清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2008.02.06

DORYOKU

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【長野の善光寺です。雪というのは、どこに降るかで全く印象を変えますね】


幸運の女神は、人生というトンネルのどこかに待っている。
しかし、気長に付き合ってくれるわけではない。
それほど長くは共に居てくれないという事だ。
だから、もし女神がトンネルの入り口に待っていたら、気付かないふりをしよう。
トンネルの途中に居たら、少しだけ会釈しよう。
そうやって上手く付き合って、
最終的にトンネルを抜ける時に、一緒に居られるようにすれば幸せだろう。

人生は、後半で楽しんだ方が、ずっと幸せだ。

しかし、それに気付ける者はそれほどいない。
後になって気付いても遅いからだ。
人間界、殆ど全ての事に「バランス」がある。
始めに運を使えば、後に無くなる。
苦しい思いの後には、必ず報いがある。
つまり、幸運を求め快楽をさ迷うよりも、
率先して、自ら辛い方の道を選ぶ方が、ずっと幸せなんだと思う。

苦労=幸せ、幸運

という事なのだろう。
でも、解っていても、目先の欲にかられてしまうのが人間だ。
大切なのは、そこでネガティブにならないことだ。
賢者は勝ち続ける事よりも、負けない事を心がける。
いざ、自分を嫌いになってしまいそうなとき、その時こそ、真の苦労が待ち受けている。
そこで自分に負けないかどうか、それが大切なのだ。
目先の欲にかられたり、失敗してしまったりする事自体にそれほど損失はない。
むしろ、その後に、自分を好きでいられるか、努力し続けて道を歩いていられるか、
それが大切なのだと思う。

耳は嘘の玄関、真実の裏門

人の言う噂は、その殆どが人を陥れたり陰口に近いものだったりするらしい。
好敵手だって、敵は敵だ。
人間界とは、個人に冷たいところがある。
そして何より、自分は自分に甘いというのが人間の本質だろう。
これだけ挙げても、人間は普通に暮らしているのでは幸せになれないというのが分かる。
「努力」
この言葉に嫌気がさすが、未来の孤独な自分へのプレゼントとして、今のうちに頑張ろう。
いよいよ、僕もギアをもう一つ上げなくてはいけなくなってきた…


2008.02.02

アイスクリーム4

僕が、鞄の中でドロドロに溶けているアイスクリームに気付いたのは、それから暫く経ってからだった。
気付いたときには時既に遅し。
命の次に大切なパスポートにはカバーを付けておいたのでよかったのだが、その他の本や楽譜類は水浸しである。
「この野郎!」
僕は窓からアイスを投げようとした。
しかし、一瞬あの優しいお婆ちゃんの笑顔が横切ったので投げるのはやめた。
それに、僕が今持っている唯一の食料だ。
ドロドロになっているけど、仕方なくそれを食べる事にした。
いや、「食べる」というより「飲む」だろう。
凍り付く唇、体温を奪っていくドロドロのアイス。
僕は落とさないようにジュルジュルとそれを吸った。
何だか無性に自分が惨めに思えた。
でも、無性に美味しくも感じた。
空腹だったからではない。
あのお婆ちゃんの優しさと、これからここで生きていくんだという勇ましい自分の気持ちがハーモニーとなって、僕の五感を満たしていったのだ。
僕は残り少なくなったアイスを勢いよく口に入れて、入っていた袋を握りつぶした。
「よし、明日はリベンジだ。美味しい物をたんと食べてやるんだ!」
モスクワで始めて口にした食べもの、ドロドロに溶けたアイスクリーム。
普段なら興味も沸かないアイスクリームだが、その時ばかりは、本当に美味しく感じた。
そして、人生であの時ほど自分を勇ましく感じられた事はなかったのを、今でも鮮明に覚えている。
五木寛之さんの「青年は荒野を目指す」という本に出てきた、「荒野を目の前にした、一匹の痩せたオオカミのように自分を感じていた」という言葉が、ぴったりだと思った。


