高級のピアノを思う存分弾ける環境とあって、ゲストの皆様にも大変喜んでいただいています。

今日は明日のゲストでもあり「エスコルタ」のリーダーである結城安浩さんとのリハーサルでした。
初めて合わせるということもあり、時間に余裕を持って始めたので、
途中休み休み楽しいお話をしながら練習することが出来ました。
普段あんまり人とじっくり話さない僕ですから、とても新鮮で充実した時間となりました。

中でも興味深かったのが、
自分が誰かから「怒られた時」どういう反応をするかという話しでした。

僕は必死に怒っている人を見ると、とっても悪いとは思うんだけど、
笑いたくなっちゃうんです。子供の頃から。
だから、そういう態度のせいで相手の怒りを倍増させてしまうことも多々…。
結城さんは、怒られると「機能停止」するのだとか。
「なんかぼ〜っとしちゃって、すごく冷静になっちゃうんだよね」と話していました。
笑っちゃうよりは良いかな?ん〜あんまり変わらないかな。笑
因みに、僕のマネージメントをやってくれている事務所の割田社長は、
僕と同じく「可笑しくなっちゃう」と言っていました。
もう一種類挙げると「怒られたら怒り返す人」でしょう。
皆さんはどれに当てはまりますか?

怒られるとおかしくなって笑っちゃう。
怒られるとぼ〜ぅっとなっちゃう、機能停止。
怒られたら怒り返しちゃう。

結城さん、楽しいリハーサルをありがとうございました!
明日最高の演奏をしましょうね!!
今日みたいに楽しく出来たら幸せだなぁ〜〜〜。

2009.10.14

Road.png

前を見て歩く人…

前を見ているから、美しい景色を誰よりも早く見つけることが出来る。
そして、見つけ出したその美しい景色だけを見つめて、一心に歩いてゆくことが出来る。
でも足下を見ないから、よくつまずいたり転んだりする。

足下を見て歩く人…

足下を見ながら歩く人は、殆ど絶対転ばない。
だから怪我をしないし、痛い思いもしない。
でも、前を見ないから美しい景色を見つけることが出来ない。

後ろを振り返りながら歩く人…

後ろを振り返りながら歩く人は、美しい景色より美しい思い出を大切にしている。
だから険しい道を行こうとも、過去の道しるべを頼りに歩き続けることが出来る。
でも、すぐ道に迷うし、すぐ前に歩いた道に戻りたくなってしまう。


あなたはどのタイプですか?

2009.10.12

松本蘭さん(Vn)

ヴァイオリニスト「松本蘭」さんのCD発売のイベントコンサートに行ってきました。
銀座の山野楽器の一番上にあるホールでやったのだけど、まぁ美しかったこと美しかったこと。
松本蘭さんは僕がモスクワ留学から帰った20歳くらいの時から知っているのだけど、ずっと前から美しい女性です。
特に、ヴァイオリンを持っている姿は妖精のようでした。
いや、ほんとに、なんか蘭さんのところだけスモークがかかってみえるんですよ。
あと、耳が妖精っぽい。
それで美しい音色をお届けしちゃうんだもの、
そりゃくすぐられて笑っちゃうのと同じくらい当たり前に癒されてしまいますよね。

山野楽器のホールは、生音で勝負するクラシックには少し残響が足りない感じなのだけど、
そんなことに負けずにとても美しいヴァイオリンとピアノの音が溶け合って混ざり合って聞こえました。

蘭さんのCDは今僕の車でかかってるのだけど、これがまたとっても美しいです。
もう、何から何まで美しくしなきゃ気が済まないのだろうか?
「美しい」って大切なことだね。
見習わなくては。

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