清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2009.08.11

なつやすみ 2

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【夏休みは妖怪に気をつけて…】

僕は割に睡眠を大切にする方じゃない。
中学生の頃から毎朝4時に起きて桐朋学園に忍び込んでは練習をしていた。
8時頃になると、するするする〜っと練習室からいなくなって、
中学校に行くなり、そのままレッスンに行ったりなんてしていた。
レッスンに行くにしろ、学校へ行くにしろ、
また家に帰ってから練習をしていたので、
結局なんだかんだと夜中の1時くらいまでは眠れない(勿論ゲームもする時間を取っている)。

よって毎日大体2〜3時間の睡眠でずっと過ごしていた。
今思うと、かなりタフである。
それを20歳くらいまで続けていたもんだから、
今もクセになってしまっていて朝方起きたりする事がある。
そういう時は、何だか練習に行かなきゃいけない気がして、ソワソワしてしまう。
でも、勿論今はそんな朝早くからピアノの練習はしない。
するならせいぜいツーリングやドライブかゲームくらいだ。
良い人生を送るようになったものだとつくづく思う。

夏休みの何もない一日。
僕は朝の6時に起きてしまった。
こうなるともうとことん眠れない。
昔のクセで起きてしまったのだ。
心はソワソワするし、頭も段々と冴えてくる。

「しょうがないなぁ」とつぶやきながら、僕は仕方なく玄関先へ出てみた。
新鮮な空気がまだそこには漂っていて、
それは何か神秘的な生き物たちが今まで夏祭りでもやっていたかのような雰囲気だった。
僕に驚いたのか、僕を歓迎しているのか、僕を馬鹿にしているのか解らないけれど、
鳥たちがいっせいにどこかで色んな声で鳴き始めた。
僕は何だか世界に一人取り残されてしまったかのように感じた。
でも、こういう孤独って素敵だ。
僕はその孤独を連れてどこか遠くへ行こうと思った。
目の前にはバイクと車。
よく考えたあげく、車にすることにした。

もう、3時間は走っただろうか。
途中まで高速道路を使い、今は一般道の山道を走っている。
くねくねとどこまでも続くヘアピンカーブ。
時折対向車がすごいスピードで突っ込んでくるが、僕の車に驚いて急ブレーキをかける。
一体ここはどこだろう?
ナビは消しているのでわからない。
ただ、東京より西の方角だろうという事しかわからない。
僕は割に地理には強い方だけど、それでもここまで山道でカーブが続くと分からなくなってしまう。
まぁいいさ、どうせあてもない旅なんだ。
ここまま遠くへ行こう。
帰りはナビをつけて検索して帰ればいいんだ。
…となんとなく一度ナビをつけてみた。
が、しかし、ナビは正確な自らの位置を失っていた。
僕が走っているのは「海」のど真ん中になっていて、画面全体で水色の海を表していた。
そんなはずはない。
山道で狂ったのか?
まぁ、こういう事もよくある。
ビルとか地下駐車場とかにいると時々自分の位置を見失う事がある。
でも、すぐ戻る。
すぐに元通りに…

もう家を出てから5時間がすぎただろうか、ナビは海から一向に出ない。
僕は海にいることになっている。
どうしたことか。
僕は車を停めてじっとナビを睨み付けているのだが、ナビは海のど真ん中で停止している。
試しにちょっとだけ車を動かしてみた。
すると、ナビの中で少しだけ矢印が動いた。
ナビはちゃんと仕事をしていますと言わんばかりに正確に僕の動きとシンクロした。
家への帰り道を検索したが、海から画面が出ることはなかった。
もう、オーディオボタンを押そうが、メニューボタンを押そうが、
ナビは「海」から変わらなくなってしまっていた。
あくまで「海」なのだ。
僕は今、海にいることになっている。
「そうか、わかったよ」と僕はナビに言い捨てて、車を降りた。
車の鍵をかけ、財布だけ持って山道を歩いてみた。
2時間、3時間、歩いても歩いても山は続いた。
途中から、道すらなくなっていった。
山道が獣道になってしまった。
これは夢なのだろうか?
僕は古いやり方だけど、ほっぺたをつねってみた。
…痛かった。

