清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2008.11.12

僕の位置

瞳を閉じて、僕は自分が世界のどこにいるかを考えてみる。
いや、考えるんじゃない、感じてみる。
それから、永遠に暗い宇宙に浮かぶ真っ青な地球を想像する。
その後、太陽系を抜けて、何もない暗闇の冷たい世界を想像する。
そして、死よりも何もない無の世界に辿り着く。

僕は、何でもない。

それでも、僕の心臓は今日も動いていて、僕の血液は僕の体内を駆け回っている。
ラッシュ時の首都高速のようだ。
僕の血管が首都高速だとしたら、あの忌々しい三宅坂ジャンクションはどこだろう?
瞳を開けて、左手の中指の付け根あたりにある血管を撫でてみる。
そして、軽く押してみる。
血管を押すと、血管は自らの意志であるかのように元通りになる。

僕は、何でもない存在だけど、昨日も、今日も、ちゃんと生きた。
明日は、どうだろう?

こないだ、僕が小学生時代を過ごした「小手指(コテサシ)」という町に行ってきた。
昔は長く感じた道が短くなってたし、高いと感じていた壁が低かった。
でも、通学路だった道や何でもない道路を何気なく歩いてみると、昔のままだった。
そこにはまだ僕の人生があった。
しっかりと、僕の人生はその町で続いているようだった。

中学の時に僕はその町から去った。
もう、今となっては中学生の頃なんて大昔に感じる。
26歳になろうとしている今日まで、随分長い道のりだった。
でも、そんな長い人生がたった一瞬かのように感じた。
少しだけ昼寝をして、ちょっと重めの夢を見ただけのように感じた。
「あれ?僕は何をやっていたんだっけ」
そんな感じだった。
町はそうやって僕を当たり前のように受け入れた。
街灯や昔からある飲食店と同じように、僕を古い友人としていつものように迎え入れてくれた。
その空気があまりにも自然だったので、僕は怖くなった。
本当は僕の人生なんてなかったんじゃないか、と心配になった。
小学生の時から今までの、あるはずのない思い出がこの町にあるかのようだった。
僕はそれをスラスラ言えそうで混乱した。

今、僕はどこにいるのだろう?
僕は本当にここにいるのだろうか?

混沌と暗闇の中で、僕は26歳になる。
でも、僕は幸せです。
ありがとう。

2008.10.26

みなとみらい

僕はどちらかというと時間に余裕を持って行動したい部類の人間だ。
流石に最近は時間が勿体なくなってきたので、
1時間で行けるところを2時間みて行く事はなくなったが、
それでも出来るならば今でもそうしたいくらい時間に余裕を持っていたい。
要するに急ぐのが大嫌いなんだ。

僕は今日、みなとみらいへ45分も多く時間をみて出発した。
思いのほか道が空いていたので、さらに早く着いてしまった。
楽屋でお昼を食べるのが嫌だったので、
みなとみらいホールの目の前にあるカフェでサンドウィッチを頼み、
コーヒーをちょびちょびと飲んでいた。
1時間もそこで本を読んだり携帯に残っている好きなメールを読み返したりしていた。
ぼーっとした心になるととても心地よかった。
少しはアーティストっぽくしなきゃと言うことで、
一度みなとみらいホールを迂回してわざわざ楽屋口から入った。
なるべく時間をかけて楽屋に着くように、僕は絨毯の縫い目を踏まないように丁寧にぐずぐず歩いた。
まずは最初のエレベーターでB1へ。
そしてまた違うエレベーターに乗り換えて5階に行けば小ホールの楽屋に辿り着く。
この乗り換えた方のエレベーターは楽器搬入が出来るようにとても大きいサイズになっている。
普通の3倍はある。
ひとりで乗るのはいつも落ち着かない。
僕はそのビッグサイズエレベーターに乗ると、5階のボタンを押して、続けて閉めるボタンを押した。
そして、この大きな「部屋」のどこに立とうか考えた。
真ん中というキャラでもないので、一番奥の端っこに立つことに決めた。
エレベーターは難しい事を考えてる哲学者のようにコツコツと音をたてて上に上がっていった。

