憧れは999と共に
もう誰もいない学校の屋上に上がって、
月明かりを僕の足下に射し込ませたり遮ったりする夜の雲のわりと速い流れを眺めていたら、
きっとあの向こうには違う世界があるんじゃないかっていう思いが
急に強く僕の脳裏を駆けめぐり始めて涙が止まらなくなった。
何かが哀しいとかそういうのではなくて、
その思い自体が僕の体に「涙を流す」という作用を起こしているかのようだった。
すごく不自然で、それは自分でも何だか不思議な感覚だった。
僕は泣き顔も作らず、ただぼぅっと月を無表情に眺めているままで、
まるで締め方が甘かった蛇口から出てくる水のようにボタボタと涙を足下に落としていった。
辺りにはキンモクセイの香りが漂っている。
もう夏の暑さは跡形もない。
つい数日前まで残暑が居座っていたのが夢みたいだ。
もう半袖は寒すぎるけど、僕は半袖のTシャツを着ていた。
でも後悔はしない。
むしろ、この季節の変わり目を「寒さ」という強い刺激で感じられる事を喜びと感じる。
それから僕は、
どうして冷たくなると高いところから街を見下ろしたくなるんだろう、
なんて他愛のない事を考えながら月と流れる雲から視線を外し、
今度は足下の街の方を見下ろしてみた。
夜の街は「美しい巣」のようだった。
僕は美しい夜の街を見下ろしながら、全てのものに憧れる。
街行く人、道路を走る車、ゴーゴーと音をたてる電車、
新しい綺麗な建物から古くて傷んでる建物まで、どんなものにでも憧れる。
目に付くどんなものよりも僕は下らないモノだからだ。
僕の存在なんて、古くて傷んでる建物よりも下らないし、
うらびれた通りに生えてる雑草より下らない。
でも、だから何にでも憧れる事ができる。
それが僕の活力だ。
…僕はどれくらい屋上にいるのだろう?
もう1時間くらい経ったか。
辺りには相変わらずキンモクセイの香りが漂っている。
目を瞑ると、空気が黄色いみたいだ。
僕はもう一度夜空を見上げてみた。
さっきよりまた風が強くなっている。
月の前を慌ただしく雲が行き来していて、とても不思議な感じのする夜だ。
今にも銀河鉄道999が宇宙の遙か彼方からやってきそうで、
僕はちょっと自分が「星野鉄郎」になったような気がして、楽しくなった。
キンモクセイの香りを嗅ぐと、今でも16歳だった自分を思い出す。
よく、学校の屋上で他愛のない事を考えていたあの頃を。