なくなった石
彼はいつも自分の中に世界を創っていて、
そこには他の人物は誰も立ち入れさせたくなかった。
それは彼が生きてゆく上でとても大切な事だった。
しかし、彼は普通の20歳の男だったし、
それなりに社会に属していて決してその社会のルールを破ろうなどという考えはなかった。
つまり彼は「社会には迷惑もかけないし、何も意見しないから、
どうか自分の世界に立ち入らないでくれ…」と言いたかったのだ。
その日、彼はいつも通り家を出て駅に向かうところだった。
しかし、家から10メートルくらい歩いたところで一歩も歩けなくなった。
彼は持っていた鞄を落とし、歩き途中の中途半端な姿勢で止まってしまった。
右脚は少しかかとが上がっていて、重心も前のめりになっている。
しかし、ぴくりとも動かずに停止してしまった。電信柱の影と同じように。
それから10分ほどそこに停止してから彼は声とはいえない声で「石がない」と言った。
彼の力ない言葉は音にもならず、発したそばからすぐ空気の中に蒸発してしまった。
彼の家の前には大きな石があった。
大きなといっても、人間の頭くらいの大きさだ。
それが何故か道路の中に埋め込まれてあった。
道路は舗装されていて、しばしば車も通るようなものだったので、
よく車がその石を踏んでしまって騒ぎになっていた。
一度はバイク便でスピードを出していたライダーがそれを踏んで転倒し、大けがを負った。
そんな石がどうしてそこに埋め込まれているのか彼には想像もしなかったが、
その石は彼がこの家に15年間住む上で大きな心の支えとなっていた。
その石が、どうしてか、今朝からなくなってしまっている。
石のあった跡には雑草が少しだけはえていて、
舗装された道路とのギャップから突然発生した小宇宙かのように違和感を醸し出している。
それから10年が経ち、まだあの空虚な穴は塞がっていない。
かつて石が君臨していた空虚な小宇宙的穴。
彼が失踪してからもう10年が経とうとしていた。
あの石がなくなって少ししてから、彼はいなくなってしまった。
彼が生きているのかどうか、それを知るよしは無い。
誰にもわからない。
でも、僕は解る。
彼はもう二度と帰ってこないし、
石はもう二度とあそこの穴に帰ってくることはないのだと。


























