清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2007.07.09

人間らしいあなたへ

幼い頃は、ワガママで、世話のやける、どうしようもないヤツで。

青年の頃は、自分を悲劇のヒロインだと思い込み、段々人を信じなくなっていき。

大人になると、自己中心的で、「忙しい」が口癖で、子供の頃の夢を忘れがち。

年を老い、「何をやっていたんだか」と人生を振り返る。

一見悲しい人生だけど、でも、僕は、そんな人に心からエールを送りたい。

「本当に、人間らしい人間だったあなたへ」と。

ベートーヴェンや夏目漱石、
そのほかにも、幼児期に虐待や親の不在による心的外傷を負った芸術家は少なくない。
それ以外でも、
幼少の頃に、その後の人生を左右するような出来事を体験している芸術家も多い。
彼らは、人生において、ずっとそのコンプレックスやトラウマと葛藤し続ける。
彼らは、誰よりも人を愛せる人間に育つ。
でも、その一方で、彼らは、誰よりも人を憎んでいる。
両極にある感情が一つの心に入り込もうとしていて、
その二つの「勢力」が、その人間を占拠しようとする。ぶつかり合う。
そんなぶつかり合いの中で、いつも振り回される。
「良い人であろうか」  「嫌なやつになってやろうか」
そう、彼らにはいつも選択しが二つあるのだ。
だけど、結局は「良い人」であるための努力をすることになる。
それは、きっと芸術という一つの美学を追求する上で、人に優しい人間にならないと、
できない事が、得れない事があるからだろうと思う。
先へ進めないのだ。

だけど、そう簡単じゃない。

人が当たり前に出来ることが出来なかったり、心では許していても、身体がついてこなかったり。
幼少の頃の心的外傷は、本当に深い傷跡を残す。
だから、何度も何度も諦めようとする。
諦めて、もう、いっそ、悪いやつに成り変ってやれば、どれだけ楽だろうか。
そう思う。
でも、それは出来ない。
なぜなら、人が喜んでくれる、自分の芸術によって幸せになってくれる時の幸福感を知っているから。
あの、幸せそうな笑顔、涙、を見れるためならば、自分の人生なんかくれてやる。
そう思えるのだ。

「全ての優れた芸術は、シンプルである」

この言葉は色々な場所、分野で言われることであるが、僕もそう思う。
でも、そのシンプルの裏側には、必ず、複雑に入り乱れた人間の感情がある。
人に見られる側面的なところはシンプルでも、中身は、愛憎がとぐろを巻いてぐちゃぐちゃになっている。
ベートーヴェンだって、夏目漱石だって、誰よりも闘い続けていたんだ。
あんなに、人を喜び称えるようなステキな作品を作れても、人を愛する事は苦手だったと思う。
だけど、そんな憎悪が自分を取り巻いているからこそ、誰よりもステキな愛情を持つ事が出来た。
自分が、人を憎んでしまうような人生を送っていたからこそ、それをバネにして人を愛する事が出来た。

初めから悪い人はいない。

でも、初めから良い人もいないのかもしれない。

人間が前進するにあたって、一番の支障をきたすのが、「罪悪感」という感情。
人を恨めば恨むほど、自分の人生を呪えば呪うほど、自分が嫌いになる。
あぁ、またこんな人間になってしまった。
罪悪感が人をダメにする。
でも、諦めないで下さい。
どんなに愚かなことをしてきた人間でも、
一瞬でも、その愚かな行為を上回る愛情を持つ事ができれば、きっと何かが変わるはずです。
ベートーヴェンや夏目漱石がそうだったように、「良い人」であることは、努力が必要なのです。
そういう努力をしないと、良い人であれない人種だっているのです。

自分を責めないで。

あなたが、もし人を憎んでいるのならば、それはあなたのせいではない。
自分を憎んでいては、誰も愛せません。
あなたの心の中に、誰よりも強い、汚い、恐ろしい、憎悪が存在しても、それはいいのです。
その憎しみが、コインの裏表のように、愛を持ち併せていれば、それでいいのです。
憎悪を持っているからって、あなたは悪い人じゃない。
芸術家のお手本のように、努力して、良い人を勝ち取って下さい。

