清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2007.11.02

一匹の猫

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【先日(10月30日)の横浜市立中丸小学校でのコンサートの様子です。子供は歩く未来。大好きです】


「そういえば、あの日の夜もこんな雨が降っていた。」

たまに転がり込んできた夜のフリータイムに「散歩」を選んだ僕に、
高校生の頃に降ったような霧雨が降り注いだ。
仕事がある時は「衣装が濡れないか」「手が冷えないか」なんて心配事ばかりを運んでくる
雨だけど、解放された心を持っている時の雨は「命の恵み」だ。

久しぶりの雨を感じて、僕は高校生の頃の思い出を思い出した。

後輩が真夜中に深夜バスで上京してきて、まだここら辺の地理間がないらしく、
僕に電話してきた。
電話によると、どうやら僕の家から自転車で1時間くらいのところに降りたらしい。
彼の家は僕の家から近かったので、同じく自転車で1時間くらいなのだけれど、
彼は今バスで来たんだから、歩かなくてはいけない。
上京したばかりの学生がタクシーで帰るわけにもいかない。
一応僕は電話で道を説明したのだが、電話を切ってからやっぱり放っておけなくなった。
結局1時間かけて迎えにゆき、帰りは自転車を引いて帰ってくる事にした。

僕「おう、夜遅くに大変だったね。」
後輩「ありがとうございます。」
僕「じゃ、行こうか。」
後輩「…はい。笑」
僕「…うん。笑」

男二人、仲良く歩き出した。
これが女の子なら良かったのになぁ、とか色々冗談を言いつつ、
高校野球の話したり、音楽の話したり、他愛のない時間を過ごしながら歩いた。
1時間も歩くと流石に飽きてきて、二人ともしゃべらなくなった。
疲れると、考えにユーモアが無くなってくる。
更に、眠気も出てきて機嫌も悪くなる。
そうなると、先輩としては「説教」しかしなくなる。笑
「あのな、この音楽って世界はさ…」
自分でも嫌気がさす。
言いたくもない説教がよくも口から漏れてくるものだ。
でも、後輩は意外と楽しそうだった。
色々な言葉に色々な反応をしめした。
そうなると、いよいよ僕の話はヒートアップして、最終的には「感情論」になる。
「いくら音楽が出来ても、まずは人間的に大家にならないとだめだぞ」
誰でも言えるような事を恥ずかし下もなくいばりばがら言う僕は自分で笑ってしまった。

気付くと1時間半も歩いていた。
そろそろ後輩の家に着く。
後10分くらいだろうか。
…と、真夜中3時の道路中央に異物が。
近づいてみると、どうやら「猫」らしい。
動けないところを見ると、事故に遭ったみたいだ。
僕らの疲れはピークだったし、眠気もあったから、一度は通り過ぎた。
二人とも可哀想な猫を見ていたので、なんとなく変な雰囲気になった。

僕「なぁ、やっぱり、だめだよなぁ…」
後輩「…はい。」

くるっと振り返って自転車を置いて、猫が横たわっていたところに戻っていった。
間近で見ると、見るに耐えない姿が目に飛び込んできた。

僕「これは酷いな。」
後輩「…はい。」

猫は、どうりで動けないわけである。
頭意外は原型がなくなっていた。
でも、強く最期まで生きようとしていた。
動くはずもない足を動かそうと必死にもがいていた。
流石にさわる事にためらいを持っていて、僕たちは男下もなくただ立ちつくしていた。
少しずつ、本当に少しずつ猫は動いていった。
このままでは道路のど真ん中でまた引かれてしまう。
それをわかっているのだろうか。
歩道に出ようと必死だった。
それが解ったので、勇気を出して僕と後輩は首根っこを摑んで歩道へと猫を退避させた。
歩道まで来ると、一旦猫は気を失ったかのように動かなくなった。
「死んじゃったかな…」
クールを装ったが、僕は胸の内を掻きむしられたような感覚を覚えた。

