孤独を楽しむという事。
それは僕ら人間にとってとても贅沢な事だ。
人間にとって指折りに大切なものを、
敢えて抑えつけてやっと手に入れる事が出来るからだ。
だから孤独は、お金や時間と一緒で、使い方を間違えたら大変な事になる。
二度と手に入らないものを失ってしまう可能性がある。
それは、
健康という財産を支払ってまで手に入れようとする酒やタバコにも似ているかもしれない。
それでも、僕ら人間は孤独を愛し続けて生きている…。
当然、僕にも孤独が必要だ。
独りの時間に得る事も多い。
しかし、どうしてリスクのある「孤独」を、人々は愛するのだろうか?
その理由の一つには、自分を偽っていなくてはいけないという、
人間の社会的な生活スタイルが関係あるのではないか。
多かれ少なかれ、人間は自分を偽って生きている。
それをマナーと呼んだり、エチケットと呼ぶことさえある。
社会性や協調性は、僕ら人間が快適に生活するためにとても重要な事である。
それは何としても守らなくてはいけない。
それが無くなれば、僕ら人間は生きる事自体が極端に心地悪くなるだろう。
その社会性や協調性を守るための原動力として、「孤独」があると思う。
だから孤独は必要だと思う。
だけど、それを楽しむという事に、大きなリスクがある事を忘れてはいけない。
社会性や協調性と同じように、いや、それ以上にかもしれない、
「信頼」というものは大切なのだ。
クリック一つで情報が山のように手に入る今、
僕らはリアルなものの大切さを忘れ始めている。
信頼や友情、愛情など、当たり前だとされていた人間性の価値が段々薄れている。
いや、価値は上がっているのだ。
ただ、僕らにとっての価値観が薄れてきているだけだ。
いつから「感情論」を否定する時代が始まったのだろうか。
論理は正当な感情を肯定するためにあるのではないのだろうか。
「理性」というものを盾にして感情を抑えつけるのではなくて、
今一度、本当に大切なものは、人間性なんだと、僕は強く思いたい。
孤独は、「孤独とは人間にとって贅沢なものだね」と語り合う仲間がいてこそ、
価値があるものだという事を忘れてはいけない。