幼い頃は、ワガママで、世話のやける、どうしようもないヤツで。

青年の頃は、自分を悲劇のヒロインだと思い込み、段々人を信じなくなっていき。

大人になると、自己中心的で、「忙しい」が口癖で、子供の頃の夢を忘れがち。

年を老い、「何をやっていたんだか」と人生を振り返る。

一見悲しい人生だけど、でも、僕は、そんな人に心からエールを送りたい。

そして、心から、愛してあげたい。

「本当に、人間らしいあなたへ」と。

2007.07.07

DIARY

この1、2週間くらい、本当に色々なことがありました。

尊敬するドクターのご結婚33周年のパーティから、山岡先生のリサイタルでの代演、
藤沢でのコンサートには「たけしの誰でもピカソ」の取材が来てくれました。
今日は文京区の東京ドームの近くにあるホールでのコンサート、明日は岐阜に入ります。
日程的に忙しいのはいつもの事だけれど、今まで以上に、この1,2週間は中身が詰まっていました。

今日はいつになく、割りと早くに帰ることが出来ました。

20時21時台に家でゆっくり出来るのって、いつ以来だか分かりません。
だからか、何だか久しぶりにぼーっとしました。
テレビなんかつけてみちゃって、もう、何万年も観ていなかった気がしました。笑
今は僕の大好きな映画「シックスセンス」をやっています。
怖いけど、いつも観終わった後に、人生で何が大切かを教えてもらえる気がします。
もう、ちょっと古いけど、観てない方は是非観て下さいね。(でも怖いですよ)

昔、ポーランドの田舎町を訪れた時に観れた、幾多もの星たちのように、
数え切れないほどのステキな出逢いや出来事がたくさんあったけれど、
その中の本の一握りをピックアップしようと思います。


脊山麻理子さん。
尊敬するドクターの結婚記念パーティでご一緒しました。
とてもステキなパーティで、芦田淳先生もご出席なさっておりました。
この世を離れたかの錯覚を思わせるほどの絶景。
海、風、潮、そして、白いピアノ。
そんなおうちでのパーティでした。
33年という、僕の歳を10年以上上回るご結婚生活の記念日に、僕がピアノを弾けた事、
そして、何よりも、尊敬するドクターの大切な節目に僕が居れたことを、光栄に思います。
そこで出会った彼女は、日本テレビの人気アナウンサー。
しかし、僕が会った彼女はアナウンサーではなく、芸術家でした。
写真がとてもお上手で、たくさんの作品を手がけています。
HPで観る事も出来ます。http://ammo.jp/writer/seyama.html
とてもステキなフォトエッセイ。
心が和みます。
言葉は要らないでしょう。
音楽が、溢れてきます。
ステキな事を感じると、音が、僕の心を満たしてくれます。


アラベスクさん。
今日のコンサートでお会いしました。
とても魅力的な方でした。
僕の弾くベートーヴェンの「悲愴」を、美術作品にしてきてくれました。
本当にステキな作品。
キラキラしていて、透明で、鮮やかで、でも、どこか懐かしくて、暖かい。
僕はよく「子供の頃に帰りたい」と思う事があります。
ちょっと切ない気持ちになるけど、子供の頃を思い出すと、僕は心が落ち着きます。
そんな時の気持ちを、アラベスクさんから頂いた作品を観た時、感じる事ができました。
・・・また、音が溢れてきます。
そう、僕は言葉より先に音が出てくる。
音が無かったら、僕の素直な意見は発言できない。
アラベスクさん、とても感動しましたよ。
体の中の汚れた成分が流れ出すように、涙が溢れました。
いつかきっと、音楽でお返しいたします。


・・・だめだ。
僕にとって言葉は不自由すぎます。
あまりに表現ができていないし、無駄が多すぎてきりがない。

とにかく、
僕はコンサートですれ違う、人生の交差点ですれ違う、お1人お1人に、心から感謝しています。

シックスセンス、最後がどうなるか、ここでは言えませんが、是非観てみてくださいね。

僕が思うに、人生で大切なのは、感謝も含めて、どれだけ人を愛せたかです。

ケンちゃんが最近盛んに言っているように、
「許す」という行為も、この「愛する」という行為に含まれているかもしれません。

ひとつ確実に言える事は、

「許し許され、愛し愛されながら生きること、この素晴らしさ、この幸福を知った後には、
                               本当に奇跡のような優しい世界が待っています。」