「北海道産のアイスクリームは如何ですかー」
僕が18歳のモスクワ留学時代にタイムスリップしている間、ワゴンサービスのお姉さんは僕の席を既に通り越していた。
「すみません」
僕はとっさにお姉さんを引き留めた。
「アイスクリームを一つ」
と注文してから、僕は少しにやけてしまった。
お姉さんは慣れた手つきで僕とお金のやりとりをして、バニラアイスクリームをひとつ渡してくれた。
「あの時みたいに、これを食べれば強くなれるかな」
そう呟きながら一口食べてみると、不思議と体の奥から、あの時感じていた緊張感にも似た勇気がみなぎってくるようにも感じた。
「鹿が通る場合がございますので、急停車には充分にご注意を…」
そんなステキな車内放送が入る。
鹿の移動で電車が止まるなんてこと、東京の地下鉄では絶対無いだろう。
相変わらず山間を低速で抜けている電車の中で、僕は、アイスクリームを頬張りながら、幻想的な想像を抑える事が出来なかった。
この、雪のように真っ白なバニラアイスクリームも、きっと、外で雪の妖精が作って列車まで持ってきているに違いない、という所まで想像を膨らませていると、僕は、いたずらな笑いを抑える事がとても難しかった。
長旅をステキに飾ってくれたアイスクリーム。
たかだか180mlの内容量のアイスクリームだけど、退屈な時間を瞬時にして幻想的な時間に変えてくれた。
ちょっとした存在だけど、確かに人間の人生に関わってくる。
僕も、そんな音楽家になりたいと、空になったアイスクリームのカップを見て切に思った。

2008.01.31

アイスクリーム3

乗り換えの途中、「お腹空いたなぁ」と呟きながらふと横を見ると、売店があった。
「ぐぅ」と、絶妙なタイミングで腹時計が鳴る。
僕は本能的に食べ物に見入ってしまった。
どれくらいそれを欲しそうに見ていたら、赤の他人がそんな親切をしてくれるのだろう?
すぐ後ろに立っていたロシア人のお婆ちゃんが、僕にアイスクリームを買ってくれたのだ。
何やらロシア語でしゃべっているのだが、全く解らない。
でも、僕にはそれが「優しい言葉」だという事だけは解った。
両手が荷物で塞がっていて、僕はお婆ちゃんが買ってくれたアイスを受け取れなかったが、お婆ちゃんはアイスを袋ごと強引に僕の鞄に入れた。
僕はお金を盗られていないか心配になって、すぐに鞄を確認した。
…お金は無事だった。
しかし、そうこうしている内に、また1本電車を見送ってしまった。
お婆ちゃんはその電車に乗って行ってしまったので、ろくにお礼も言えなかった。
「悪い事したなぁ。でも、親切な人もいるものだ」
と、僕は改めて人の温かさを知ったのだった。

僕が乗り換えに手こずっている間に、辺りはすっかり暗くなっていた。
USドルに両替した入学金と、血液検査の結果を、何とかモスクワ音楽院に持って行けたのはいいが、その夜泊まる所をまだ手配していない。
モスクワの夜は、閉め出されたら終わりだ。
僕は、面倒臭がる音楽院のスタッフを何とか説得して、急いでその日泊まる所を紹介してもらった。
紹介してくれたのは、どうやら音楽院の「寮」らしい。
噂では寮は酷いところだと聞いていたので、ちょっと不安だったが、こうなったらもう何も怖くない。
屋根があって風が凌げるだけでも充分だ。
僕はすぐに紹介された寮に向かった。
白タク(お金の要るヒッチハイクのようなもの)で随分安く値切ることに成功したが、酒瓶を片手に運転していた事は、苦笑するしかなかった。
かくて寮に無事たどり着いた頃には、モスクワに夜が訪れていた。