1階につくと、エレベーターが止まり「かば」が重い足取りで入ってきた。
かばがエレベーターに入ると、エレベーターが大きく揺れてちょっと位置が下がった。
かばは何事もなかったかのようにボタンを6階に押した。
かばはすごい音で鼻息を出していた。
かばは二足歩行していたので、息をする度に肩が上下に動いていた。
かばはピンクの小さなミニスカートを着ていて、真っ赤なピンヒールをはいていた。
「天才はね、タイミングが大切なのよ」とかばはボタンの方を見ながら言った。
僕に話しかけているのかどうかわからなくて、僕はおどおどしてしまった。
「まずはね、じっくりしぼってやるの。それからじっくり煮込むのよ」
僕はただ聞いていた。
「ここからが大切よ。じっくり煮込んだら、もうそこから出たくないよ〜って思わせるくらいドロドロに溶かしてやるの」
「ほう」と僕は言った。
「それでね、そいつの人生なんかないってくらい一つの事に没頭させるの」
「ほうほう」
「20歳になる頃、自分がどうしてそれをやっているのかわからなくなるの」
「それで?」
「それでね、最終的には麻薬のように、それがなくては生きていけないようにしてやるの」
「あまり良い話とは言えませんね」
「そうかもしれないわね。でも、見てる方は面白いわよ」
僕は頭に来た。
「あなたはあまり口のききかたが綺麗ではないですね」と言ってやった。
かばはだまってじっと前を向いている。
相変わらず鼻息をふんふんと鳴らしている。

エレベーターは5階に着いた。
僕はかばを横目にエレベーターを降りた。
僕の背中越しにかばが口を開いた。
「自惚れないで。あなたを天才っていってるんじゃないのよ」
僕は勢いよく振り返ってかばに反論しようと思った。
しかし、僕が後ろを向いた頃にはエレベーターはもう閉まっていた。
かばは一体何が言いたかったのだろう?
6階に追いかけていってやろうと思ったが、やっぱりやめた。
さぁ、ピアノ、弾こう。
大好きなみなとみらいで。

2008.10.25

恋人の部屋

コンサートを終えると、シャワーのように降っていた雨が止んでいた。
辺りからは雨に濡れた草木の独特の匂いがしている。
僕は車に乗り込み、夕方前の西東京を走り出した。
「あなたのコンサートに行くのは、私にとって恋人の部屋に行くようなものです」
僕がロシアにいた頃(まだ十代だった)、あるロシア人のお婆ちゃんが僕のコンサートに来てそう言ってくれた。
あれはどういう意味だったのだろう?
7年経った今も、まだちゃんとは理解していない気がする。
でも、やたらと嬉しかったのを覚えている。

僕の車は高速へと入った。
高速道路は時間帯や季節で驚くほど表情を変える。
ちょうど夕日が綺麗に見えたりすると、
高速料金はこの景色を観るための入場料だったのだと思える。
でも、今日はあまり好きな表情ではなかった。
雨上がりの曇り空、三宅坂はいつものように渋滞している。
おかげで西東京から目黒の雅叙園に着くまでに1時間半もかかってしまった。
雅叙園に着くとすぐに假屋崎先生がお声掛けしてくださった。
先生は忙しそうに、前に前に素早く歩き、活き活きとしていた。
「パーティの前にお花を観ていってね」
輝くような金の長髪をなびかせて先生は風のように過ぎ去っていった。
本当に、生命力とエレガントさを纏った素敵な方だと僕は思う。

雅叙園の百段階段に生けられたお花達。
奇跡の融合を果たした花たちとそれを受け止め、その新たなる生命を受け入れる器たち。
百段階段を一段一段上がっていく度に、僕の心はどこかで痛みを覚えた。
僕は強く感動すると心が痛む。
それはまるで、すりむいた傷を消毒するときの痛みだ。
体の中で毒が調和されていくのが分かる。
百段登り切る頃にはすっかり気持ちの良い脱力感が僕に訪れていた。

芸術とは何だろう、美しさってなんだろう。

假屋崎先生の華道25周年記念パーティから帰ってくる頃には、
またシャワーのような雨が地面に降り注いでいた。
黒くなったアスファルトを見ていると、僕は原因の分からない不安に見舞われてしまった。
未来への不安なのだろうか?
それとも…?
何だかもやもやとした暗雲が僕の体内に充満している。
僕と僕の人生はこの先どうなるんだろう。
「迷ってる暇はないよ。お前達はそういう天命なんだ。意味なんか考えるでない」
僕の行きつけのBARのマスターが面倒くさそうに僕にそう言ってくれた。
僕のコンサートが恋人の部屋か。
僕ならずっと入り浸ってしまうな。
恋人の香りが仄かに残り、淡い思い出たちが生きている部屋。
そこから見える眺めはあまり美しいとはいえない。
でも、僕はその景色でさえも愛してしまう。
朝の9時なのに21時と間違えて表示されたデジタル時計や、
無造作に置かれた領収書などにも愛を送らずにはいられない。
切ない。
寂しい。
怖い。
不安。
でも、そんなコンサートにしたい。
愛されるピアノを弾いていたいと強く思う。