もうすっかり夕暮れ時になった。
朝早く出てきたのに、まだ一食も食べてないし、一口も飲んでいない。
ヒグラシが辺り一面にいるらしく、耳が痛いほどの鳴き声を響かせている。
どうしたことか。
ここで夜を迎えるわけにはいかんぞ。
携帯は家に置いてきているし、公衆電話なんて当然見あたらない。
あるのは古ぼけた旅館風の…
家だ!
家があった。
まだ遠くて見えないけれど、看板も立っている。
料亭とか旅館とかかな?
僕はそこへ小走りに近づいていった。
身も心もボロボロで中々うまく走れなかったが、それでも走り続けた。
「すみません!」どんどんとドアを叩く。
中から綺麗な女性が出てくる。
着物を着ていて、真っ赤な口紅をつけている。
背は僕より少し低いくらいで、鼻筋の通っている日本美人だった。
「すみません、道に迷ってしまいまして」と僕は急な訪問を詫びた。
「いえいえ、ここらで人を見かけるのも随分と懐かしゅうございます、
 さぞお疲れの事でしょうから、まずはお上がりになられてから、
 それから地図を見るなり、ご家族にご連絡なさるなり、ご自由になさってください」
とその着物美人は狐のようなほっそりとした目の笑顔で淡々と喋った。
僕はいくつかその着物美人のいった事が気になったが、
まぁこんな事態だからしょうがないと思い、上がらせて貰った。

そこは茶屋だった。
中は薄暗く、お香の香りがした。
必要以上に広く感じ、夏とは思えないほど乾燥していて肌寒かった。
着物美人は僕を中庭の方に案内した。
中庭にオープンテラスを作る形でひとつのテーブルと椅子が用意されていた。
あれ? 普通、席って一人用に作られるかな…? 茶屋なのに。
まぁいいか。
携帯を置いてきたが財布を持ってきたのは正解だった。
財布には免許証が入っているからね。

暫くすると、着物美人が僕の方に歩いてきた。
薄暗くて顔がよく見えない。
カウンターの向こうにいて、そのカウンターからは青白い光が出ていて
それが逆光になってまた見え難くなっている。
「うちのシュークリーム、とてもおいしいんですよ。おひとつ如何ですか?
 今日は大変な一日だったでしょうから、差し上げますよ」
「よろしいですか?それじゃあお言葉に甘えて…」
と、僕はシュークリームを見た。
それは、あまりにもおいしそうなシュークリームだった。
甘い物は好きじゃない方なのに、どうしてだろうか。
あまりにもおいしそうなシュークリームだ。
あまりにも。
僕はそのあまりにもおいしそうなシュークリームから目が離せなくなっていたが、
何だか気味悪くなって急いで目線をそらした。
「あ、あの、そう、ここらへんって良いところですね」
焦った風になってしまった。
「そうですか?迷って大変な思いをなさったのに?」
沈黙が流れた。
空気が乾いていて、辺りがほこりっぽく感じた。
のどがざらざらとして気持ち悪かった。
さっきまであんなに涼しかったのに、いつしかじめじめとしている。
ぬるぬるとした汗が僕の額からあごにかけてゆっくりと落ちていく。
なめくじが這っているかのようだ。
「あまり…」と着物美女は言った。
「あまり、嘘は仰らない方が良いですよ。ここらは嘘の嫌いな狐様という神様が沢山いらっしゃりますから…」
着物美女は湯気の出ている湯飲みをどこからかいつの間にか用意していた。
「嘘をつきすぎるとね、ここから出られなくなってしまうのですよ。私みたいにね…」
僕は後ずさりした。
これが、夢であって欲しいと、強く思った。

