ジョルジュ
【 3月15日「ジョルジュ@佐賀市民会館」公演終了後、村井国夫さん音無美紀子さんご夫妻と】
「母親はね、子供が熱を出して寒さに震えているとき、
迷い無く裸になってその子を自分の体温で温めてあげられるのよ」
と音無美紀子さんは語った。
「私は、ジョルジュサンドのショパンへの愛はそういうものだったと思うの。
だからね、彼女がショパンのお葬式に顔も出さなかったというのは、
愛があってこそだと思うのよ」
「ジョルジュ」という斎藤憐さんがお書きになったリーディング(朗読のようなもの)と
ピアノリサイタルがひとつになったような舞台がある。
ショパンは26〜7歳くらいでジョルジュに出逢い、
以後39歳で亡くなる直前まで二人の付き合いは続く訳なのだが、
その間のジョルジュとショパンの関係をとても親密に表わした作品です。
ショパンの視点からは「悪女」と言われるジョルジュ・サンドの物語であり、
ジョルジュとその元彼のミッシェルという弁護士とのやりとりをリーディングで演出する。
その二人の間でショパンは黙々と自作の曲を弾いている。
僕はそのショパン役(役と言えるのだろうか?)をやっているわけなのですが、これがもう、ものすごく良い。
良い、というのは舞台が良いかどうかではありません。
それはお客様が決めることですもんね。
僕の言う「良い」というのは「僕的に」心地良いという意味です。
ピアニストとして、これほどショパンを気持ちよく心地よくリアルに感じたことは未だかつてありませんでした。
音無美紀子さんという素晴らしい女優さんがジョルジュを、
村井国夫さんが相手のミッシェル役をおやりになって、
お二人のやりとりの間に置かれると、本物のジョルジュとミッシェルを目の前にしているかのよう。
段々ショパンが弱っていく姿、ジョルジュがショパンから離れていく姿、
それが本当にリアルに感じられて、最後の方は舞台上で涙が溢れそうになります。
ショパン側の視点としては、ショパンが弱っているときにジョルジュは革命などの社会の動きに興味を持ち、
ショパンを見捨てたという言われ方をされる。
実際に、ショパンの友人だったドラクロワはジョルジュとショパンを描いた絵を引き裂いてしまった。
しかし、この舞台を見るとどうしても、
ショパンの最期にジョルジュの愛が尽きてしまったのではないような気がする。
そこには何か、言葉では表せないような「何か」があるような気がするのです。
「革命なんて反社会的な事に関わっているジョルジュは、
今の自分がショパンに関わることで彼の足を引っ張ってしまったり
彼を危険な立場にしてしまったりする事を避けたかったんじゃないか、とか、色々考えるの」
音無さんは空中に視線をやり、その先にはショパンとジョルジュが見えているようだ。
それも愛し合っている二人。
音無さんは口元を仄かに緩ませたり目元を細めたりしている。
「とにかくね、ショパンのお葬式にジョルジュが来なかったのは『愛』だと思いたいのよ、私は」
舞台の最後の方で音無さんは涙ぐんでいた。
しかし、涙が実際に流れる事はなく、その代わりに何かもの凄い力(エネルギー)みたいなものが感じられた。
まさに、その姿は本物のジョルジュでした。
僕も最後は本当に具合が悪くなったかのような気がしてきました。
でも、最後まで確かにジョルジュの愛を感じた気がしました。
ショパンの人生は、本当にロマンティックです。