すると、そこに非情な雨が…。

雨は霧雨になって僕たちの悲しみに拍車をかけ、苦しんでいる猫には孤独をもたらした。
雨の冷たさを感じると、猫はまた必死で動き出した。
行き先を見ると、トラックの下だった。
僕は涙が溢れるのを抑えられなかった。
かわいそうだからというより、この猫の「生きよう」という力に感動したのだ。
猫は自分が死ぬ事を知っているのだろうか。
もう助からないと悟っているのであろうか。

猫の頑張っている姿に背中を押されて、僕は近くのコンビニに飛び込んだ。
「すみません、電話を貸していただけませんか。猫が死にそうなのです。」
自転車で真夜中に後輩を迎えに行くだけだったので、僕はお金を持っていなかった。
その事を言うと、店員はすごく煙たそうな顔をした。
「だめだよ。ここの電話は。」
あまりに冷たくあしらわれ、僕は諦めた。
なので、あと10分くらいの後輩の家に自転車で行って、急いで小銭を持ってきた。
そして、電話帳で24時間やっているという動物病院に電話した。
すると、どこの病院からも、僕らが高校生でお金を払えなさそうという事で断られた。
結局、全てのアイディアが失敗に終わり、僕らは再び猫のもとにもどってきた。

…まだ息はある。

トラックの下で、雨をよけながら最期まで必死に生きようとしている。
「ごめんな、ごめんな。僕はいつも必死でピアノを練習してるんだ。
 後輩だって、必死にヴァイオリンを練習しているんだ。
 だけど、今お前を助ける事が出来ない。…無力だよ。情けないよ。本当にごめんな。」

霧雨に降られてずぶ濡れになっている事も忘れて、猫の前で男二人落胆していた。
すると、パトカーが通った。
僕は迷わずパトカーを止めた。
そして全てを話した。
年配のお巡りさんはとても親切に話を聞いてくれた。
あの夜の、唯一の救いだったかもしれない。

「この猫は明日保健所に引き取って貰うから、君たちは心配しないで寝なさい。」

明日まで生きられるとは思えないが、その言葉に僕らはやっと救われた。
でも、パトカーについて行って、交番まで見届けた。
最後にもう一度「ごめんな」と言った。

…何がごめんなんだろう。
僕みたいな奴を偽善者というのだろうか。
自分を責めればそりゃ簡単だ。楽だ。
でも、救えなかった。
それは事実だし、悲しいのも事実だ。

僕と後輩はただ一晩中黙り込んだ。

あれから随分時間がたったな。
でも、思い出すと昨日のようだ。
あの猫、あれからどれだけ生きたのだろうか。
そういえば、あの時、霧雨はいつ止んだのだろう。
いつしか晴れていたっけ…。

そんな事を霧雨がきっかけになって思い出していると、散歩も長引いてしまった。
あの時助けられなかった猫を、僕はいつまでも忘れない。
あの生命力を忘れない。
諦めるという事は、全て間違いだ。
そう学んだ。

あの時の後輩は今ドイツへ留学に行っている。
人生は色々だ。
本当に沢山の出会いと別れがある。
ただ、過去も未来も、人は愛しい。
僕も、あの猫のように、最期まで頑張れるかな。


  私が歌う訳は一匹の子猫
  ずぶ濡れで死んでゆく
  一匹の子猫

三善晃さんの合唱曲の歌詞にこんなのがあった。
あの一件の直後、この歌を高校の合唱コンクールで歌った。
奇遇だろうか、それとも、何かの運命だったのだろうか…。


    …あの夜も、今日のような霧雨だった。
    恵みの雨は、生命の美しさを、そして儚さを芸術的に飾り立てる。
         そんな霧雨が、僕は好きだ。

2007.11.01

NAOTO兄さん

「前は8人しかお客様がいないコンサートもありました…」

のだめでご一緒したNAOTOさんは、昨日の国際フォーラムでのご自身のライヴで、
素敵な笑顔を浮かべて、優しい瞳の奥にに懐かしさを秘めながら仰っていました。
とても素敵なコンサートでした。
クラシックで培った気品と数々のライブで培ったノリが融合していて、
なんとも格好いいライブでした。

