よく、音大生にいるパターンで、ベートーヴェンやショパンといった大作曲家たちのことを、
「神様」だと思っている人がいる。
確かに、神でしか成し遂げれないような音楽を彼らは僕たちに残してくれたけれど、
彼らの存在は、神そのものではない。
ベートーヴェンは、幼い頃に父親から受けた虐待やその他の厳しい生活環境のせいで、
大人になってからも、「躁鬱」や「フラッシュバック」などに苦しんだ。
ショパンだって、自分を音楽以外で表現したくないといった人間らしいところがあったし、
初恋の相手には、声さえかけられなかった。
そう、どんな大家でも、結局のところ「人間」なのである。
むしろ、そんな人間的なところがあるからこそ、いい音楽なのではないだろうか。
本当に神様が作った音楽なら、これほど感銘しただろうか。
作曲家たちが、悩み、不安を抱え、悲しみ、苦しみ、ときには喜び、幸せを感じて、その結果できた音楽
だからこそ、僕たちは今、深く感動できるのではないだろうか。
自分が嫌いになっているとき、周りにいる人間がやけに「強く、勇ましく」感じる。
人間には、「劣等感」という悪魔が潜んでいるからだ。
僕の周りにもいるし、僕だってときにはその悪魔に取り憑かれる。
ただの友達ですら、僕なんかよりずっと音楽の才能があるのではないか、と不安に思ってしまう。
誰だってそうなんだ。
ベートーヴェンだってショパンだってそうだったんだ。
でも、そんな悪魔に取り憑かれたときこそ、本当の力がためされる。
最後まで、自分を信じてあげられるか。
本当のライバルは、自分自身だということに気付けるか。
この二つがキーである。
それのどちらかでも崩してしまうと、あっという間に悪魔の餌食になってしまう。
一度失った生きるサイクルは、中々元に戻せない。
一度自分を嫌いになると、ずっとそのまま深い痛手を負った状態が続く。
でも、罪悪感や劣等感に対抗する力はある。
それは、愛と達成感です。
他人を思いやる優しい自分。
誰かを深く愛して上げられる心の自由な自分。
どんな高い壁でも、どうにか登りきってやろうと挑戦する勇ましい自分。
そう、自分を好きになってあげられる状態にもっていくことです。
まずは、規則正しい生活から。
ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、健康をたもつ。
そして、ちゃんと勉強して、ちゃんと働いて、未来への前進を体感する。
それから、人に優しく、自分にも優しく、全てのものへの感謝と愛を忘れずに生きる。
ここが重要です。
ここで、大体挫折してしまう。
全てのものへ感謝と愛を送るには、時には、絶対許せない事をも許さなくてはいけない。
時には、歯を食いしばって笑っていなくてはいけない。
だけど、何かを憎んだときより、何かを許せた時の方が、自分を好きになれるという事を忘れないで。
それが出来たら、後は人生を突っ走るだけです。^^
自分の夢に向かって、目標に向かって、突っ走るだけです。
もう、がむしゃらに、ただひたすら信じて。
先に道が続いていると、信じて進むのです。
ただ、突っ走っていると、いつしか今まで気付きあげてきた、
「自分を好きでいる法則」が崩れているので、時には振り返ってみましょう。
僕は、そうやって生きています。
偽善って言われるかもしれないけれど、騙されたと思って人を愛してみたり許してみたりすることで、
何かが始まることもあるのですよ。
あなたが、幸せのバトンを止めない限り、きっとそこには意味がある。
初めから強い人は、勇気を持つ事が出来ない。
弱いからこそ、前へ進むための勇気が必要なんだ。
その、「勇気を持つ」という過程で、たくさんの芸術が生まれた。
ベートーヴェンやショパンは、「神様」じゃないけど、神様が嫉妬するような、人間臭い、見事な芸術を
生み出したと思う。
苦しんでいればいるほど、あなたは生きている価値がある。
勇気を持てたときに、人に渡してあげれる「愛」をたくさん持っているのだから。
ただ、僕が切に思うのは、
「あなたのその勇気を、無駄にしないで」
ということだけです。
どうか、この世に、不正な目に遭っている人がなくなりますように。
僕は今日も、それを願ってピアノを弾くまでです。