清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2009.03.20

ジョルジュ

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【 3月15日「ジョルジュ@佐賀市民会館」公演終了後、村井国夫さん音無美紀子さんご夫妻と】


「母親はね、子供が熱を出して寒さに震えているとき、
 迷い無く裸になってその子を自分の体温で温めてあげられるのよ」
と音無美紀子さんは語った。
「私は、ジョルジュサンドのショパンへの愛はそういうものだったと思うの。
 だからね、彼女がショパンのお葬式に顔も出さなかったというのは、
 愛があってこそだと思うのよ」

「ジョルジュ」という斎藤憐さんがお書きになったリーディング(朗読のようなもの)と
ピアノリサイタルがひとつになったような舞台がある。
ショパンは26〜7歳くらいでジョルジュに出逢い、
以後39歳で亡くなる直前まで二人の付き合いは続く訳なのだが、
その間のジョルジュとショパンの関係をとても親密に表わした作品です。
ショパンの視点からは「悪女」と言われるジョルジュ・サンドの物語であり、
ジョルジュとその元彼のミッシェルという弁護士とのやりとりをリーディングで演出する。
その二人の間でショパンは黙々と自作の曲を弾いている。

僕はそのショパン役(役と言えるのだろうか?)をやっているわけなのですが、これがもう、ものすごく良い。
良い、というのは舞台が良いかどうかではありません。
それはお客様が決めることですもんね。
僕の言う「良い」というのは「僕的に」心地良いという意味です。
ピアニストとして、これほどショパンを気持ちよく心地よくリアルに感じたことは未だかつてありませんでした。
音無美紀子さんという素晴らしい女優さんがジョルジュを、
村井国夫さんが相手のミッシェル役をおやりになって、
お二人のやりとりの間に置かれると、本物のジョルジュとミッシェルを目の前にしているかのよう。
段々ショパンが弱っていく姿、ジョルジュがショパンから離れていく姿、
それが本当にリアルに感じられて、最後の方は舞台上で涙が溢れそうになります。
ショパン側の視点としては、ショパンが弱っているときにジョルジュは革命などの社会の動きに興味を持ち、
ショパンを見捨てたという言われ方をされる。
実際に、ショパンの友人だったドラクロワはジョルジュとショパンを描いた絵を引き裂いてしまった。
しかし、この舞台を見るとどうしても、
ショパンの最期にジョルジュの愛が尽きてしまったのではないような気がする。
そこには何か、言葉では表せないような「何か」があるような気がするのです。

「革命なんて反社会的な事に関わっているジョルジュは、
 今の自分がショパンに関わることで彼の足を引っ張ってしまったり
 彼を危険な立場にしてしまったりする事を避けたかったんじゃないか、とか、色々考えるの」
音無さんは空中に視線をやり、その先にはショパンとジョルジュが見えているようだ。
それも愛し合っている二人。
音無さんは口元を仄かに緩ませたり目元を細めたりしている。
「とにかくね、ショパンのお葬式にジョルジュが来なかったのは『愛』だと思いたいのよ、私は」

舞台の最後の方で音無さんは涙ぐんでいた。
しかし、涙が実際に流れる事はなく、その代わりに何かもの凄い力(エネルギー)みたいなものが感じられた。
まさに、その姿は本物のジョルジュでした。
僕も最後は本当に具合が悪くなったかのような気がしてきました。
でも、最後まで確かにジョルジュの愛を感じた気がしました。

ショパンの人生は、本当にロマンティックです。

2009.03.03

あきる野のレッスン

新宿方面から中央自動車道を使って八王子インターを越え、
もう少し先に行くと山々に囲まれた「圏央道」が出てくる。
まるで山々に挑戦するかのようにするどいカーブをえぐって圏央道に入ると、長い長いトンネルが続く。
トンネル内は景色が一定でスピードの感覚が無くなるし、
なだらかな下り坂になっているので、気をつけないと120キロはゆうに超えてしまう。
「まるで山に吸い込まれていくようだ」と僕はいつも思う。

