清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2007.11.14

感謝。

僕の尊敬するドクター曰くは、
「25歳から人生は始まる」そうです。
そうだとしたら、今日から僕の人生は始まります。
もう時間が0時をまわったので昨日となりましたが…。

どうも、
しゃべりすぎていつも「ではそろそろ…」とインタビュアーにしめさせてしまう僕です。

新たに始まった人生一発目の仕事は国際フォーラムでのリハーサルです。
ワーナーミュージックのお祭りがあります。
国際フォーラムで弾くのは初めてですが、今からとても興奮しています。
頑張りますよー!^^


僕の誕生日会にお集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました。
金沢や京都、その他遠くからはるばる来て頂きまして、誠に恐縮しています。
親友のヴァイオリニスト吉田翔平君や、俳優の渡邉邦門君も駆けつけてくれて、
本当に幸せでした。

心から、ありがとう、です。

みんなに深い深い愛を。
おやすみなさい。
甘い夢を…zzz

2007.11.11

Love is ...

IMG_0524.JPG
【事務所の社長割田さんが撮ってくれた写真です】


愛とは何だろう。
いや、言葉で表そうとする事自体がおかしい事かもしれない。

バイクに乗ってもだめで
ドライブしてもだめで
ジムで汗を流してもムダ
犬と会話しても解決せず
親友に相談したってだめだ

何をしたって
暗くして眠る時に僕の頭の中をそれが駆けめぐる
心をかきむしるように胸の中を駆け回る

こんなに辛い目に遭っても
こんなに心をかき乱されても
それでも忘れられない
「どうして僕をこんな気持ちにさせるんだ」
いつもそうやって愛の事を呪っている

でもいつだって自分からだってやめられるのに
どうしてもやめられない

あの時代も
その時代も
いつだって僕の傍に愛があった
どんなに苦しい時でも
どんなに余裕がない時でも
何かを愛してここまで生きてきた

いつだって一緒だった

この「愛の呪い」から解けるには一つだけ方法がある

    
   「君が好き」
           
         そう呪文を唱える事だ

2007.11.10

雨の土曜日に思う事

ワーナーから出ている「ぐっすり眠れるクラシック」というCDがとても素晴らしいものでした
選曲も、録音も、とても素敵。
こんなCDをいつかプロデュースしたいな!と思っていたのに、先を越されました…。

今日東京は雨の土曜日でしたね。

僕は子供の頃は土曜日にいつも音楽教室に通っていました。
音楽の塾みたいなものです。
片道2時間かけて通っていましたが、帰りの電車がいつもこんでて大変でした。
でも、今となっては「良い思い出」です。
今振り返ってみると、その時大変だった事の方が、より印象強く心に残っていて、
良い思い出と変わっていきます。
その時嫌で大変でも、月日が経過すると、一生懸命やった事は良い思い出になるんですね。
もちろん、ならないくらい辛い出来事もあるけれど…。

やっぱり、歩みは止めない方がいいな。
未来の自分のためにも。

2007.11.07

知ること

「知る」という事はとても怖い事です。
情報というものは、音楽と一緒で、「出逢い方」が大切です。
ただ単に情報を得るのではなく、良い形で情報を手にする事が重要です。
音楽だって、綺麗なコンサートホールで聴くのと、会議室みたいなところで聴くのとでは、
同じ音楽だとしても、まったく違うように聞こえるでしょう。
そう、音楽も情報も、出逢うシチュエーションや環境が大切です。

だから僕は、人から「これいいよ」と気軽に勧められるのがあまり好きではない。
そして、自分自身でも「これいいよ」と人に勧めるのが好きではない。

僕が本当に良い音楽と出逢ったとき、涙が止まらない程素敵な映画に出逢ったとき、
大切な家族、大切な友人にそれを心から勧めたい。
でも、僕が気軽に勧める事によって、彼らはそれらの芸術と「出逢う」事が出来なくなる。
これは、僕がいつも抱えている大いなるジレンマなのです。

ただその音楽を聴けば良いというものではない。
ただその映画を観れば良いというものではない。

僕らは、
それらの芸術と運命的な出逢いをする事によって、初めて本当の感動を味わう事が出来る。
だから、僕は、本当に素敵な美しい芸術と出逢った時、勧めたい気持ちを抑えて、
ただただそれが彼らと運命的に出逢える事を祈るばかりなのです。
もどかしい。
僕の中には本当に沢山の芸術が眠っているのに、それを彼らに伝える事が出来ない。
あなたにも伝える事が出来ない。

だから、頑張って出逢いを探して下さい。
クリック一つで多くの情報が手に入る今、
運命的な出逢いを探すという事を僕たちは忘れかけていると思います。
便利という裏にはいつも何かが失われているのではないのでしょうか。

でも、そんなリスクを冒してでも、勧めなくてはいけない時もあるのでしょうか。

ここまで僕が「勧める」という事の重大さを語れば、大丈夫でしょうか。
それには勇気がいります。
この事については、もう少し、考えてみることにしましょう。

2007.11.04

孤独という名のワイン

孤独を楽しむという事。
それは僕ら人間にとってとても贅沢な事だ。
人間にとって指折りに大切なものを、
敢えて抑えつけてやっと手に入れる事が出来るからだ。
だから孤独は、お金や時間と一緒で、使い方を間違えたら大変な事になる。
二度と手に入らないものを失ってしまう可能性がある。
それは、
健康という財産を支払ってまで手に入れようとする酒やタバコにも似ているかもしれない。

それでも、僕ら人間は孤独を愛し続けて生きている…。

当然、僕にも孤独が必要だ。
独りの時間に得る事も多い。
しかし、どうしてリスクのある「孤独」を、人々は愛するのだろうか?
その理由の一つには、自分を偽っていなくてはいけないという、
人間の社会的な生活スタイルが関係あるのではないか。

多かれ少なかれ、人間は自分を偽って生きている。
それをマナーと呼んだり、エチケットと呼ぶことさえある。
社会性や協調性は、僕ら人間が快適に生活するためにとても重要な事である。
それは何としても守らなくてはいけない。
それが無くなれば、僕ら人間は生きる事自体が極端に心地悪くなるだろう。

その社会性や協調性を守るための原動力として、「孤独」があると思う。

だから孤独は必要だと思う。
だけど、それを楽しむという事に、大きなリスクがある事を忘れてはいけない。
社会性や協調性と同じように、いや、それ以上にかもしれない、
「信頼」というものは大切なのだ。

クリック一つで情報が山のように手に入る今、
僕らはリアルなものの大切さを忘れ始めている。
信頼や友情、愛情など、当たり前だとされていた人間性の価値が段々薄れている。
いや、価値は上がっているのだ。
ただ、僕らにとっての価値観が薄れてきているだけだ。

いつから「感情論」を否定する時代が始まったのだろうか。
論理は正当な感情を肯定するためにあるのではないのだろうか。

「理性」というものを盾にして感情を抑えつけるのではなくて、
今一度、本当に大切なものは、人間性なんだと、僕は強く思いたい。

孤独は、「孤独とは人間にとって贅沢なものだね」と語り合う仲間がいてこそ、
価値があるものだという事を忘れてはいけない。

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