はなび、せつな。
こんなこと言ったら、きっと花火職人からは怒られるんだろうけど、
僕は花火大会が楽しいと思ったことがあまりない。
学生の頃、多摩川やら東京湾やらに観に行ったことがあるけど、
花火よりも人混みのストレスの方が先立って、殆ど良い思い出がない。
学生時代が終わってプロのピアニストとして生活するようになってからは、
結構、人がうらやむようなシチュエーションで花火を観ることが出来た。
みなとみらいホールの上で豪華なお弁当を食べながらとか、
湘南の丘の上に建っているものすごく豪華な豪邸からとか…
でも、やっぱり花火に対しては何の印象も残っていなくて、
楽しかったのは、あくまでその場の空気だったり、ふれあった人々だったりする。
う〜ん、もちろん花火が綺麗なのはわかるんだけど、
なんだか最初の2〜3発を観たらもうお腹いっぱいになってしまう。
それ以降は「どうしたらいいんだろう」みたいな気持ちが出てきてしまって、
ちょっとした虚無感なんかを覚えてしまう。
「大体、花火って何をみるものなんだ?」
前にそんな質問を友人にしてみたら、
「ただ、観るんだよ。ただ」と言われて、
「そうか、ただ観るものなんだな」と納得したんだけど、
やっぱり花火大会に行ったら、
花火の先にある「教訓」だか「美学」だかを探したくなってしまって、
それでいつもソワソワしてしまって落ち着かない。
しかも、その先にある何かを探せば探すほど
花火はのんきなひまわりくらいにしかみえなくて、残念に感じる。
そうだ、僕がこんなに一生懸命に花火から何かを探しだそうと必死なのに、
花火からは何もしてこない、その冷たさみたいなことにちょっとイラっとくる。
でもね「花火大会に浴衣を着て行こう!」なんて夏休みシーズンに女の子から誘われたら、
それはもうワクワクを通り越してゾクゾクしちゃう。
そういう風物詩的な楽しさは僕にも大いに理解出来る。
だから、来年の夏も花火大会コンサートが出来たらいいなぁなんて思う。
ところで、皆さんは花火の一番綺麗なシチュエーションを知っていますか?
花火が一番綺麗に見えるシチュエーションといえば、
そりゃもう、帰りの新幹線から見える、どこかの河原でやっているひっそりとした花火大会です。
昨日…。
神戸新聞松方ホールでのコンサートを無事に終えて、
ちょっとした疲れを実感と絡み合わせながら、
18時45分に神戸から新幹線に乗って、東京への帰途、
静岡県の浜松か掛川のあたりで大きな花火が上がっているのにふと気付く。
その瞬間はあっという間に過ぎていってしまう。
新幹線からはほんの数秒しか花火を観ることはできない。
でも、新幹線から見える夜の風景は殆どが止まって見えるから、
花火が唯一動きのあるものとして、あたたかくみえる。
それに、その花火の周りをよく見てみると、人が沢山集まっていて花火を楽しんでいるのがわかる。
そんな情景を花火の逆光で出来た影だけで見ていると、とても不思議な感覚に陥る。
それはとても幻想的で、なんとなく切ない世界観だ。
井上陽水さんの歌詞のような世界っていうのかな…うまく説明出来ないけど。
その時僕は「あぁ、あそこにも無数の人生があって、人間社会があって、愛も恋もたくさんあるんだ」とか考えながら、
自分が確かに東京に近づいているのだと感じるし、僕はひとつの小さな町を通り過ぎているのだと感じる。
今回の神戸での仕事が終わってゆく…ということをリアルに感じられるし、
今日という一日が過ぎ去っていくことも感じる。
新幹線って、進むというより、過ぎ去るって感じだ。
その切ない美学的なことを花火が痛烈に感じさせてくれる。
まぁ、つまり「あぁ、僕って生きているんだな」って感じさせてくれる一瞬なのです。
何だか、生きるって切ないよね。
よくわからないけど、自分の人生やら人の人生やら、色んなことが愛しく感じられて切なくなる。
音楽は音楽以外の特別な意味って持ってないような気がするけど、
もしかしてああいう刹那的な美学ってあるかもしれないって思います。