四国から飛行機で東京に帰る。
今丁度飛行機が飛び立とうと滑走路を加速している。
すごい音をたてて、あっという間に速度を上げる。
僕はフィガロの結婚の序曲を頭でなぞっている時のようにワクワクした。
そして、飛行機は状態をななめにして夕暮れの空に向けて飛び立った。
風をきり、雲を突き出て雲より上へ。
下には雲の海があり、それはまるできちんと耕された畑に雪が降った後のようになっていた。
パイロットはどんな気持ちだろう?
万が一にでも、この飛行機に乗っている全ての命が自分のミスによって消滅してしまうかもしれない。
そんなプレッシャーをパイロット達はどうやって受け止めるのだろう。
考えないようにする訓練をするのだろうか、それとも考えても平常心でいられる訓練をするのだろうか。
僕がピアノを弾く時は後者だ。
緊張をしないようにと思っていると、結局裏切られて緊張する。こうなると、むしろ予定外に緊張してしまったことに焦って緊張以上に「どうしよう」と思ってしまうから困ったものだ。
だから、緊張してもいつもと同じ事を考えられるように普段から訓練している。緊張した状態でも飛んでいかない記憶を大切に保管するのだ。
パイロットは果たしてどちらなのだろう。
常人が彼らのプレッシャーをまともに受けたら、きっと生きていけないのではないだろうか。
でも、飛行機はそんな事何でもないかのように、力強くオレンジピールのような夕暮れ空を突き進んでいる。
その姿は得意げで、気高く、少し傲慢にさえみえる。
その堂々たるマエストロの姿に僕はいつも感動する。
子供の頃からずっとこの気持ちは変わらない。
すごく感動する。涙さえ出そうになる。
飛行機が上がりきった所で右に夕暮れ、左に夜の暗闇が現れた。
ただでさえ感動していた飛行機の離陸に、その美しいグラデーションの空が現れて、僕は旅の最後に感じる独特で感傷的なあの気持ちにしっとりと浸る事が出来た。
ある程度その気持ちに浸った後で、今回の四国の旅を思い出してみる事にした。
贅沢な時間である。
旅で出逢った人、出逢った出来事、道、建物、乗り物、全てを一つずつ思い出す。
そのイマジネーションを飛行機と空が助けてくれる。
僕はそんな完璧なシチュエーションを前にドキドキしてしまう。
ポーランドの田舎で輝く一番綺麗な星をひとくち囓った気分だった。
今回の旅で新居浜というところに行った。
新居浜は何もないところだったが、のどかで潮っぽい匂いがした。
僕はなぜかこの街が気に入った。
ホテルからコンビニすら見あたらないので、少し夜の新居浜を歩いてみる事に。
道を歩いていると街灯が少ない事に気付く。
ところどころ、自分の歩いている道が見えなくなる程暗い。
気をつけて歩かないと虫を踏みつけてしまう。
僕の足下で羽虫が「よそものが来たぞ」とみんなに知らせるかのように急いで慌ただしく飛び立っていった。
やっとコンビニを見つけてビールを買ってからUターン。
同じ道を帰るのもなんなので、一本裏の道へ。
裏道は更に暗く、湿気が充満していた。
僕以外に歩いている人はいない。
すごく静かな道だ。
小さな道が交差する交差点では、誰のためでもなく、ひっそりとしかし力強く信号が青になったり黄色になったり赤になったりしていた。
そのうらぶれた信号機は、それでも革命を起こす前の英雄かのように力強さを持っていた。
僕はそんな信号機を少し立ち止まって観ていて、少し悲しい気持ちになってしまった。
「気の毒な信号くん、これからも頑張って」
そう呟いて僕はホテルに帰った。
そうこうしていると、あっという間に飛行機は羽田空港に着陸態勢。
ヨーロッパの飛行機に慣れている僕には少しものたりない短時間フライトだ。
それに、こんなに時間を短縮されてしまっては、自分がどこから帰ってきたのかよく把握出来ない。
かくして今回も、羽田空港に到着して駐車場にある車に辿り着くまで、ついさっきまで自分が四国にいた事を頭に言い聞かせなくてはいけなかった。