途中、トンネルを抜けて少しだけ青空が観られる。
山の頭が空を区切っていて空が窮屈そうだ。
またすぐトンネル。
また少しだけ青空。
その繰り返しを何回かすると「あきる野出口」が見えてくる。
あきる野出口には巨大なループがある。
あきる野出口周辺の圏央道は割に高い位置にあるので、このループを使って地上に降り立つ。
周りに高い建物はないので、あきる野出口周辺の景色を一望出来る。
右手に遊園地の観覧車が見える。
そのおかげでこの巨大ループも遊園地のアトラクションのようなものに感じられる。
ループを降りきった所にある信号は右。
右折した後はただひたすら真っ直ぐ。
信号をいくつも越え、交番を過ぎ、ガソリンスタンドを過ぎ、
ファミリーレストランの窓から手を振る少年に手を振り返し、その後踏切を渡る。
踏切にある線路は単線だ。
単線というのはいつ見ても長く見える。
遙か昔まで繋がっているかのように、真っ直ぐで長く見える。
どうしてだろう?
なんだかこの世ではない幻想的な世界に繋がっているようにも見えてくる。
踏切を過ぎたらもう着いたも同然だ。

秋川という駅を背にして右側に大きな東急を迎えると、左側に「ヤマハあきる野センター」が見えてくる。
スペースのある駐車場に気持ちよく車をバックで停めて、勢いよくドアを開け放つ。
僕にとってはこの勢いが大切だ。
この勢いがうまくつくかつかないかでかなり出だしが変わってくる。
うまくいくと、あきる野の自然が生むおいしい空気と、
晴れの日の鮮やかな太陽が僕を出迎えてくれる様でとても気持ちいい。
こうして僕の1ヶ月に1,2回のピアノレッスンが始まる。
その日は、ショパンの第3番のソナタを持ってきた生徒がいた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「ピアニストには、人生で二度と出来ないような『名演奏』がある。
 その演奏をしてしまったらもう人生終わっても良いと思うほどのだ」
昔ある先生にこう言われた事がある。
そこまで大それたものじゃないかもしれないけれど、
僕にも一度だけ『もう二度と弾けないかもしれない』という演奏の経験がある。

あれはポーランドでの合宿だった。
コンクールや周りの人々の期待にプレッシャーを感じて、音楽が『好き』とは言えなくなっていた時だった。
しかし、その合宿は素晴らしく、僕には人生で忘れられない幸せな時間だった。
ポーランドの田舎で、大自然があり、のどかな時間の流れと、音楽的な素晴らしい先生がいた。
時間やプレッシャーに捉われず、思い切り生きてる自分がいた。
その先生は「美と平和」としきりに話していた。
僕には「愛と平和」よりずっとしっくり来たのを覚えている。
丁度ポーランド出身の法王様がお亡くなりになった年で、先生は涙ながらに法王様の素晴らしさを語っていた。
僕には法王様の大切さは心からは理解出来なかったけれど、先生のけなげな、そして敬虔なお姿に深く感動した。
もちろん、療養出来て心に余裕があるというのも理由のひとつだろう。
その合宿の最後にコンサートをして、僕はショパンの3番のソナタを弾いた。

僕が弾いている感覚ではなかった。
体が無感覚な状態で、頭は無欲だった。
なんといっていいか、あれだけは体験してみないと分からない感覚かもしれない。
その脱力にも似た感覚は、何故か僕に『諦め』の感覚を連想させた。
でも、とても気持ちよかった。
溺れた時に、生きる事を諦めるととても気持ちよく感じると聞いた事がある。
それに似ているのかもしれない。
演奏が終わると、まだ誰も出てきていないロビーに先生が出てきて、僕を強く抱きしめてくれた。
そして優しく厳しいその瞳から大粒の涙を数滴落としていた。
僕も心の中で涙した。ああいうとき、人と人は魂や命といった次元で共鳴する。
僕は自分が自然に演奏出来たこと、何の雑念もなく演奏出来た事に感動し、
先生は法王様や人の生死に何かを感じていたのだろう。
それぞれ別の事を考えていても、音楽で一つに結びつく事が出来た。
あれは、本当に『美と平和』を体験した瞬間だった。
平和な心は美から生まれるのかもしれないと思えた瞬間だった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