2008.10.20

小学3年生の時の僕は、その道が大嫌いだった。
ひたすら真っ直ぐにのびていて、周りが巨大な駐車場になっているその道は、町の中にある砂漠のようだった。
僕はその道を通る度に何故か切ない気持ちになった。
冬の風にさらされている時でも、夏の炎天下に立たされているかのようなストレスを感じた。
それは倦怠感や無力感にも似た感覚だった。
その道は僕の住んでいるところから電車で1時間半は離れていた。
週に一回の音楽教室に通う時だけしか通らなくて良かったのは、僕にとって唯一の救いだった。
もし、この道が家のすぐそばにあって毎日のように通らなければいけなかったら…。
と想像するだけでゾッとした。

僕は今25歳になった。
中学2年生の時、運命的にあの大嫌いだった道のすぐそばに引っ越してきた。
でも、中学生の頃は色々と忙しくて、小学生の頃に嫌いだった道の事なんてもうどうでもよくなってしまった。
それどころか、気がつくと、25歳の今はこの道が好きだ。
車も通らない、人通りも少ない、スペースも開けていて、ちょっとノスタルジックなこの道が好きだ。
飾り気のない寂しい道だけれど、僕は好んでよく通っている。

今なら僕は知っている。
昔、砂漠のように感じていた駐車場の先に何があるのか。
真っ直ぐどこまで続いているのか。
僕はこの道の表情を知っている。
朝昼夜。
春夏秋冬。
雨が降ったり風が吹いたりするし、雪も時々降る。
僕はこの道を体験したんだ。
だから好きになれた。
何かをちゃんと好きになるには、それなりの「情報」が必要だ。
情報とは知識ではない。
ただ知るだけではだめだ。
何度も通って、いつも近くに感じて、つまずいたり走ったりしてみなくてはいけない。
その通りの名前が何で、何メートルで、どれくらい傾斜があるのかを知っていたって全然好きになれない。
ちゃんと体験しなくては情報にはならない。
そうやって愛が増え、人はまた一つ成長していく。
情報の多さと愛の深さは、比例するのかもしれない。
明日は、その道で口笛を吹きながら歩いてみようと思っている。


2008.10.18

サラリーマン2

越後湯沢から直江津に行く最終の特急列車内には僕とサラリーマンだけしかいなかった。
他の車両には他の客もいるのかもしれない。
「直江津までですか。わたしも直江津までです」
どうしてこのサラリーマンは僕の行き先を知っているのだろうという表情を僕が浮かべていると、
サラリーマンはアーモンド型の目を細くして気味が悪いほど爽やかな笑顔を浮かべた。
「先ほど切符が見えたのですよ。いやだなぁ、わたしはそんなに怪しいものではありませんよ。ただのサラリーマンです」
と言ってからサラリーマンは僕から目線をはずし、逆の方の窓に体ごと向きを変えた。
「でもね、ただのサラリーマンですが、もうすぐ死にます」
僕から目線をはずしたままサラリーマンは話す。
「決めてたんです。55歳でぴたりと人生を終わらせると」
55歳。
サラリーマンは見かけより歳をとっているようだ。
「中学生の時から決めていてね。わたしの人生がどんなに不幸だろうと、どんなに楽しかろうと、絶対に55歳でわたしは死ぬと」
この人は酔っていると僕は思うことにした。
「お酒は…」とサラリーマンは言いながらまたこっちに体を向けた。「…飲めませんよ」
「嫌いなんです。わたしはわたし自身の人生をコントロールしたいという強い欲求があるので、
アルコールによって自分の意見や意志を失うのは我慢ならないのです」
車掌が切符を見回りに来た。
車掌は無駄な動きを一切せずに僕の手から切符を取るとその切符にパンチを入れた。
切符を僕に返す時に小さくありがとうございますと呟いた。
まるで独り言のように。
「わたしの両親はわたしが小さい頃に死にました。そのあと親戚中をたらい回しにされました。
あの時がわたしの人生の中で一番苦しい時だった」
サラリーマンは車掌に切符を見せている間中そこに誰もいないかのように引き続き喋り続けていた。
「いやね、暴力を受けたり、酷い目に遭ったりしたわけではないのです」
列車は走り続ける。
真夜中の温泉地を。
「それはそれは親切にしてもらいましたよ。中にはそこの家族の本当の子供より大切にされていたくらいです」
僕は一度時計を見る。
直江津まではあと20分くらいある。
「でもね」とサラリーマンは言った。「耐えられなかったのです」
「あの、かわいそうな子と言わんばかりの目が。みんなわたしの事を不幸な子だと思ってくれているのです。
その悲観的な目が僕には耐えられなかった」
今度は熱いおしぼりを配りにおばちゃんが入ってくる。
おばちゃんは制服を着ているのだが、その制服のサイズがぴったりな事に僕は無償に切なさを感じた。何故だろう?
「それでわたしはある日家を持たずに路上で暮らす事にしました。ホームレスですよ。いわゆる」
サラリーマンは配られたおしぼりで顔を拭く。
「あ、いけないいけない。またこんなに自分の話をしてしまって…」
サラリーマンは本当に恥ずかしそうだった。
「すみませんね。でも今日くらいは勘弁して下さい。何せ、人生最後の日なのですから」
そう言うとサラリーマンは直江津に着くまで二度と口を開かなかった。
僕の感傷的な気分は最高潮に達した。
流れゆく景色を観ているだけで涙がこぼれそうだ。
サラリーマンはどうやって死ぬ気だろう?
僕はサラリーマンが自らの命を絶つ姿を想像して怖くなった。
そして、全てが嘘の世界なのではないかと思うほど現実離れした悲しさに襲われた。