悪臭とゴミにまみれた寮だったが、それでも僕は、ここまで辿り着けたという達成感を覚えていた。
「強くなったな」
と鼻で笑いながら、何とか自尊心を保ってみる。
元々が「苦しい体験」をしたくて日本を飛び出てきたのである。
辛いと感じながらも、僕はどこかで満足感を感じていたのかもしれない。
やがて、寮母さんが僕の部屋に案内してくれた。
そこは冷蔵庫みたいな寒さだった。
管理人の寮母さんは、全く外国語が解らなかった。
僕が言う英語もまったく通じない。
何やら、怒っているようにロシア語を機関銃のように喋ってから部屋を出て行ったが、僕はもうバカにされるのも問題を起こすのも懲り懲りだったので、笑顔で「ダーダー」と言っていた。
ダーとはロシア語でYESという意味である。
しかし、後々知った事だが、その時寮母さんは僕に大切な説明をしてくれていた。
「新しく入った人は必ず地下に毛布を取りに行って下さい」と言っていたのである。
そんな事を知らなかった僕は、冷蔵庫のように冷えている部屋で自分のコートを布団代わりに寝るハメになった。
そんな寒さで眠れる訳もなく、ウロウロと部屋を歩き回ってみる。
すると、窓に小さな穴が空いている事に気がついた。
しかも、その穴から少しずつヒビが入っていて、目張りするには難しかった。
「この穴のせいでこんなに寒いんだ。おかげで部屋の中で遭難しそうだぞ!」
僕は穴をじっと睨んでやった。
「上等だ。僕はこんな事では負けないからな」
そんな勇ましい言葉を吐いて自分のテンションを維持させる。
しかし、寒いものは寒いので、僕は何か動く事をしようと思った。
暫く辺りを見回してみる。
体を動かす物…。
…そうだ、ピアノだ。
その部屋にはおもちゃの箱かと思うほどきゃしゃなアップライトが置いてあった。
恐る恐るその蓋を開けて、指を鍵盤に落としてみる。
「ド、レ、ミ、ソ…」
「え?」
今確かに音階が一つ抜けていた。
ドレミの次は当然ファだ。
なのに、確かに「ソ」と音が出た。
僕は絶望感に取り憑かれた。
全て鍵盤をたたいて見ると、半分くらいしか音が出なかった。
「こんなものがピアノと呼べるか!」
僕はピアノのお腹を蹴ろうとしたが、壊れそうなのでやめた。
「でも、僕が求めていたものに限りなく近い状態じゃないか」
修行がしたくて出てきたんだから、これくらいでキレてはいけない。
僕は、仕方なく、想像の中で音を鳴らしてみた。
 ここはソがなっているけど、本当はファ。
 ここの音は叩いても出ないけど、本当はラ。
そんな風に自分の頭の中で音をならしてみると、面白いようにイメージが広がった。
それは、誰の曲でもない、何の取り柄もない即興演奏だったが、疲れ切った僕の心を「回復」してくれる行為だった。

  「今だけは寒さを忘れさせてくれ」

そんな事を願いながらピアノに向かっていると、ショパンやラフマニノフの思いが伝わってくるようで感動的だった。
やがて、瞑っていた目から自然と涙がこぼれて来た。
その涙がとても温かかった。
とても、心地よかった。
そしてその時、僕はこの旅の真の目的を悟った。
「涙するための旅だ」と。

つづく

2008.01.30

アイスクリーム2

始めて降り立ったロシアの首都モスクワ。
その二日目に僕は散々な思いをさせられていた。
9月だと言うのに東京の真冬並みの寒さ。
元はと言えば、僕の計画性の無さがいけないだけなのだが、それにしても、東京の秋に着るくらいの防寒具しか持ってきていなかったのは、ロシアの寒さを侮り過ぎていた。
そのくせ荷物の重さは空港で量ったら70キロはあった。
加えて、僕には地図もなければ、ロシア語の理解力もゼロ。
「何を要らない物ばかり持ってきたのだか…」
僕はそんな事を呟きながら、キャリーバックの動きを妨げる石畳を睨んでいた。
やっとの思いで辿り着いたモスクワ音楽院では、銀行に行けだの、病院にいって注射して来いだのとたらい回しにあって、その日泊まる所の予約さえも出来ていない状態だった。
僕は、泣きたい程の不安と怒りを何とか勇気に変えつつ、言われたとおり、銀行で学費の全てをUSドルに替えて、その後病院で血液検査の注射もした。
そして、
それら全てが終わった後、モスクワ音楽院へ帰る途中に、絶望的な空腹感に見舞われた。
考えてみれば、この丸2日間、何の食料も口にしていなかった。
しかし、今は大金を持っているし、相変わらず70キロ以上の荷物を持ち歩いている。
落ち着くまでは食べる事なんて到底無理だ。
第一、ここは日本とは違うのだ。
油断すればすぐに荷物やお金は掏られてしまう。
このお金が無くなったら、全て台無しだ。
何のためにこんな思いまでしてここまで来たのか分からない。
かくて、僕は食べることをもう少しだけ我慢する事にした。