「ヴァイオリンを野球選手やサッカー選手のように子供達が憧れるものにしたい」

そうも仰っていました。
すごく共感したし、勇気も貰いました。
近々NAOTOさんともご一緒出来る事があると思います。
その時、一体どんな音楽が出来るのでしょうか?
とても楽しみです。
これからは孤独な舞台だけでなく、誰かと共有出来る舞台も楽しみたいなと思います。
楽しみにしておいて下さいね。^^

2007.10.27

誰ピカ

たけしの誰でもピカソが昨日放送になりました。
サオティとタカピーとまたコラボりたいなぁ。
「夢をかなえる」というのが最近の僕のブームなので、是非またコラボしたいと思います。
新しい芸術を生み出すという夢に向かって爆走です!^^
番組を観てくれた皆様からたくさんのメッセージやご感想を頂けました。
TVの力はやっぱり強大だなぁ。

まぁ、それにしても、けんちゃんのメッセージですよね…笑
実際収録の時けんちゃんのメッセージが流れるまでは僕は知りませんでした。
サプライズだったのでちょっと感動してたのですが、
初めから最後まで、一度も褒めず。笑
まさに「いつも通り」でした。
スタジオでは「王子」というテーマを盛り上げようと、何かと王子というキャラを立てて
下さっていたのですが(特にまりなさんとか)、けんちゃんのメッセージでそれも全て

            水の泡(-_-#)

                    に。笑

「ふん(鼻で笑う音)、王子…」
「まったくもてない」
「残念ですよね」

スタジオの客からまりなさんから、びっくりしていました。笑
僕も心の中で(このやろう…(メ-_-))と。笑
メッセージの後のまりなさんのリアクションが、ちょっとどもりながらも、
「な、仲良いんですね〜!はははははー」
という完全なる「フォロー」でした。笑
けんちゃんめ。

でも、とても嬉しかったです。
ただでさえ「ソロピアニスト」という孤独な商売。
舞台ではいつも自分を信じるしかない。
僕は今までの人生、色々な意味で「独り」でしたから、
こうやって、「公の場で悪口まで言える親友が出来た」
と思うとなんだか心が温かくなりました。
ありがとうねけんちゃん、忙しいところ、いっぱいコメントしてくれて、
いっっぱい愛の籠もったメッセージをくれて、…いっぱい暴露してくれてよ!(`_´)ゼエゼエ

あ、そうそう、番組を観た方からの一番多い質問で、けんちゃんが言っていた、
  「女の子と一緒に遊ぶ機会があった」
というやつ、あれは合コンとかじゃないですよ。^^
それに、けんちゃんがフルから僕は1人で乗りつっこみをしてるのです。
決して病気のように独りだけでやっているのではないです。
ふったらふったで、面白くないと放置するやろうなので、結果独りになる事は多々ですが…

でも、ピアノを抜きにして人と(特に女の子と)話すとかなり顔が赤くなります。
それは事実ですね…。
言葉より先にピアノでの表現を覚えたので、
ちょっと言葉で自分を表現するのが恥ずかしいのです。ほっとけ!笑

まぁとにかく、誰ピカ、観てくれた皆様、ありがとうございました!
そして、昨日、雨の中上大岡のサロンまでコンサートに来てくれた皆様、
                       ありがとうございました!

