清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2008.01.26

美しい呪い

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【愛の図】


「一緒に来てくれないか」
という答えに一瞬ついて行こうと思った。
でも、すぐに向こうから断ってきた。
「やっぱりだめだ。お前は俺だけのものじゃない。
 お前はご両親のものだ。親友のものだ。未来の夫のものだ。
 だから、ここで俺が独り占めしてはいけない。
 ちょっと妬くけどな…。
 将来、お前が幸せな生活を送りすぎてて、幸せと平凡の差が何か解らなくなった時に
 少しだけ俺の事を思い出してくれよな。
 遠いところでも、いつまでも、お前の事を想ってるぜ。」

僕にもこんな台詞が言えるかな。
ずっと一緒にいたいという気持ちと、一緒にいない方がいいという気持ち。
愛の中にも、矛盾と葛藤が沢山ある。
時には、それらの試練を乗り越えなくてはいけない時があるかもしれない。
美しい呪い、愛。
僕らは、その宿命に立ち向かう事が出来るだろうか。

2008.01.25

愛の選択

お互いに強い愛があって、どうしても離ればなれにならなくてはいけない運命だとしたら、
僕は受け入れられるだろうか。

無理だと思う。

それを受け入れようとするがために、色々な問題が出てくると思う。
体にも心にも沢山のダメージがあるだろう。
愛を真っ二つに割るなんて事は、本当に残酷な事だ。

霊を信じるかどうか、それは人それぞれだ。
僕は信じている。
霊がいて、きっと僕たちを見ている。
怖い想像をしてしまうが、先祖であり、愛する者であり、それらの霊は、
少なくとも心の中には存在しているのではないか。

愛する者が死んでしまった場所。

そんなところには、いつもその人の魂があると思ってしまう。
ずっと、僕のことを待っているような気がする。
「どうして会いに来てくれないんだろう」
そんな風に寂しく思ってるかもしれない。

僕が、もし亡くなった愛する人に「一緒に来て」と言われたら、どうするだろう?

あなたなら、どうしますか?

2008.01.19

自己愛

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【この路の先には何があるのでしょう?】

一説では、
人間は「自分をコントロール出来ている」という事で満足感を覚える動物らしいです。
つまり、欲を自制する事で、自分が好きになれるという事です。
例えば、拒食症に陥る多くの人が、この「自制」と言う言葉に敏感で、
「食欲を抑えられる事の出来る自分は出来ている人間」という様に思えるのです。

確かに、それは言えてる気がする。
欲を制御出来たときは、欲を垂れ流しのようにしている時より自分を好きになれる。
それは僕も確かに感じます。
でも、幼い頃から親などに叱られて育った人は、
中々大人になっても自分に価値を見出せない。
なので、これでもか、というように自分の欲を抑えようとする。
欲を抑える事によって、自分の価値を見出そうとするそうです。
そうなると、死に至るまで食欲を制御し続ける。
それは、本当に悲惨な事だと思います。
自分を愛するって、本当に難しいのですね。

でも、第1歩を踏み出す事も相当難しい。

ニートと呼ばれる若者達の多くが、やりたいことが沢山あるし、野望も夢もある。
むしろ、その夢への気持ちが強すぎて、動けない人もいる。
それを頭ごなしに「ニート」と呼び出した大人達には、彼らにプレッシャーを与えて、
よりいっそう動けなくさせた責任がある。
「やりたい」という気持ちと「何がやりたいかわからない」という矛盾が動きを止めてしま
う事だってある。
そうなると、日に日に動く気力は失せていく。
希望を持てば持つほど辛くなっていく自分。
それは苦しい現実だろう。
僕にもそんな気持ちがすごく解る。痛いほど理解出来る。
それはケンイチも言ってたな。

僕は、第1歩を踏み出す時、一番必要になってくる事が、自己愛だと思います。

勇気、気力、気合い?
どれも2の次。
まずは自分が好きじゃないと。
だから、僕はまず「自己管理」から入りました。
自分の欲を、自分でコントロール出来るように。
やりたいと思うことも、冷静に考えて自制する。
それで、段々と自分の価値を見出せていけます。
多くの若者が、「どうしよう」と考えるばかりで、自己管理を怠っているように思えます。
まずは、しっかり自分をコントロールするところから、始めてみましょう。

生きていく上で、不必要な分の食事をしない。
眠くなくても、ちゃんと12時には寝る。
色々と考えられると思います。
規則正しい生活。
そこから生まれるものは、美しいです。
もちろん、毎晩のように友達と飲み明かして、なんて経験も必要です。
でも、何かを生み出すときには、ちゃんと自己管理したいですね。^^

2008.01.17

旅路

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【水には癒されます】

さてさて、今回は「先生」と呼ばれる仕事をしています。
名古屋から大阪、広島と終わって、今日は福岡に来ています。
講義というのは始めてなのですが、コンサートよりも遙かに会場との対話が出来るので、
また違った楽しさがありますね。
「また来て下さい、第2弾を待ってます」
この言葉がこれ程嬉しいと思ったことはありませんでした。
講義も、中々やみつき。(^_-)
でも、「先生」はやめてほしい…です…。笑

