清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2009.05.28

妄想と現実のあいだ

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【時間よ止まれ、君は美しい…ファウストはそう言ってメフィストフェーレスに魂を取られそうになった】


「更に、昨夜、日本海に向けて1発ミサイルを発射しました」
普段TVを殆ど観ない僕は、昼間コーヒーを飲みながらたまたま点けたニュースでその事実を知った。

昨夜僕は全くと言って良いほど寝付けなかった。
なぜだか、深い森の奥に漂う靄のような、妖しい雲が掛かった月が気になって仕方なかったのだ。
月は今にも風に煽られて折れそうなくらい鋭利だった。
「こんなに細い鋭い月って今まで見たことあっただろうか」
2階の窓から永遠に靄の掛かった細長い月を眺め続け、ついには眠れなくなってしまった。
眠れないので、その日の昼間の事を思い出してみた。
ピアノを6時間練習すると、腕も重くなってきたし、まだお昼過ぎだったので車を走らせた。
ナビも消して、携帯も置いて、どうでも良い格好で、家を飛び出した。
僕は自由だ。僕は自由だ。そう言い聞かせて。
気がつくと八王子まで来ていた。
八王子を過ぎると、自分でも何をやりたくてこんな事をしているのか解らなくなって来た。
その時、何故だか笑いが止まらなかった。
全く知らない街に辿り着いた。
オープンカフェがあったので、近くの駐車場に車を停めて、外側の席についた。
僕はそれから5時間近くずっと通行人を見ていた。
色んな人がいるな。
一番印象に残っているのは、幾何学模様のような柄のシャツを着たお婆さんだった。
お婆さんその人よりは、そのシャツがそのお婆さんに渡る経緯について特に考えた。
誰かがくれたのだろうか?
自分で買ったのだろうか?
シャツは黒地に銀色のラインで模様が付けられている。
そういうシャツを好んで手に取るのだろうか?
お婆さんはあるいは数学的な美学を心の奥底に秘めているのかもしれない。
誰も知らない深海に沈む海賊船のように。
お婆さんは真っ直ぐ歩く先を見据えて歩いていた。
他には何も見えない…といったように。
そういう姿勢を見ると、僕はここにいないんじゃないか…という錯覚に陥ってくる。
僕はいないんじゃないか。本当は、誰かの影なんじゃないか。
知らない土地でカフェに入ってぼーっとすると、孤独と背中合わせだからか、観察するものがすごくリアルに感じる。
その結果、自分がリアルじゃなく感じる。
……そういう感覚って僕は大好きだ。

2階の窓から永遠に細長い月を見続けてもう朝方になる。
月と僕との間には何層かになった妖しい雲がとても速い速度で流れている。
まるで空と海が逆転してしまったかのようにも見える。
不思議な光景だった。
美しくもあり、妖しくもあり、そして、何とも言えない不安や緊張にも似た感覚もあった。
僕がこうしている間にも、ミサイルは日本海にむけてぐんぐんとスピードを上げている。
僕らは何も知らない。
僕らはとても無力だ。
この細長い月を合図に、影の悪魔たちがそっと動き出して悪さをしていても、僕たちは何も知らない。
とても無力なんだ。

「更に、昨夜、日本海に向けて1発ミサイルを発射しました」
それがリアルな事にはどうしても思えなかった。

2009.05.18

桐朋の学生オケとグリーグを

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僕は十代の頃、大人はなんでみんな同じ様な事を言うのだろうと不思議に思っていた。
あまりに同じ様な事をあたかも裏で口合わせをしているかのように言うものだから、
「大人って想像力が無いんだなぁ」と思っていた。
もう少し想像力のある魅力的な事を言ってくれたら、子供は目を輝かせて大人の言うことをきくのになぁと。

そういう大人の「ありきたり語録」の中でも、
「子供時代なんてあっという間に終わってしまいます」というのが僕は一番嫌いだった。
「あっという間におわってしまうので、今を大切にしましょう」
大人だって昔は子供だったのでしょう、子供の頃、今を大切にしましょうと大人から言われて、
「よし!これからは大人になるまでの子供時代を大切にするぞ!」と意識する子供っているのだろうか。

少なくとも僕はそういう大人の「知ったかぶり」が嫌いだった。
大人に子供の何がわかるか。
子供だって子供なりに真剣に一生懸命生きている。
何もやってなくても、何らかの不安や恐怖を抱えているんだ。
でも、その緊張の表現がまだわからないし、その不安や恐怖の実態さえ見えていない。
だから、子供はどうやって不安がったらいいかが分からない時があるんだ。
それを知らずに、「しっかり生きましょう」「大切に生きましょう」なんて無神経にも程がある。
と、思っていました。僕は。

 ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  

先日、僕の母校である桐朋学園の学生オーケストラ「ベルデオーケストラ」と共演しました。
久しぶりに桐朋にリハーサルしに行ったし、桐朋内のピアノを触りました。
「あれ、こんなに天井低かったっけな」「こんなに静かな学校だったっけかな」とか色々と思いました。
懐かしい警備員のおっちゃんとか先生とかにすれ違うと、なんだかおきまりの反応しか出来なかったです。
「あらまー、先生お元気ですかぁーー、いつまでもお若くて〜」
懐かしいというものは無条件で人を優しくしてしまう効果がありますね。

僕も歳をとったなぁと思いながら4階のリハーサル室へ。
部屋にはオケのメンバーがもうそろっていて、熱気がすごかったです。
若いエネルギーが充満していた。
初めはお互い探りながらといった感じで、緊張気味だったかね。
曲は「グリーグ」。
リストやショパンの影響を多大に受け、
ロマンティックで超絶技巧、それに民族的(ノルウェーの作曲家です)なピアノ協奏曲。
冒頭ティンパニのクレッシェンドからいきなりピアノのカデンツァ。
当時はすごく斬新でかっこよかったアイディアなんだろうなあと思います。
リハーサルの堅さをほぐすために、僕は思いきり最高速度で弾いてオケをヒートアップさせようと試みました。
さすがに桐朋の学生オケで、やればやるほど吸収してくれる。
これが若さですね。
素直で真っ直ぐだから、もっともっと!と言うと本当にやりすぎくらいなテンポでやってくれたりする。
そういう荒さみたいなのが僕は大好きです。
若い人には若い演奏があって何が悪い。
僕は先生に「君にはこの曲はまだ早いよ」と一蹴された事が多々ありましたが、
僕が先生なら喜んで理解出来そうもない曲をやらせてみるなぁ。
青かったら青かったなりの演奏があっていいじゃないか。
このグリーグという作曲家は割に若々しい曲を作るので、学生オケにはぴったりのように感じました。
むしろ僕がちょっとご老体みたいだったかな?

「本番編」につづく…

2009.05.06

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【いるかは世界を繋ぐかのようにぐるぐると泳いでいたなぁ。熊本の天草にて】


携帯が光る。
着信音は愚か、バイブレーションさえ反応しない。
ただ黙々と外界の誰かから僕に連絡が来たことを「光」だけでそっと知らせる。
僕が仕事で新大阪に行く前夜に、久々に青柳晋先生からメールがきた。
僕はどちらかというと携帯電話でのコミュニケーションは苦手な方だけれど、
先生からのメールや電話はいつもワクワクする。
子供が屋根裏部屋で何が入っているか分からない大きな箱を秘密に開ける時のように。
それは、青柳先生(僕は一度もピアノをレッスンしてもらった事はないのだが、先生と呼んでいる)からの連絡は
「遊ぼうぜぃ」といった比較的楽しい内容が多いからかもしれないけれど、それだけじゃない。
それは先生が持っている空気感のようなもので、とても言葉では表せるものではない。
すごく微妙なセンシティブな事だ。
どうしてだか、先生からのメールは冷たく感じない。
「じゃあまた」とか「はい」とか一言でメールが来ると、場合によっては冷たく感じる事があるけれど、
先生からのメールでは不思議とそういう事を全く感じさせない。
とにかく青柳晋先生という人からは、ストレスというものを感じないのだ。
こういう人種が世の中にはいるのである。

先生からの連絡はいつも絶妙だし、突然だ。
それはヨーロッパの夏の通り雨のようにドキドキさせてくれるし、
グリーグのピアノ協奏曲の最初のティンパニみたいにワクワクさせてくれる。
「5月1日にすみだトリフォニーでピリスのコンサート行かない?」
とメールには書いてあった。
5月1日は空いていたので、僕は「是非!」と返した。

翌日、新大阪への新幹線の中で、ふと前方から通路を歩いてくる細身の外国人。
その歩き方、スピード、香り、全てがその人を「特別」だと主張していた。
それは嫌味のないとても自然なオーラで、
どんなに怒っている人でもその人が通り過ぎただけで沈静化してしまうような感じがした。
まぎれもなく、その人は「ピリスさん」だった。
5月1日にあなたのコンサートに行きます…と僕は心の中で思った。

新大阪に着いてから、コンサートの主催者さんが、
「昨日素晴らしいコンサートがあってね、うちの主催だったんですよ」と興奮してお話しになった。
「そうなのですか、それでアーティストは誰だったのですか?」
「あぁ、青柳晋さんですよ!本当に素晴らしかったんですから!!」