2009.08.10

なつやすみ

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【夏はヒグラシの鳴き声が切なく美しく響きますね】


僕の親友であるヴァイオリニストの「吉田翔平」(以下よっしー)がストリングスとして参加している
宮本亜門さん演出のミュージカルを観てきました。
「サンデー・イン・ザ・パーク ウィズ・ジョージ」といって、
ジョルジュ・スーラ(ジョージ)の一生と一枚の点描画にまつわる話を描いたミュージカルでした。
31歳という若さで亡くなったジョージの残した一枚の点描画「グランドジャット島の日曜日の午後」という絵は僕も知っていました。
印象派の典型のような作品で、ぼわっとした柔らかいタッチが出ています。
ミュージカルではこの点描画が生まれるまでを前半で描いていたのですが、
僕はジョージが点描画を描く上で常に大切にしている「秩序」と「ハーモニー」いう言葉に興味を持ちました。
「秩序」という言葉って芸術には中々出てこないし、
印象派ってロマン派のまっただ中から派生したものだから、原則としては「自由」な発想のはずなのに、
言わばそれに逆行するような「秩序」というある種の束縛的な注意点に注目したジョージに感服致す限りでした。

いつの時代も、流行や常識に捉われない柔軟な考えを持つ人は尊敬出来る。
「ハーモニー」は「調和」と日本語に訳せる。
調和って人と人との関係にも使える言葉だし、
昔のヨーロッパでは人の体や世界情勢、星や宇宙の仕組みなんかも全部「ハーモニー」として考えていたそうだ。
そう、全ては「ハーモニー」なんだ。
僕もこの夏から秩序とハーモニーを大切にピアノを弾き曲作りもしてみようと思います。

このミュージカルの音楽は、
それこそジョージの絵のようにどこか柔らかくて秩序のある音楽で、品格を決して失わない。
クライマックスも派手に着飾るのではなくて、
心の中から溢れてくる静かではあるが熱い思いを表現した感じ。
あくまで内面的に、そして科学的に。
最後のカーテンコールでは、
裏で演奏しているミュージシャン達の姿が舞台スクリーンに映し出され
「よっしー」もかっこよく弾いていました。
こうやって友達の演奏する姿を観るのって感動します。
売れっ子の「よっしー」、またこういうのやってね。

と、順調にミュージカルを観ていた僕ですが、
ジョージの彼女がジョージと別れてから連れてきた男役で「中西勝之さん」が出てきました。
そうだった、中西さんもこれ出てるって言ってた!
中西さんは僕の大切な親友であり、兄貴的な存在のバリトン歌手。
最近では宮本亜門さんを初め数々の著名人に気に入られ、売れっ子のミュージカル役者にもなりました。
中西さんは「よっしー」とはまた違ったキャラクターで、いるだけでその場が楽しくなるようなお方です。
だから、中西さんが急に出てきた時は、ぱぁーと舞台が明るくなったような気がしました。
明るくなりすぎて笑いました。
また、笑わせるようなキャラだから〜もう中西さんたら…!

それにしても、僕の少ない友人が2人も同じ舞台にのっているなんて!
すごーい。

2009.07.23

窓辺の黒猫

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【僕がいつもスタバから見てる風景。なんでもない事だけど、電柱の汚れとか、黄色いタイルの並び方とか、気になってくる感じ、解っていただけるかな?】


「あなた、猫みたいよ」と、その女は僕のことを語った。
「あなたの音楽を聴いているとね、窓のそばに座った黒猫を想像させられるの。
その猫は自分で窓を開けられて、いつでも自由に外の世界に飛び出ることが出来るのよ。
でも、それについて私は全然心配なんかしないの。まぁ、またいつか帰ってくるんだろうなぁって、
気楽に飛び出ていくところをただ見てるだけなの。なぜなら、私には『自信』があるからなのよ。
なぜか、あなたが必ずまたあの窓辺に帰ってくるっていう自信があるのよ。
その自信がどこから出てくるのか…、不思議よね。
あなたがピアノを弾いている姿を見てると、そういう映像が浮かんでくるのよ」

