生きるということ
所沢のコンサートで、自分でしゃべってみて改めて感じたことがあります。
「僕がショパンだったら、もう人生の半分以上は過ごしてしまっています…」
そう。
ショパンは39歳で亡くなるから、24歳の僕はもうとっくに半分は過ぎています。
僕はいつの間にか「もっと長生きする」と思って当たり前になってしまっているけど、
僕がショパンと同じ歳、もしくはそれ以下で死んでしまうことだって充分ありえる。
そう考えてみると、
子供の頃から「自分が死ぬ」という事をリアルに感じたことって無かったな。
そりゃ、いつかは死ぬって解っていても、頭で理解しているだけで、
本当にそのことで「不安」になったり、本気で悩んだりしたことはない。
ショパンの様に、「いつ死ぬかわからない」という恐怖につきまとわれていないのだ。
最近の小学生に多い意見だときいたのですが、
「死んだら生まれ変わってもう一度生きることができる」
と本気で言う子供が増えてきているそうです。
もちろん、宗教上の理由でそう言っているなら問題は別だと思うのですが、
そうでない子供が、本気で「生き返る」と思っているなら、少し問題かなと思います。
雑誌などの取材でよく質問されることがありますが、
「何故ベートーヴェンやショパンの頃、つまり、昔には凄い人が沢山いるのでしょうか?」
という質問です。
確かな事はわかりませんが、理由の一つとしてもしかしたら、
彼らには「死」が身近な存在だったのかなと思います。
常に死が隣にいることによって、
何をするのも「これが最後」だと本気でやってたのではないのでしょうか。
病気や戦争など、死が隣り合わせに存在する事によって、
人生をもてあますことがなかったのでしょう。
北野武さんがエッセイでおっしゃっていました。
「腹が痛いとき、自殺しようとするやつはいない。」
その通りだと思います。
人生がいつも何かの苦しみや不安を抱えている限り、
自分からやめようとする事は少ないと思います。
もちろん、その度合いが強すぎるとまた話は違うと思いますが、
でも、人生を必死に生きるためにこそ、「死」という不安材料が必要なのです。
僕は、果たして「死」を身近に感じているのでしょうか?
きっと感じていないと思います。
それどころか、自分が死ぬかどうか、まだリアルには感じていません。
でも、今夜、明日、いつ死ぬかなんて誰にも分からない。
生きてることには、保証がないんだ。
それでもやっぱり「死」をリアルにするのは難しいけど…
でも、今からは、人生を「いつ死んでもいいように」本気で生きてゆきたいな。
生きてることだけで、どれだけの価値があるか、
自分だけでなく、生きている人全てにそれを伝えていきたいな。
そうそう、所沢で素晴らしい演奏をしてくれた僕の親友、吉田翔平に心からありがとう!
これからも彼とは沢山演奏していくと思うので、皆様是非彼も応援してくださいね!