何かが世界を繋いでいるような気になった。
少しずつ、世界は何か見えない糸で繋がっているんだな。

2009.05.02

選択肢

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【ホテルの廊下の無数の扉のように選択肢が沢山あるといいな】


僕は自由でなければいけない。
これは、僕が実際に26年と少し生きて解ったことだ。
自由じゃないと、僕の中で何かが風船のようにどんどん膨らんで爆発してしまう。
爆発すると、その衝撃で体内のどこかにひっそりと存在するスイッチが押され、
僕の人格はがらっと変わってしまい、とても厄介だ。
世界一愛していたものが見たくもないほど嫌いなものになったり、
魂を売ってでも手に入れたいと思うほど美しいと感じる音が、
トラックや新幹線なんかがもの凄いスピードで隣を駆け抜けていく時の
騒音のようにしか聞こえなくなったりする。
これは本当に厄介です。

人間関係なんかこれで何度も崩壊した。
だから僕は、最近になって人を振り回さないために、
初めからあまりベタベタした友達付き合いはしないように心がけているわけだけれど、
これは僕にとっては寂しい事ではありません。
なぜなら「自由」とは「孤独」といつも背中合わせに存在しているから。
コインの裏表のように、自由と孤独は僕の中でいつも一緒にいる。

孤独だけれど、一緒にいたい友人を選べるという状況こそが、僕にとっての最高の幸せだ。
「選べる」といってもそれ程沢山の友人がいるワケではないのだけれど(本当に数える程しかいない)、
それでも、今夜の映画にはAくんにしようか、Bさんにしようか、と誘う相手を数人迷えれば、
もう僕の心は春の蝶々みたいにテフテフと躍る。
僕にとっての「自由」とは、選択できる状態の事だ。
今このとき、自分の選べる選択肢がどれくらいあるかで僕のハピネス度は決まる。

例えば、真夜中の2時か3時くらい。
もう、夢の世界に片足つっこんで眠くて眠くて仕方がないとき、
突然思い立って六本木のスターバックスに行ったり、六本木ヒルズ内のレイトショーに行ったりする。
「眠る」という事といわば正反対の次元に存在する「お茶をする」という事を
選択肢として持っている事を確かめるためだ。
そのとき一人がどうしても嫌だったら友人を誘ってみる(でも今考えると大抵は一人です)。
勿論、殆どの人が既に寝ているか、
迷惑そうに「何時だとおもってんだ」という感じで断られたりするけど(大抵はそうなる)、
そういう時に「誘える友達がいる事が大切」なんです。
来てくれなくても、2時か3時に電話をかけて「よう、映画でもどうよ」なんて
反社会的な事が言える友人がいるという事だけでもう最高の幸せだ。
僕は車を運転するのは割に好きな方だけれど、
初め車が欲しいと思ったのはやはりこういう時に車があると便利だなと思ったからで、
車は選択肢を増やすための道具です。
車は、通る道も選べる、聴く音楽も選べる、隣に人を乗せるかどうかも選べる……、選びたい放題じゃないか!
最高だ!!
でも、お酒は飲めません。
そこは悪しからず、しょうがないです。

本当は、映画やお茶に行った先で「いや、やっぱりウィスキーでも飲むかな」なんていう選択肢が増えたら、
もうこれ以上はないんですけどね。
あなたは今いくつの選択肢を持っていますか?

2009.03.27

NAOTOさんと

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【3月24日 都内某スタジオにて、ViolinistのNAOTOさんと】


NAOTOさんとレコーディングがありました。
僕はクリック(メトロノームと同じモノ)がカチカチと鳴っているのを聴きながら行う録音は苦手で、
今回もNAOTOさんにディレクションしてもらってとても助かりましたし、沢山勉強が出来ました。
しかし、録音している時間より野球を観ている時間の方が長かっ…
いいえ、何でもありませんよ。ちゃんと録りましたっ!

しかし、WBCの決勝が延長戦になるとは!!
そうじゃなくても、とっくにレコーディング時間は始まっているのに…!!
よりにもよって延長戦…!!

スタッフの皆さんも段々と「そろそろ始めなきゃモード」になってきて…。
「今、日本代表が延長で宿敵韓国と死闘を繰り広げている今…!」と僕。
「この状況で『じゃ、そろそろ時間も時間だし録音始めよっかぁ』なんて言う奴は…」と
そこまで僕が言うと、すかさず僕の隣りでNAOTOさんの声が…。
「…音楽家にはなれません…!」

あにきぃ…………。(涙)

かくて、めでたく日本は優勝、僕たちは良い気分で録音が出来ましたとさ。
めでたしめでたし。

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