気付くと、20分くらいかかってやっと1楽章が終わるところだった。
「うん、よく頑張ったね。この曲難しいでしょ? すっかり音を覚えるまでは苦戦するんだよ。
 この曲は楽譜見ながらじゃすごく難しい曲なんだ。だから今日は気にせずゆっくりゆっくりやろう」
「どうもすみません」とその生徒は恥ずかしそうに僕に言った。
もちろん僕にもそれくらい弾けない時があった。

すごく懐かしい。
あの時はすごく辛い事も苦しい事もあったけれど、今はその経験をしておいて良かったと心から思える。
立ち止まってはいけないんだ。
人生、頑張ったことは大体美しい思い出になる。
思いついて、何もしないことが、僕たちの人生を蝕んでゆく。
あの、ポーランドの悪魔が来たような通り雨も、今となっては美しい思い出だ。

2009.02.10

牢獄

壁の向こう側にいるのは誰だろうか、さっきから僕に話しかけてくる。
「私はあなたの影です」
恐らく声の主は若いだろう。
24、5歳といったところだろうか。
話し方はとてもスローで丁寧なのだが、
声の年齢とのギャップがあって少し嫌みたらしい印象を与える。
「君は僕の影なんだね」と僕は言った。
「いえ、僕はあなたの大好きだった犬です。もう死んでしまったけれど」
やれやれ、と思った。
「OK、君は僕が飼っていた犬なんだね?」
しかし、それっきり壁の向こう側にいる男は何の反応もしなかった。

手の届かないくらい高い位置に小さな窓があり、そこには鉄格子がかけられている。
そこから微かな光が漏れていて、コケだらけの湿っぽい牢屋に神聖な芸術感を醸し出している。
僕はいつからどうして牢屋なんかに閉じ込められているのだろうか。
「私はあなた自身なのかもしれない。
 正直なところ、私も私が誰だかよく解らなくなってしまったのです」
壁の向こうにいる男の話し方は、まったく感情の起伏を感じさせなかった。
僕と話しているのかどうかすらよく分からなくなってしまう。
あるいはこれは彼の独白なのかもしれない。
人は、人と話していながら
結局自分の世界だけで「自分」と「自分ではない自分」と話している事がある。
僕にもそう言うことがよくある。
「ねえ、僕がとても落ち込んでいる時に、僕の親しい友人に切実な顔をして
 『人にとっての幸せってなんだろう?』って訊いてみた事があるんだ。
 そしたらね、その友人はとても真剣な顔つきで
 『俺は1日に2時間は風呂に入る。その2時間が人生で最高の時間だし、
 幸せだって思える瞬間だ。それ以外は鳩のクソみたいなもんだな。
 人生なんて地獄以下だぜ』って言ったんだ。
 考えてみてよ?1日に2時間風呂に入る事が最高の幸せだって
 即答出来ちゃう人もいるんだ。世の中には銀河鉄道999の
 テツロウ君みたいにお風呂が大嫌いな人だっている。
 幸せって本当に千差万別なんだ。
 だからさ、結局、人それぞれ幸せは自分の世界にちゃんとあるんだよ。
 自分が誰かなんて案外どうでも良い事なのかもしれない。
 大切なのは、何が自分にとって幸せなのかを知ることなのかもしれない」
言い終わると同時に牢屋の扉の方でカチッという音がした。
僕は急いで音のなった扉の方に行った。
扉の鍵が開いていた。
「壁の向こうの君、僕はもう行くよ。扉が開いたんだ。
 助けてあげたいのだけれど、僕には君の牢屋の扉を開ける事が出来ないと思うんだ。
 悪いけれど僕はもう行くよ」
僕は思いきって扉を開けた。
扉は金具が錆びていたのか、開けたと同時にそのまま壊れて倒れてしまった。
はじめから蹴り破れたのだ。
牢屋だから出られないという固定観念に閉じ込められていたのだ。
しかし、牢屋から出た僕を更なる衝撃が襲った。

