一匹の猫
【先日(10月30日)の横浜市立中丸小学校でのコンサートの様子です。子供は歩く未来。大好きです】
「そういえば、あの日の夜もこんな雨が降っていた。」
たまに転がり込んできた夜のフリータイムに「散歩」を選んだ僕に、
高校生の頃に降ったような霧雨が降り注いだ。
仕事がある時は「衣装が濡れないか」「手が冷えないか」なんて心配事ばかりを運んでくる
雨だけど、解放された心を持っている時の雨は「命の恵み」だ。
久しぶりの雨を感じて、僕は高校生の頃の思い出を思い出した。
後輩が真夜中に深夜バスで上京してきて、まだここら辺の地理間がないらしく、
僕に電話してきた。
電話によると、どうやら僕の家から自転車で1時間くらいのところに降りたらしい。
彼の家は僕の家から近かったので、同じく自転車で1時間くらいなのだけれど、
彼は今バスで来たんだから、歩かなくてはいけない。
上京したばかりの学生がタクシーで帰るわけにもいかない。
一応僕は電話で道を説明したのだが、電話を切ってからやっぱり放っておけなくなった。
結局1時間かけて迎えにゆき、帰りは自転車を引いて帰ってくる事にした。
僕「おう、夜遅くに大変だったね。」
後輩「ありがとうございます。」
僕「じゃ、行こうか。」
後輩「…はい。笑」
僕「…うん。笑」
男二人、仲良く歩き出した。
これが女の子なら良かったのになぁ、とか色々冗談を言いつつ、
高校野球の話したり、音楽の話したり、他愛のない時間を過ごしながら歩いた。
1時間も歩くと流石に飽きてきて、二人ともしゃべらなくなった。
疲れると、考えにユーモアが無くなってくる。
更に、眠気も出てきて機嫌も悪くなる。
そうなると、先輩としては「説教」しかしなくなる。笑
「あのな、この音楽って世界はさ…」
自分でも嫌気がさす。
言いたくもない説教がよくも口から漏れてくるものだ。
でも、後輩は意外と楽しそうだった。
色々な言葉に色々な反応をしめした。
そうなると、いよいよ僕の話はヒートアップして、最終的には「感情論」になる。
「いくら音楽が出来ても、まずは人間的に大家にならないとだめだぞ」
誰でも言えるような事を恥ずかし下もなくいばりばがら言う僕は自分で笑ってしまった。
気付くと1時間半も歩いていた。
そろそろ後輩の家に着く。
後10分くらいだろうか。
…と、真夜中3時の道路中央に異物が。
近づいてみると、どうやら「猫」らしい。
動けないところを見ると、事故に遭ったみたいだ。
僕らの疲れはピークだったし、眠気もあったから、一度は通り過ぎた。
二人とも可哀想な猫を見ていたので、なんとなく変な雰囲気になった。
僕「なぁ、やっぱり、だめだよなぁ…」
後輩「…はい。」
くるっと振り返って自転車を置いて、猫が横たわっていたところに戻っていった。
間近で見ると、見るに耐えない姿が目に飛び込んできた。
僕「これは酷いな。」
後輩「…はい。」
猫は、どうりで動けないわけである。
頭意外は原型がなくなっていた。
でも、強く最期まで生きようとしていた。
動くはずもない足を動かそうと必死にもがいていた。
流石にさわる事にためらいを持っていて、僕たちは男下もなくただ立ちつくしていた。
少しずつ、本当に少しずつ猫は動いていった。
このままでは道路のど真ん中でまた引かれてしまう。
それをわかっているのだろうか。
歩道に出ようと必死だった。
それが解ったので、勇気を出して僕と後輩は首根っこを摑んで歩道へと猫を退避させた。
歩道まで来ると、一旦猫は気を失ったかのように動かなくなった。
「死んじゃったかな…」
クールを装ったが、僕は胸の内を掻きむしられたような感覚を覚えた。
すると、そこに非情な雨が…。
雨は霧雨になって僕たちの悲しみに拍車をかけ、苦しんでいる猫には孤独をもたらした。
雨の冷たさを感じると、猫はまた必死で動き出した。
行き先を見ると、トラックの下だった。
僕は涙が溢れるのを抑えられなかった。
かわいそうだからというより、この猫の「生きよう」という力に感動したのだ。
猫は自分が死ぬ事を知っているのだろうか。
もう助からないと悟っているのであろうか。
猫の頑張っている姿に背中を押されて、僕は近くのコンビニに飛び込んだ。
「すみません、電話を貸していただけませんか。猫が死にそうなのです。」
自転車で真夜中に後輩を迎えに行くだけだったので、僕はお金を持っていなかった。
その事を言うと、店員はすごく煙たそうな顔をした。
「だめだよ。ここの電話は。」
あまりに冷たくあしらわれ、僕は諦めた。
なので、あと10分くらいの後輩の家に自転車で行って、急いで小銭を持ってきた。
そして、電話帳で24時間やっているという動物病院に電話した。
すると、どこの病院からも、僕らが高校生でお金を払えなさそうという事で断られた。
結局、全てのアイディアが失敗に終わり、僕らは再び猫のもとにもどってきた。
…まだ息はある。
トラックの下で、雨をよけながら最期まで必死に生きようとしている。
「ごめんな、ごめんな。僕はいつも必死でピアノを練習してるんだ。
後輩だって、必死にヴァイオリンを練習しているんだ。
だけど、今お前を助ける事が出来ない。…無力だよ。情けないよ。本当にごめんな。」
霧雨に降られてずぶ濡れになっている事も忘れて、猫の前で男二人落胆していた。
すると、パトカーが通った。
僕は迷わずパトカーを止めた。
そして全てを話した。
年配のお巡りさんはとても親切に話を聞いてくれた。
あの夜の、唯一の救いだったかもしれない。
「この猫は明日保健所に引き取って貰うから、君たちは心配しないで寝なさい。」
明日まで生きられるとは思えないが、その言葉に僕らはやっと救われた。
でも、パトカーについて行って、交番まで見届けた。
最後にもう一度「ごめんな」と言った。
…何がごめんなんだろう。
僕みたいな奴を偽善者というのだろうか。
自分を責めればそりゃ簡単だ。楽だ。
でも、救えなかった。
それは事実だし、悲しいのも事実だ。
僕と後輩はただ一晩中黙り込んだ。
あれから随分時間がたったな。
でも、思い出すと昨日のようだ。
あの猫、あれからどれだけ生きたのだろうか。
そういえば、あの時、霧雨はいつ止んだのだろう。
いつしか晴れていたっけ…。
そんな事を霧雨がきっかけになって思い出していると、散歩も長引いてしまった。
あの時助けられなかった猫を、僕はいつまでも忘れない。
あの生命力を忘れない。
諦めるという事は、全て間違いだ。
そう学んだ。
あの時の後輩は今ドイツへ留学に行っている。
人生は色々だ。
本当に沢山の出会いと別れがある。
ただ、過去も未来も、人は愛しい。
僕も、あの猫のように、最期まで頑張れるかな。
私が歌う訳は一匹の子猫
ずぶ濡れで死んでゆく
一匹の子猫
三善晃さんの合唱曲の歌詞にこんなのがあった。
あの一件の直後、この歌を高校の合唱コンクールで歌った。
奇遇だろうか、それとも、何かの運命だったのだろうか…。
…あの夜も、今日のような霧雨だった。
恵みの雨は、生命の美しさを、そして儚さを芸術的に飾り立てる。
そんな霧雨が、僕は好きだ。