女は長くなった煙草の灰を灰皿にむけてストンと落とした。
女の右手の人差し指は無駄のない動きで、正確に細い煙草の中心を叩いた。
その動きは僕に洗練されたヴァイオリニストが正確に弦を押さえるところを連想させた。

「それにしても、あなたって本当に無口よね。
いつもそんなに無口なの?それとも煙草を吸う女とは喋らない主義とか?」
僕は困った。
僕は出来れば一人じゃない時は、僕以外の人に喋って貰いたいので黙ってしまう癖があるのだが、
それを改めて指摘されても余計に無口になってしまうだけだ。

「えぇ、まぁ、あんまり喋るのは好きじゃないです。出来れば話は聞く方にまわりたいもので…」
女は吹き出した。
吹き出したと同時に口や鼻から煙がモクモクと漏れてきた。
「あなたって本当に変な人ね。舞台とは別人みたい。
ここで話してたらぜ〜んぜん格好良くないし、およそ普通の人だわよ」
女はさっき吹き出したのと同時に煙草を灰皿に置いた。
煙草はもう殆ど吸えないんじゃないかというほど短くなっていた。
咥えるところは女のピンクの口紅で染まっている。
煙草からは煙が延々と上がっていて、どうしてか僕の鼻の方にめがけてくる。
僕は煙草の煙が苦手なので、はにかみながら咳をして、
煙をどうにかして欲しいという信号を必死に送った。
でも、どうやら女はそれを無視したようだった。

それから暫く、僕と女の間には沈黙が訪れていた。
女はさっきまで少し体を斜めにして僕の方を見ていたのだが、今ではもうバーカウンターを真っ直ぐ見ている。
そのため僕は女の横顔を見ることが出来た。
女はやや上の方をじっと見ていてた。
哀しそうな瞳の奥には、金のような鈍い光があった。
どこかで見たことのある瞳だった。
でも、僕はそれをどうしても思い出すことが出来ない。
考えれば考えるほど、その瞳は儚く僕の心の闇へと堕ちていくだけだった。

僕は女を見ることをやめ、女と同じようにカウンターに真っ直ぐ向かった。
二人してカウンターに向かっていると、
カウンターの向こうとこちら側が、何か強い力で引き裂かれているような気がした。
そこに、国境みたいなものがあるように感じた。

でも、僕はいつでもその国境を跨げるはずだ。
なぜなら、僕は窓辺の黒猫だから。
いつでもフラーっといなくなってひょっこり帰ってこれるのさ。
僕は、窓辺の黒猫なんだから。

2009.07.19

星の飛人

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僕は職業柄、飛行機によく乗るんだけど、
最近「スターフライヤー」っていう航空会社が結構好きになりました。

親しみある彩り豊かな機体が多い羽田空港の滑走路上に、
「白いお腹に黒い背中」で颯爽と現れるスターフライヤー。
機内もシートは黒革で高級感漂うコーディネイト。
ファーストクラスやプレミアムシートみたいなものはないし、
すごく狭いんだけど、各席にモニターが付いていて、
10チャンネル以上の動画と音楽や飛行状況を表すMAPが自由に選択可能で、
飛行中は退屈しないようになっている。

スターフライヤーはCA(キャビン アテンダント)も勿論「白黒」の衣装で、
JALの愛想良いサービスやANAの真摯な対応とは違い、すごく冷静だ。
冷静というかクールでスマートだ。
だってスターフライヤーのCAは愛想笑いなんか殆どしない。
その凛とした姿勢からは確固たる意志を感じる事が出来、
「私は品のないサービスは嫌いなんです。なのでお客様も品位をお大事になさって下さい」と言わんばかりだ。
美しいCAの姿につい胸元の名札に目がいくが、名札も横長で小さすぎて名前が読めない。
んー、いわゆる、ツンデレキャラっぽい感じです。
シートに付いているただの小さなテーブルも、
スターフライヤーとまでなると「カクテルテーブル」という名前に変わる。
心なしか離着陸も他の飛行機よりもスピーディだ。

