ショパンが殆ど亡くなる直前に書き上げた曲。
その頃には既にコンサートなんて出来る状態じゃなかったから、
きっと、頭の中で色々な想像をして書き上げたのだろうと思う。
左手は、しっとりとした緩やかな波を、
右手は、ショパンの大好きだった、イタリアカンツォーネのような響きを、
切なく、そしてロマンティックに表している。
そう、「切なく」表している。
普通、「長調」というのは明るい調の事を言う。
悲しい、切ない、暗い、などの表現は「短調」で行う事が多い。
でも、この舟歌は、長調だ。
明るいはずの長調なのに、ショパンに表現させると、なぜか切ない。
どうしてだろう?
笑ってはいるけれど、どこか寂しそうに見える。
そんな風に感じられる。
僕は、中学1年生の時、初めてコンクールに落選した。
それも、予選で、だった。
それまで、音楽教室の試験でも、そのほかのオーディションでも、コンクールでも、
「敗北」を味わったことがなかった僕には、本当にショックなことだった。
子供は、すぐに調子にのる生き物である。
だから、僕もそうだった。
1位にならなくても、必ず3位以内には入っていたし(運が良かっただけなのですが)、
子供ながら、「ピアノって簡単だなー」なんて生意気な事を考えていた。
それが、中一の時、突然の落選によって、全ての夢が打ち砕かれてしまった。
「僕は天才じゃなかったんだ」
全てが上手く行き過ぎていたせいで、自分を「天才」だと信じ込むほどバカになっていたのだが、
このショックのせいで、僕はスランプに陥る。
いや、スランプというか、ピアノが嫌いになる。
「もう、音楽なんてこりごりだ」
そんな風にさえ思っていた。
だから、得意だった野球で生きていけないかと必死で模索した。
でも、音楽から目を背けようとすればするほど、自分がまた嫌いになった。
だから、苦しかった。
苦しんで苦しんで苦しんだ挙句、もう一度だけ、音楽を好きになる努力をしてみようと思った。
最期のチャンスだと思って。
それで、自分で弾くのはまだ無理だったから、他の人の演奏を聴こうと思った。
色々な演奏を聴いた。
コンサートはもちろんの事、人のレッスンまでも立ち入って聴いていた。
僕の中で、落選した同じコンクールにリベンジしないと、先へは進めない事がはっきりしていたので、
焦っていた。
早く、早く取り戻さなくては、もう間に合わない。
でも、やらなきゃと思えば思うほど、音楽やピアノは僕から遠ざかって行った。
「こんなに好きになろうと努力しているのに、どうして歩み寄ってくれないのか」
僕は疑問でならなかった。
「努力は必ず報われる」と信じていたから。
でも、いつまで経っても、音楽を好きにはなれなかった。
もはや、落選したことは、ただの「ショック」ではなく、「コンプレックス」となっていた。
僕は、心を閉ざした。
希望を持とうとすればするほど、いつも傷つく結果になるから。
そして、僕の心の中の灯火は、完全に消えてしまった・・・。
肩の力がふと抜けていった気がした。
それまで僕に取り憑いていた「音楽」という悪魔が、どこかに逃げ去って行った気がした。
初めは清々していたけど、その脱力感は、ただの虚無感だということがすぐに分かった。
人間の心なんて、最終的には単純なんだと分かった。
たまねぎの皮をむくように、一つ一つ丁寧にはいでいったら、最終的に残った感情はすごくシンプル。
そう、結局は、「大好き」なんだ。
大好きなのに、努力しても振り向いてくれないから、「好き」が「憎い」に変わってしまった。
愛というコインの裏にはいつも憎しみという強いエネルギーが存在しているのだ。
それがコイントスのように、入れ替わってしまうような事が、僕にも起きていた。
「このままじゃいけない」
そう思って、やっぱりピアノを弾いてみる事にした。
一度だけ、一度だけ挑戦してみよう。
そう思った。
そして、レッスンへと出かけたある日、僕は「舟歌」と出逢う。
けして素晴らしい演奏ではなかったかもしれない。
でも、この曲が持っていた、あの「切ない笑顔」。
ショパンが作った曲だということすらその頃は分からなかったけれど、
でも、舟歌の旋律は、孤独だった僕を抱きしめてくれるようだった。
暖かい波の伴奏は、僕をゆっくりとどこかへ運んでくれるようだった。
ロマンティックに、ドラマティックに、繊細に、優しく、僕と一緒に泣いてくれているようだった。
僕は、レッスンを待たずに、独り夕暮れ時の街を歩きに行ってしまった。
先生は心配したことだろう。
でも、僕にはそうするしかなかった。
泣いてるところなんて、誰にも見られたくなかったし、独りになりたかった。
そして、あの美しい曲をいつか弾くんだ、という大義のもとに、もう一度歩き出した。
あの曲は何の曲だったか、必死で探し回った。