僕は蜘蛛の巣のように張り巡らされているモスクワの地下鉄を、路線図の位置関係と野生の感覚だけを頼りに乗り換えをしていた。
モスクワの地下鉄は時間によっては凄く混んでいる。
そして、みんな僕より背が圧倒的に高い。
そうでなくても「東洋人」という事で注目されていた僕だったが、70キロの荷物と挙動不審な動きによって、地下鉄の大スターになっていた。
露骨にクスクスと笑われているのが分かり、精神的にも疲労感がたっぷりだ。
そんな中の乗り換えは、僕にとって容易な事ではなかった。
混み合っている車内に僕が荷物を持って入ろうとすると、もの凄く嫌な目で見られる。
時には押し出されて転びそうになったりもした。
ロシア語が解らなくても、悪そうなお兄さんが「次に乗れよ」と吐き捨てているのが解た。
もう、そんな事で、僕は2本も乗り換えの電車を見送っている。
空腹も眠気も疲労も限界に近かった。

つづく

2008.01.28

アイスクリーム1

「北海道産の牛乳をたっぷり使ったアイスクリームは如何でしょうか」
ワゴンサービスのお姉さんが僕の車両にまわって来た。
ただでさえ寝付きの悪い僕は、せっかくウトウトしていたのにその声で起こされてしまった。
「まだ全然着かないじゃないか」
午前11時過ぎを指している腕時計と13時着と書かれている切符を見比べて、僕は深いため息を一つ吐いた。
そして、また眠りに付こうと努力した。
寝不足は指と脳を鈍らせる。
指と脳をフル活用しなくてはならない「ピアニスト」という職業の僕には、寝不足は天敵だ。
無理矢理でも睡眠を取らなくてはいけない。
しかし、一度起きてしまったら中々寝付けないのが僕だ。
眠れないのがもどかしくて、もぞもぞと座席の中を動き回る。
…動けば動くほど頭が冴えてくるのが分かる。
そうこうしている内に、完全に目が覚めてしまった。
「やばいな」
そんな事を呟きながらもう一度深いため息を吐いた。
しょうがなく、一旦寝るのは諦めて窓の外の景色を見てみる。

    白銀の世界が広がっていた。

僕の乗っている「北見発」「旭川着」の電車は丁度山間を走っていて、辺りに見えるのは「山と雪だけで構成された景色」だった。
これでもかと光を放つ1月の太陽の輝き。
それが一面に広がる雪に反射して、目の奥がくすぐったいような明るさだった。
僕は暫くその景色を堪能していた。
東京では絶対に見られない光景だろう。
こんな景色をいつも見ながら育ったら、僕も全く違う人間になっていたに違いない。
いや、でも、いつものように見ていたらうんざりするくらいにしか思えなくなるのかもしれないな。
そんな事を考えていると、ワゴンサービスのお姉さんが、やっと僕の席のすぐ後ろまで辿り着こうとしていた。
「北海道産のアイスクリームは如何でしょうか」
案外アイスクリームは人気があるらしい。
でも、僕は甘いものがあまり得意ではない。
普段なら「アイスクリーム」と聞いた時点でもう興味がなくなる。
アイスクリームは、甘いものの中ではまだ食べられる方だが、外でわざわざ買って食べようと思うほどではない。
しかし、その時ばかりは耳にとまってしまった。
「雪国とアイスクリーム」
その響きが僕に18歳の頃のモスクワ留学を思い出させたのだ…

つづく

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