しかし、不思議な事に、名古屋に2時間かけて新幹線で行くより、四国から飛行機で帰ってくる2時間の方が疲れる。
これは距離の移動と疲労というのが比例するという事である。
いくらすごい乗り物があって時間を短縮出来たとしても、疲れは本来かかっていた時間と同じように、それなりに残るということだ。
今回の羽田到着はそれでも快適だった。
疲れてはいたが、その疲れも心地良いものだった。
しかし、明日の奈良を考えると少しナーバスに。
なので、それは考えないようにして、羽田空港から車を滑り出し、ゆっくりと首都高速を帰った。
法定速度を守っていると、とても邪魔そうにみんなが抜いていく。
中には車越しに睨んでいくやつもいる。
結局人間というのは、外に出るだけで誰かの迷惑になるんだな。
生きている事は、迷惑をかけているという事でもあるんだ。
そう思うとすごく悲しい気分になった。
誰もいない誰も通らない交差点にあるマンホールのような気分になった。
僕は車を止めて少し考えてみる事にした。
それでも人々はすれ違う。
どれだけ思い合おうとしても、すれ違う。
それはあの交差点にあった信号機のように生まれ持ってしまった宿命だ。
ただ、それが全てではない。
それ以上に幸せな事もある。
生きていれば、幸せも感じられる。
僕は、感動を共有したい。
出来るだけ多くの人々と、感動という一つの人間の到達点を共有したい。
僕は何度か「強制の死」をみてきた。
死にたくないのに死んでしまった人をみたのだ。
もう彼らとは感動を共有出来ない。
二度と、出来ない。
だから、生きている事を出来るだけ楽しんで、思い出を沢山作りたい。
そして、生きているうちに色々な人と感動を共有したい。
すれ違いもあるだろう。
不本意に人を傷つけたり、迷惑をかけたりしてしまうだろう。
でも、そんな事に負けてちゃいけない。
すれ違うのが宿命なら、その宿命に負けないのは運命だ。
宿る命と、運ぶ命。
宿ってしまうのは仕方がない。でも、運び方は僕ら次第だ。
僕はまたゆっくりと車を滑り出した。
法定速度を守っていると、また睨むようにして僕を追い抜く車があった。
一瞬運転手と目が合った気がした。
僕は、微笑んでみた。
これも、また人生。
すれ違うのも、僕の人生の内。
僕は車の音楽をマックザナイフに変えた。
ビールを飲んだ時のように心が軽くなった気がした。
空には夜の暗闇が重くのしかかっている。
さっきのオレンジピールのような夕暮れはその闇に押し出されてどこかへ行ってしまった。
でも、僕はその暗闇の向こう側に控えている光を知っている。
日本シリーズの優勝が決まる直前のベンチのように、光はじっとその時を待っている。
「朝だ」と思った。
僕は、その朝が来る事を知っている。
重い暗闇からは雨が降ってきた。
僕の心を浸食しようとしている悪魔の仕業に感じた。
雨がフロントガラスをポトポトと鳴らす。
その音一つずつが僕の心を攻撃した。
でも、僕はそれを受け入れる。
はねとばしてはいけない。
受け入れるのだ。
受け入れて、抱きしめて、よしよしと頭を撫でてやる。
人生では、この勇気が大切なんだ。
はねとばすか、受け入れるか、それは人の判断にそれぞれ委ねられている。
僕はもう一度微笑んでみた。
そして、もう一度旅の思い出をかき集めてみた。
羽虫も、暗闇の道も、誰もいない交差点も、信号機も、マンホールも、
全てを思い出してみた。
そして、最後にもう一度、微笑んでみた。
とても気持ちの良い雨だった。
僕が家に着く頃、車のオーディオには、Mr.Childrenの「いつでも微笑を」が流れていた。
すれ違う事もあれば、ぴったりと出逢う事もある。
宿命はその人生のルールのようなものだ。
それは変えることが出来ない。
しかし、運命は………。
最後の言葉は、あなたが決めてほしい。