今日も僕は幸せです。
明日も、僕はこの幸せを誰か1人でも多くの方にお分けしなくてはなりません。
本当に、皆さん、ありがとう。
この星は、本当に美しい。

2007.07.05

夢が叶うとき

      「こんなステージで熱情が弾けたらな」

みなとみらい大ホールにコンサートを聴きにきて、高校1年生の僕はそう呟いた。
大体、東京しか殆ど見たことがなかった僕には、みなとみらいに聳え立つランドマークタワーも、
近未来的な都会の光を発している大観覧車も、そして、人工的な海も、すごく新鮮に感じた。
東横線の桜木町駅を降りてから、ステキ過ぎる港町を前に、僕はただ感動した。
駅を降りてからホールに着くまで、その全てが僕の中でパーフェクトだったのだ。
そんな事もあってか、未だに、このホールには思いいれが強い。
僕の音楽家人生の一つの目標でもあった。

そして昨日、尊敬する芸術家の山岡優子先生と、このホールで連弾が出来るチャンスがあった。

山岡先生のリサイタルで、先生が、プログラムの後半に僕との連弾をいれてくれたのである。
昨日は、家を出るとき、特別な空気が流れている気がした。
いつもは、これから始まるコンサートの事や、曲の事をなんとなく考えているのに、昨日は違った。
高校1年の時から、このホールに憧れて今日ここまで来た自分の人生の軌跡を振り返っていた。
そして、車に乗り込んで、エンジンをかけ、忘れ物のチェックを行い、ゆっくりとアクセルを踏み出す時、

なぜか、少し切ない気持ちになった。

なんだろう、なんというか、「寂しい」に似てる気持ちかもしれない。
後ろの方の席から、遠い遠いステージ上にいる孤独なピアニストを観て、
「絶対僕もあそこに座ってピアノを弾いてやるんだ」と決心したあの頃から、
今まで、本当に色々なことがあった・・・。
大切な人を亡くしたり、大切なものを失くしたり、なんでピアノを弾いてなきゃいけないのか、
何度も疑問に思ったりもした。
もう、諦めようか、とも思った事もあった。
でも、そんな事が、ほんの数秒程度の出来事のように思えた。
約10年くらいだろうか、あの純粋な憧れを持ってから、長い道のりを歩いてきたはずなのに、
それらは、人生の、ほんの1ページでしかなかった。
いや、1ページというのは、これ程重いものなのかもしれない。

ゆっくりと動き出した車に乗りながら、僕は少し笑った。それは、苦笑いに近かった。
「僕も偉くなったものだよな、今じゃ車でホール入りか」
僕はまだまだ自分を未熟だと思っている。
それどころか、あの、高校1年生の時のハングリーな気持ちは、何一つ変わっていない。
だから、自分が愛車を運転して、憧れのホールの会場入りをしようとしている事が、不思議だった。
それは、すごく不思議な感覚だった。

ホールに着いてみると、大変な事が起こっていた。

その日リサイタルを予定している、当の本人、山岡先生が、
「弾きたくない」とおっしゃっているのだ。
僕はさすがに驚いた。
そして、しばらくしてから、山岡先生が僕の楽屋へ入ってきたこう言った、

「あなた、私の代わりに、熱情だけでも弾いてよ」

それを言った先生の顔は、なぜか笑顔だった。
調子が悪いと言っていたときの顔は、そこには見られなかった。
「これからは、あの子の時代だ」
そう言ってウタにリサイタルを譲った、映画「神童」のあのワンシーンを実体験しているようだった。

しかし、こんな形で、長年の夢が叶うことになろうとは、思いもしなかった。
あの頃は、神童やのだめ、ヨン様のコンサートを経て、CDを出してコンサートなんて、思いもしなかった。
こんな人生だなんて、思いもしなかった。
もちろん、良い事よりも、辛い事や苦しい事の方が圧倒的に多かった道のりだけれど、
夢が叶ったとき、そのとき、心の中で思うのは、

    「あぁ、良い人生だったな」

ということだけだった。
これを読んでいる、今苦しい思いをしている方。
今の苦しみなんて、歩き続けた先に待っている、奇跡のような世界を見たときには、
全て美化される事を知ってください。
僕は、それを昨日実体験しました。