今居る福岡の博多は、中学生の頃に入賞者演奏会で来たことがあります。
去年も一度コンサートで来ましたが、中学の時に弾いた「アクロス福岡」というホールを
先ほどちらっと観てきました。
つい「こういう建物だったっけか…」なんて見入ってしまいました。
一度旅に出てピアノを弾きに来た地にもう一度帰ってこれるっていいですね。
色々なところに「帰ってくるところ」を作りたいと思いました。
あ、なんか浮気亭主みたいな事言いましたね僕。笑
そう言う意味ではありません、ヨ。
(/\)

2008.01.10

負けるな、僕たち。

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【素敵なBARカウンターでしょ?】

幼い頃、思春期、そんな「人生の前半」では、人間はまだ自分自身の生に責任を持てない。
だから、自分が嫌な目に遭う事を受け止められない。
自分がそんな目に遭う筋合いが理解できないのだ。
大人になって、やがて自分自身の生に責任が持てるようになったら、
どんなに嫌なことがあっても、
ある程度は自分に問題がなかったか、自分が悪かったのではないか、
と理解をしめそうとする。
でも、若い時は別だ。
人は、生まれもって「幸せな動物」だと自分の事を思っている。
誰にもいじめられず、誰にも恨まれる筋合いはないと、そう信じている。
ある意味では自己中心的かもしれない。
しかしそれらの罪の責任は、「子供だから」という理由で大体は消去される。

でも、理解というのは良い物かどうか、それを判断するのは難しい。
理解するという事は、何かを知るという事だ。
知ってしまった以上、もう考えにくくなってしまう事もある。
知って失うものも、ある。
人生の前半でしか考えつかない事があるのだ。

人生の長い時間にしてみれば、
闇夜からワープしてしまうかのように消えて行く流れ星のようかもしれない。
子供時代や思春期は、それくらい一瞬のものだ。
一瞬だけど、きらめきのある、輝かしいものだ。
アイディアや閃きの宝庫とも言える。

しかし、僕たちは人生の後半にかけて、その輝きを失いつつある。
覚えている事もあるけれど、やっぱり失うものも多いだろう。

僕は子供の時、一体どんな夢を持っていたかな?

もう1人の自分に問いかけてみる。
子供の時分は、しっかりと自分の中に生きているのだ。
いつまでも歳をとらず、ネバーランドにいるかのように、僕の中で時間を止めている。
その時分に問う。
僕は一体どんな夢をもっていたのか。

…そうだ。
ピアノをやっていて中々学校に行けなくていじめられたり、
授業についていけなくて孤独感を味わったりしていた僕は、
とにかく人の輪に入りたかった。
はっきりいって、ピアノなんて二の次だった。
まずは友達を作って、人間の輪に入ってみたかった。

「友達が出来ますように」

そんな願いをクリスマスのサンタに向けて強く贈っている子供も、確かにいるんだ。
今だっているだろうな。
辛さを表面に出せる人もいれば、元気なふりが出来る人もいる。
僕はどっちだったかな。

とにかく、僕は自分が嫌いだった。

自分の生に責任を持てない時期だから、僕がそんな目に遭う筋合いがわからなかった。
だから、何かのせいにしなきゃ生きている事自体が屈辱だった。
だから、僕は自分を恨んだ。
恨む対象として、自分を選んだんだった。
ずっと忘れていた。
でも、今でもふとした瞬間に思い出すことがある。
自分が大嫌いだった事を。

今から考えると、どうして自分が嫌いになってしまったのか、よくわかる。

今自分の前に子供時代の僕が現れたら、すぐにケアしてあげたい。
君は悪い子じゃない。
君は悪くない。
君は、思いっきり泣きたいんだ。
でも、泣きつける相手もいない。
泣きっ面を見せられる程心を開いた相手もいない。
そして、何よりも、本音を言うのが怖い。
本気になる事が怖い。
自分が価値のない人間だと自分自身で確信してしまうのが、怖いんだ。
自分だけが、自分を愛してあげられる最後の1人だから。
自分だけが、自分を解ってあげている最後の1人だから。
この最終ラインを、突破されたくないのだ。

大人になってきている今、そういう過去はずっと忘れていた。


でも、今は色んな人に愛されている。
子供の頃、命と同じくらい大切なピアノを投げ出してまで欲しかったものが、
手を広げて僕を歓迎してくれている。
「僕は、人の輪に入っている。」
そんな事をステージの上で、僕はいつも感じている。

まだまだ僕には引きずっているものがある。
でも、色々と、失ったものがあるのは、大人になったからじゃないかもしれない。
今まで生きてきて、色々な事を得たからかもしれない。

子供の頃、思春期、そんな繊細な時期にダメージを受けた人間は、
いい人になるか、悪い人になるか、ぎりぎりの所で生きている。
どっちにも転べる。
もしくは、どっちも持っていられる。
親切過ぎる程優しい心と、冷酷で残酷な感情、それを同時に持っていられる。
でも、言い換えれば、何かを引きずっていて人を無差別に恨むような人にも、
誰よりも優しい天使のような心があるんだ。

いつでも悪魔と対決して打ち勝たなくてはいけないという呪いがあっても、

  
          負けるな、子供たち。


僕は、あの、闇夜に浮かぶ一瞬の煌めきのような時代を、ずっと忘れたくない。
たとえそれが受け入れたくない過去であっても、
しっかりと僕の中で生き続けている子供の僕を、優しく包んであげたいと、そう思う。

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