スターフライヤーはどこをとってもクールなので、最初は無愛想に感じる。
でも、ほら、なんだかそれって、
アメリカの戦争映画とかで必ずいる、すごく頼れるタイプの人みたいだ。
みんなが楽しくわいわいやっているところで、
一人少し離れたところでサングラスを外さずに煙草を吹かし、
誰とも無駄口をきかないで勿論冗談も言わないし伝わらない。
初めはみんなから気味悪がられたり、愛想が悪いと思われて嫌われる。
途中、何度か血気盛んな若い仲間とケンカになるんだけど、逆にボコボコにして返り討ちにする。
戦場に出れば最強で、敵がどれだけいようとも
敵陣の真ん中をたった1人で走り抜けていけるような勇気と能力を持つ。
映画の最後でパーティは殆ど壊滅状態になり、
ボコボコにして返り討ちにした若者とリーダーのボブ中尉とクールな彼の3人だけになってしまう。
そして訪れるピンチの数々…。
でも、そこにはいつも「彼」がいた。
「彼」はいつでもたった2人の仲間を家族同然のように命をかけて救い出した。
全編通して一度も笑わない彼なのだが、心にはしっかりと暖かい仲間意識があるのだと解る。
そして最後は………

と、まぁ、こんな感じの飛行機です。
あーくだらないと思った方、ごめんなさーい。
北九州市に行く時は是非スターフライヤーを使ってみて下さいね。

それにしても、今回の北九州市のコンサート楽しかったなぁ〜。
すごくすごく熱狂的で品のあるお客様で、弾いていても恥ずかしいくらい嬉しかったです。
「赤霧島(焼酎)」と「らあめん」と「いか」と「たこ」と「コチ」と………
おいしかった…!

2009.07.01

なくなった石

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彼はいつも自分の中に世界を創っていて、
そこには他の人物は誰も立ち入れさせたくなかった。
それは彼が生きてゆく上でとても大切な事だった。
しかし、彼は普通の20歳の男だったし、
それなりに社会に属していて決してその社会のルールを破ろうなどという考えはなかった。
つまり彼は「社会には迷惑もかけないし、何も意見しないから、
どうか自分の世界に立ち入らないでくれ…」と言いたかったのだ。

その日、彼はいつも通り家を出て駅に向かうところだった。
しかし、家から10メートルくらい歩いたところで一歩も歩けなくなった。
彼は持っていた鞄を落とし、歩き途中の中途半端な姿勢で止まってしまった。
右脚は少しかかとが上がっていて、重心も前のめりになっている。
しかし、ぴくりとも動かずに停止してしまった。電信柱の影と同じように。
それから10分ほどそこに停止してから彼は声とはいえない声で「石がない」と言った。
彼の力ない言葉は音にもならず、発したそばからすぐ空気の中に蒸発してしまった。

彼の家の前には大きな石があった。
大きなといっても、人間の頭くらいの大きさだ。
それが何故か道路の中に埋め込まれてあった。
道路は舗装されていて、しばしば車も通るようなものだったので、
よく車がその石を踏んでしまって騒ぎになっていた。
一度はバイク便でスピードを出していたライダーがそれを踏んで転倒し、大けがを負った。
そんな石がどうしてそこに埋め込まれているのか彼には想像もしなかったが、
その石は彼がこの家に15年間住む上で大きな心の支えとなっていた。
その石が、どうしてか、今朝からなくなってしまっている。
石のあった跡には雑草が少しだけはえていて、
舗装された道路とのギャップから突然発生した小宇宙かのように違和感を醸し出している。

それから10年が経ち、まだあの空虚な穴は塞がっていない。
かつて石が君臨していた空虚な小宇宙的穴。
彼が失踪してからもう10年が経とうとしていた。
あの石がなくなって少ししてから、彼はいなくなってしまった。
彼が生きているのかどうか、それを知るよしは無い。
誰にもわからない。

でも、僕は解る。
彼はもう二度と帰ってこないし、
石はもう二度とあそこの穴に帰ってくることはないのだと。

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