直江津に到着すると、サラリーマンは「それではお元気で」と一言僕に告げて足早にどこかへ去ってしまった。
僕はタクシーに乗り込む。
そしてホテルに着く。
シャワーを浴びてベッドに入る。
そしてあのサラリーマンがこの街のどこかで死ぬ想像をする。
眠れない。
朝が来る。
一睡もできないまま午前中の講義へ向かう。
夏の嵐のような雨が降っている。
しかし講義が終わるまでには止んで快晴になっていた。
僕はお昼を食べてから直江津の駅へとタクシーで向かった。
越後湯沢へ行く特急が直江津駅に来るまでにはまだ30分もあった。
仕方がないので僕はホームで本でも読んで待つことにした。
しかし、紙の上で踊る活字達は僕の脳内には一つも入ってこられなかった。
僕は本をぱたりと閉めた。
あのサラリーマンはどうしたろう?
本当に死んでしまったのだろうか?
どうして55歳で死ぬと決めたのだろう?
僕は自分も55歳で死ぬと仮に決めてみた。
何かが変わった気がする。
僕の中で止まっていた時計が動き出したようにも感じた。
死がリアルになって初めて生きる心地がする。
でも、僕は死なない。
きっと、人生で守り続けなくてはいけないルールを他にみつけ、それは「生きる」という方向に繋がっているに違いない。
それにしても、あのサラリーマンのこの世のものではないような爽やかな笑顔は何だったのだろう?
そこに真の幸せがかのような。

僕は生きるという事の意味を永遠と考えていた。
直江津から越後湯沢まではあっという間だった。
何度もこの乗り換えをしたことがあるが、越後湯沢から東京行きの新幹線への連絡は面倒くさい。
なぜか、いつもそう感じる。
越後湯沢の特急が居心地いいのかもしれない。
その証拠に、東京からこっちに来る時の乗り換えにはストレスがない。
切符を3枚同時に入れ、新幹線ホームへと僕は急いだ。
僕と同じように東京方面に行く客が沢山いる。
エスカレータはその客たちの大行列になっていた。
僕は人混みが苦手だ。
東京行きの発車時刻まではあと10分ある。
もう少しここで待ってあの行列がなくなってからホームへと行こう。
僕は暫く人々を観察していた。
人々は宿命的な何かを背負っているような真剣な顔をして乗り換えをしていた。
何だか、みんな幸せそうじゃなく見えた。
若い観光客、お年寄りの温泉巡り、通勤、通学、その他色々あるだろう。
さまざまな人達が人生の「乗り換え」をしていた。
何かの実験をされているようにみんな同じ動きをしていた。
僕もきっとあの中に入ればその一員になるのだろう。
そこには「サイクル」というものがあった。
僕は怖くなった。
人々が工場で機械に一つ一つまったく同じように仕上げられていく製品のようにみえた。
僕がそうやってじっとサイクルを観ていると、知っている顔が現れた。

あのサラリーマンだった。

サラリーマンは昨日の穏やかさが嘘のように別人の顔をしていた。
深刻で暗くて切なそうで緊張しているようにみえた。
サラリーマンは昨日とまったく同じ格好でいた。
サイクルの中の一つになっていて、昨日まとっていた特有の空気は感じられなかった。
それでも僕はどこかで嬉しかった。
何が嬉しいのかよくわからなかったが、サイクルも悪くないと思えるようになった。
「生きていれば日はまた昇る」
僕はそう呟いて途絶えないエスカレータのサイクルに飛び込んでいった。

僕は夜が好きでいたい。
それには、朝を経験しなくてはいけないのだ。
朝日を知らなくては、夜の風の甘さは味わえないのだ。
こなれた感じで新幹線に飛び込んでいくサラリーマンの横顔を少し後ろから僕は見た。
昨日のような幸福感はないにしろ、何だか、ちょっと勇ましくて格好良く感じた。
東京行きの新幹線は、僕がギリギリで乗り込むとすぐに出発した。
「さぁ、帰るぞ」
と一言、僕は口に出して言ってみた。

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