そこは砂漠だったのだ。

しかも牢屋はただ砂漠の真ん中に一部屋あるだけで、隣の部屋なんか無かった。
僕は今まで誰と話していたんだろう。
壁の向こう側にいた男は誰だったのだろう。
あるいは男は部屋の外にいて何らかの理由で僕に話しかけて、
僕が扉を開けた時に走り去ったのかもしれない。
でももうそんな事はどうでもいい事だ。
僕は、今、砂漠という『大きな牢屋』にいるのだ。
壁のない、自由という名の牢屋だ。
この世はどこに行っても牢屋なのかもしれない。

「やれやれ」と僕は呟いた。
そして、砂漠の中を歩き出した。
大切な第一歩を踏み出した。
僕にとっての幸せは、歩く事なのかもしれない、とその時思った。
間違っても、牢屋にもう一度入ろうなどとは思わない。
太陽は僕に敵意があるかのように強く光を落とす。
時々風が吹き砂漠の砂が目に入ったりする。
水も食料もない。
それでも、僕には歩くという手段がある。
どんなに小さな一歩でも、僕には、まだ力がある。
もし家に帰れたら、お風呂に2時間入ろうと思う。

2009.02.02

ね。

もうすぐ暖かくなる。
だから、もう少し辛抱しよう。

2009.01.20

断片

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【昨年末の「国際フォーラム」のコンサートで青島広志先生と共演させていただきました。先生からは沢山学ぶことがありました】


「すみません」と僕は始めから謝った。
「正直に言いまして、今日の僕はインタビューにちゃんと答えられそうにありません」
それを聞いて驚いた顔はインタビュアーである。
「僕の中には『季節』があるのです。
 それは自然災害のように突然やってくるので、しょうがない問題なのです」
「しょうがない…ねえ…」
インタビュアーは眉間にしわを寄せて怒っているかのような顔つきになっている。
「僕は…、季節によっては時に全く違う人間かのようになってしまうのです」
冷めたコーヒーを微量口にすると、ブラックの苦さが甘く感じられた。
なんだか不思議な感覚だった。
苦いなんていう感覚も、本当は全部嘘なのかもしれない。
冷たいも、痛いも、辛いも、全て嘘の世界の感覚かもしれない。
おっといけない、また考えが脱線するところだった。
「なので、季節によっては僕は過去に言った事と矛盾した答えをしたり、
 つじつまの合わなくなるような意見を述べる事もあります。
 でも、悪気はないのです。僕の中の季節が変わると、
 考えもガラッと変わってしまう事があるのです」
インタビュアーは手に持っているペンをノートにトントンと叩きつけている。
それは弄んでいるようにも、苛々している時の貧乏揺すりのような動きにも見えた。
「実際の季節に例えるのなら、今はですね…」と僕は言った。

「冬です」

僕は、少しだけ、一瞬だけ、口元だけ、微笑んで言ってみた。
「冬…ですか」
インタビュアーは無表情に口だけを動かしてぽつりと言った。
「その、冬には、どんな考えが浮かんでくるのでしょうか?」
インタビュアーは何故か申し訳なさそうに僕に尋ねた。
「冬はですね、白樺の木と、その枝にかかるフワリとした新雪のような憂鬱です」
「憂鬱?」
「そう、憂鬱。フワリとしたね」
僕は少しだけ笑って見せた。
「では夏は?」
僕はだめだめといったように手を顔の前で振って見せた。
「冬に夏の事はわかりませんよ」
インタビュアーはとても残念そうに顔を下に向けた。
かくして僕の取材は終わった。
そして、こんな記事になった。


今月のピアニストのコーナー
「清塚信也」
彼はとても憂鬱なのだそうだ。
気性の変化が荒く、浮き沈みがかなりはっきりしているらしい。


そういうことじゃなかろうに。

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