誰ピカでも使っていたヤマハのグランドピアノ「CFⅢS」。
僕はこのピアノが無くては生きていけません。
本当に、ヤマハは日本の誇りだと思います。
ヤマハとレクサスは、日本の誇りです!!
全部全部にありがとう!!\(^O^)/


誰ピカ収録語、即けんちゃんに苦情の電話。笑
しかし、いつものようにさらっと受け流され終了。笑
ちくしょう…( -_-)
いつか復讐を…( -_-)
待っておれ…( -_-)
 
 僕:けんちゃん、今誰ピカ収録終わった。あれはどういう事だ(-_^:)
けん:…ふん(鼻笑)。最高の褒め言葉だろっ!(`ヘ´)
 僕:…。
けん:ところで暇出来たからご飯でも付き合って。
 僕:…はい。(・_・)

いつもこんな感じです。笑

2007.10.25

深夜の更新

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【劇場の客席をステージから見た写真】


遂に帰国してしまいました。
行ったばかりの頃はまだ暑いくらいだったのに、帰る時は寒くて寒くて…
でもスイスでの冷たさは心地よかったです。
帰り、あえて劇場を通って帰ってきたのですが、涙は出ませんでした。
なんだか随分「別れの涙」を流した事がなかったので、それを体験したかったのですが、
どうしても「お別れ」という感じがせず「ちょっと行ってくるね」という感じがしました。
とても勇ましい気持ちで帰ってこれた僕です。^^

そういえば、帰りの飛行機で隣にドミニカの方が座っていて仲良くなりました。
英語がまったく話せず、スペイン語しか話せないのですが、
それが逆に僕の気持ちをふっきらせてくれて、僕も日本語で話ししました。
周りからみればかなり奇妙だったでしょうね。笑
でも、ちゃんと意志疎通していました。
日本語とスペイン語で。
多分…。

東京は秋ですね。
2度も秋を体験したようで得をした気分です。

2007.10.22

人生という電車

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【プロスペロー役のヘンリーとその奥様に囲まれて】


遂に僕にとって初めての劇が終わってしまいました。
達成感やらお別れの悲しさやら、色々な感情が入り乱れました。
何でもそうですが、一生懸命創れば創る程、本番の時間があっという間に感じます。
プロスペローという男、その波瀾万丈な人生の最後を語っている劇。
何十年という月日が、ほんの数時間で垣間見えているようで、
儚くも、切なくも感じました。

でも、人生なんてそんなものかもしれないな。

中学生や高校生の頃まで、いや、つい最近までは、「人生って長い」と思っていました。
でも、僕は今25歳になるところで、今までの25年間はあっという間でした。
もちろん、色々な事があったし、色々な思い出が沢山詰まっている25年間だけど、
一つ一つ思い出していけば、気が遠くなるような長さにも感じるけど、
でも、全体の印象としては、「あっという間」です。
そして、この「あっという間」を後2回ほどしたら、もう人生は最後の時期です。
いや、もしかしたら後1回もないかもしれないけど…^^;

僕の尊敬するドクターはこう言っていました。

「人間25歳までは人間じゃないと僕は考えている」

25歳になってようやく生まれるのだ、と言っていました。
確かに、25歳って人生の転機だと思う。
僕もこの何年かで色々な事が変わったし、自分が誰なのか段々とわかってきた。
でも、後1,2回で終わりって思うと、短いなーと思います。

「電車の中にいると、隣の電車が動いているのか自分が乗っている電車が動いているのかが
 わからなくなる錯覚に陥る事があるけれど、外で見ていればそれはすぐに判断出来る。」

こんな言葉を聞いた事がありますが、若い内というのは中々「人生という電車」を外から見
る事が出来ないものですね。
後どれくらいでどこに着くのか、今自分の電車は動いているのか、それとも動いているのは
隣の電車なだけなのか。
でも、電車にはどうせ乗って行かなきゃいけないのだから、
それは若さのせいだけではないかな。
たまには、こうして「外」で電車を見る事もしなくてはいけないですね。

大切なものを忘れたくない。
でも、外にいては忘れ物に気付かない。

人生て本当に分からないけど、でも、こうやって大切な仲間が出来た事が本当に嬉しい。
     「さよならだけが人生だ」
五木寛之さんの小説で旅する青年が言っていた言葉だけが、僕の心をこだましています…

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