人間らしいあなたへ
幼い頃は、ワガママで、世話のやける、どうしようもないヤツで。
青年の頃は、自分を悲劇のヒロインだと思い込み、段々人を信じなくなっていき。
大人になると、自己中心的で、「忙しい」が口癖で、子供の頃の夢を忘れがち。
年を老い、「何をやっていたんだか」と人生を振り返る。
一見悲しい人生だけど、でも、僕は、そんな人に心からエールを送りたい。
「本当に、人間らしい人間だったあなたへ」と。
ベートーヴェンや夏目漱石、
そのほかにも、幼児期に虐待や親の不在による心的外傷を負った芸術家は少なくない。
それ以外でも、
幼少の頃に、その後の人生を左右するような出来事を体験している芸術家も多い。
彼らは、人生において、ずっとそのコンプレックスやトラウマと葛藤し続ける。
彼らは、誰よりも人を愛せる人間に育つ。
でも、その一方で、彼らは、誰よりも人を憎んでいる。
両極にある感情が一つの心に入り込もうとしていて、
その二つの「勢力」が、その人間を占拠しようとする。ぶつかり合う。
そんなぶつかり合いの中で、いつも振り回される。
「良い人であろうか」 「嫌なやつになってやろうか」
そう、彼らにはいつも選択しが二つあるのだ。
だけど、結局は「良い人」であるための努力をすることになる。
それは、きっと芸術という一つの美学を追求する上で、人に優しい人間にならないと、
できない事が、得れない事があるからだろうと思う。
先へ進めないのだ。
だけど、そう簡単じゃない。
人が当たり前に出来ることが出来なかったり、心では許していても、身体がついてこなかったり。
幼少の頃の心的外傷は、本当に深い傷跡を残す。
だから、何度も何度も諦めようとする。
諦めて、もう、いっそ、悪いやつに成り変ってやれば、どれだけ楽だろうか。
そう思う。
でも、それは出来ない。
なぜなら、人が喜んでくれる、自分の芸術によって幸せになってくれる時の幸福感を知っているから。
あの、幸せそうな笑顔、涙、を見れるためならば、自分の人生なんかくれてやる。
そう思えるのだ。
「全ての優れた芸術は、シンプルである」
この言葉は色々な場所、分野で言われることであるが、僕もそう思う。
でも、そのシンプルの裏側には、必ず、複雑に入り乱れた人間の感情がある。
人に見られる側面的なところはシンプルでも、中身は、愛憎がとぐろを巻いてぐちゃぐちゃになっている。
ベートーヴェンだって、夏目漱石だって、誰よりも闘い続けていたんだ。
あんなに、人を喜び称えるようなステキな作品を作れても、人を愛する事は苦手だったと思う。
だけど、そんな憎悪が自分を取り巻いているからこそ、誰よりもステキな愛情を持つ事が出来た。
自分が、人を憎んでしまうような人生を送っていたからこそ、それをバネにして人を愛する事が出来た。
初めから悪い人はいない。
でも、初めから良い人もいないのかもしれない。
人間が前進するにあたって、一番の支障をきたすのが、「罪悪感」という感情。
人を恨めば恨むほど、自分の人生を呪えば呪うほど、自分が嫌いになる。
あぁ、またこんな人間になってしまった。
罪悪感が人をダメにする。
でも、諦めないで下さい。
どんなに愚かなことをしてきた人間でも、
一瞬でも、その愚かな行為を上回る愛情を持つ事ができれば、きっと何かが変わるはずです。
ベートーヴェンや夏目漱石がそうだったように、「良い人」であることは、努力が必要なのです。
そういう努力をしないと、良い人であれない人種だっているのです。
自分を責めないで。
あなたが、もし人を憎んでいるのならば、それはあなたのせいではない。
自分を憎んでいては、誰も愛せません。
あなたの心の中に、誰よりも強い、汚い、恐ろしい、憎悪が存在しても、それはいいのです。
その憎しみが、コインの裏表のように、愛を持ち併せていれば、それでいいのです。
憎悪を持っているからって、あなたは悪い人じゃない。
芸術家のお手本のように、努力して、良い人を勝ち取って下さい。
幼い頃は、ワガママで、世話のやける、どうしようもないヤツで。
青年の頃は、自分を悲劇のヒロインだと思い込み、段々人を信じなくなっていき。
大人になると、自己中心的で、「忙しい」が口癖で、子供の頃の夢を忘れがち。
年を老い、「何をやっていたんだか」と人生を振り返る。
一見悲しい人生だけど、でも、僕は、そんな人に心からエールを送りたい。
そして、心から、愛してあげたい。
「本当に、人間らしいあなたへ」と。