でも、わからなかった。
僕の最愛の舟歌は、まだ僕のもとには訪れてはくれなかった。
だけど、絶対に探し出すという気持ちが、僕を歩かせた。
もう、命さえ惜しくないと思った。
だから、歩くのではなく、走り続けた。
次のコンクールまで、一日12時間は練習していただろう。
中学も殆ど行かずに、ただただ、ひたすら何かに取り憑かれているように練習した。
そして、次の年、中学2年生の時の同じコンクールで、優勝した。
でも、悪魔に心を売ったように練習した僕には、何も残らなかった。
第1位 清塚信也
という張り紙を見ても、何とも思わなかった。
皆がその張り紙をみて喜んだり怒ったり、笑ったり泣いたりしている。
予選落ちの落ちこぼれだった僕からしてみれば、
皆が一心に僕の名前を見ている光景が不思議だったけれど、そこに「感動」はなかった。
バカらしくて、笑いさえこみ上げてきた。
大の大人たちが、こんなかみっぺら一枚で、何をしているのだろうか。
「茶番だ」
そう呟いたのをよく覚えている。
それから、僕は色々なコンクールやオーディションで優勝や入賞を繰り返した。
悪魔に心を売って得た力は、思いのほか強かった。
「音楽に心がこもっていなくても、人が喜ぶ演奏をすればそれでいい」
コンクールという戦場が僕に教えてくれた言葉だ。
そんな日々を繰り返していたある日、あの、運命の「舟歌」と再会することになる。
やっと、あの曲が、僕のもとに訪れてくれるのだ。
それは、また、誰かのレッスンで弾かれていた。
あの時の感動は今でも忘れない。
あの、純粋だった頃の心が蘇ってくるようだった。
結果なんか出なくても、必死で音楽を追い求めていた時の僕。
どんなに険しい道でも、歩くための理由が、「好きだから」というだけで充分だったあの頃。
僕は、舟歌を何年かぶりに聴いて、いや、その曲がショパンの「舟歌」という曲だった事を知って、
優しい気持ちになった。
でも、心が痛かった。
まるで、昔の恋人にバッタリ出会って、今の廃れてしまった自分を見せたくないような気持ちになった。
そうだ。
ずっと忘れていた。
この曲が弾きたくて、僕は悪魔に心を売り飛ばしてしまったんだ。
今まで、何をやっていたのだろう。
何のために、僕は歩き続けてきたのだろう。
戦場から帰ってきたら、音楽という恋人は違う誰かのもとに行ってしまっていて、そのショックから、
僕は何のために戦って還って来たのか、忘れていた。
放心状態のまま家に帰って、何かを思い出したかのように、
いや、あの時の続きをやっているように、大なきしたことを覚えている。
気付けば、舟歌の楽譜は、ずっと僕のもとにあった。
やたらと難しそうに見えるから、この楽譜があの曲だとは想像もできなかった。
でも、舟歌は、ずっと僕の傍にいてくれたんだ。
大切なものを追いかけることに夢中になりすぎて、本当に大切なものがすぐ傍にいることに、
気付けなかった。
僕は落胆した。
自分が情けなかった。
でも、一音ずつ、ゆっくり、はじめて、この「舟歌」に触れてみた。
それは、宝石の数々が鍵盤から零れ落ちるかのように、ステキな曲だった。
その後、すぐに先生に「舟歌をやりたい」と言ったが、「まだ早い」という理由で却下された。
でも、僕を止めるものは何もなかった。
先生に教えられてたまるものか。
と、すぐに、僕は舟歌を練習し始めた。
離れていったと思って恨んでいた舟歌。
だけど、舟歌の楽譜は、いつも傍で僕を見守っててくれた。
そんな事実を知って、その愛しい楽譜を手にしたとき、僕は、はっきりとあの感情を抱いていた。
「切なく、笑う」
ほのかに笑っているけれど、それは、悲しみや苦しみ、全ての切なさを「受け入れた」信号。
けして楽しいからではない。
でも、人生で一番自分が優しい気持ちになれた気がした。
それまでの、あの中一の落選から、全てが狂った瞬間からの出来事が、走馬灯のように駆け巡った。
そして、受け入れた。
そして、僕は、笑った。
「ごめんね、もう、大丈夫だよ。僕は戻った。」
そんな気持ちだった。
そんな、優しい、気持ちだった・・・。
ショパンは、一体死に際に何を思ってこの曲を書き上げたのだろう。
自分では殆ど弾けない状態まで身体は弱っていたのに。
どうして、こんなに優しい曲がかけたのだろう。
いや、その応えはもう出ている。
あのときの、僕の気持ちは、それに近いものだったかもしれない。
ただ、それは、言葉ではあまりに無力なほど、繊細で、神秘的な心の状態だということは確かだ。
あれから10年以上経って、僕は舟歌を弾き続けています。
「いいんだよ。思い切り泣きなさい」
そんな気持ちで、いつも弾いています。
そして、祈っています。
「今度は、どうか、僕の舟歌によって、誰かが救われますように」
と。