本番の時、緊張はしなかった。
ただ、気合は入った。
神童でのワオのことや、ベートーヴェンの苦しみを跳ね除けて掴んだ人生の幸せ、
そんな事を、自分の今までの人生と移し変えてみて、気合が入った。
でも、欲が消えた。
「こうしてやろう」「ここを盛り上げてやろう」「ここをかっこよくしてやろう」
などの、全ての「欲」が消え去った。
自分の表現なんて、馬鹿馬鹿しく思えたのだ。
自分の欲を提示することが、酷く貧しく感じた。

そんな欲を拭い去った後に僕の中に残ったものは、
それは、「感謝」だけだった。
家族、親友、先生、スタッフ、事務所の方々、そして、僕を支えてくれている方々。
皆への感謝が止まらなかった。
「ありがとう・・・」
そう呟くと、涙がこぼれそうだった。
目を瞑れば、いつでも思い出せる。
後ろの席から、遠いステージを見ていた頃の僕。
「あのステージで弾くためなら、どんな努力でもするんだ」そう決意していた僕。
色々失くしたものもあったけど、今、僕はその憧れのステージに立とうとしている。
そして僕は、そのステージで、愛と感謝を引き連れていられる。

幸せだった。

こんな気持ちを、少しでも多くの人に分けてあげたい、そう思った。
だから、僕はこれからもピアノを死ぬまで弾き続けるだろう。
人生の先に、幸せが待っていないと思いこんでしまっている人に、
この嵐は、もう絶対に晴れないと信じきってしまっている人に、
少しでも前へ進む力を添えてあげられるよう、努力し続けようと決心した。
また一つ、強くなれたのではないだろうか。
全ては、僕を支えてくれている、皆様のおかげです。
本当に、ありがとう。
本当に、ありがとうございます。


楽屋で、イタズラな笑顔と供に「ねえ、熱情でも弾いてよ~」とおっしゃった山岡先生。
本当に調子が悪かったから言ったのか、僕にチャンスをお与え下さったのか、
未だにそれは謎に包まれているままですが、先生との出逢いと、先生のリサイタルで僕が弾けた事、
本当に光栄に思います。
そして、心から、幸せに思います。
この場を借りて、お礼を。
ありがとうございました。


僕の夢は、まだまだ続く。
ファウストがメフィストフェレスに対して、
    「時間よ止まれ」
と言ってしまった気持ちが、少し解ったけれど、僕はまだまだ言いませんよ。
まだまだ満足していません。
皆が僕の音楽で幸せになってくれるまで、僕の歩みは止まらない。

夢は信じている限り、叶う可能性があるということ、それを忘れないで欲しい。

どうか、諦めないで、信じて欲しい。


「障壁は自分で造っているものだ。その障壁を勇気を出して乗り越えた先には、
                                     奇跡のような世界が待っている。」

                   ~映画ハーモニーベイの夜明けより~

2007.07.02

対談

今日はケンちゃんと対談してきました。
京橋のとある料亭にて。
今日もたくさん話した~。
約半年の月日を経て、改めて「対談」という形でケンちゃんと話せて、色々と変わった事に気付いた。
ケンちゃんも、僕も、確実に、日々変化しているんだなぁーと感じました。
今日の対談で、
「幸せになってみろ!」とケンちゃんに挑戦状を叩きつけられた事が、未だに遺憾です。(笑
まぁとにかく、内容はお楽しみにしておいてください。
また、結構真剣に話してますよ~~。

ピクトアップにて登載されます。

2007.07.01

メッセージ

藤沢を初め、日本各地色々なところで出会えた方々。
僕の大切なお客様。
ヨン様風に言えば、家族なのですね。

いつも、とても優しい愛で僕を包んでくれて、ありがとうございます。

まだまだ未熟な僕ですが、これからも益々精進していきたいと思いますので、
どうぞ、一緒にたくさんの感動を創り上げていってください。

また、ブログやコンサートの感想を言って頂いている皆様、本当に勇気を貰っています。
ありがとうございます。
批判も、激励も、全て力として前に進んで行きたいと思いますので、
これからも、たくさんのご意見を言い合っていきましょう。^^

僕は、本当に幸せ者です。

人生の交差点、その真中に立っているとき、僕は、本当に幸せです。

心の底から、ありがとうを皆様へ。

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