清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2007.12.03

おーちゃん3

幼い頃からの夢であった「プロオーケストラとの共演」。
それを果たした僕は、怖い者知らずの高校生となった。
全てが順調にいっていたのだが、ただ一つ気がかりなのはおーちゃんが帰ってこない事。
母に訊いても「もうすぐ帰ってくるから…」と言われるばかり。
その表情があまりに暗いので、僕は追求が出来なかった。
いや、今考えると、追求するのが怖かったのかもしれない…。

僕はおーちゃんを心配しながらも、真実を追求できない音楽高校生活を送っていた。
春が過ぎ、夏が過ぎ、そして秋になった。
そんなある日、一本の電話がかかってきた。
段々と冬の兆しが感じられるようになった日だった。
母からだ。
「今日ね、おーちゃんが帰ってくるから、早く帰ってきてね。
 家に誰もいれないから、一緒にいてあげて。」
僕は飛び上がって喜んだ。
全てがどうでもよくなるような舞い上がった気持ちだった。
やっと帰ってくる!僕の親友が!!
そして僕は高鳴る胸の鼓動を感じながら走って帰った。
あんなにドキドキした事はあまりないかもしれない。

家に着くと、本当に誰もいなかった。
真っ暗な部屋。
しかし、奥の部屋だけ扉の向こうから光がもれている。
「あの部屋にいるんだ」
僕は確信した。
そして一歩一歩その部屋へと近づいた。
おそるおそる扉を開けてみるとそこには…

つづく

2007.11.29

おーちゃん2

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【この橋ど〜こだ?】

中学3年生の2月11日、僕は一つの夢を叶えた。
それはプロオーケストラと共演する事。
でも、僕にはその3日前から気がかりな事があった。
大好きなおーちゃんが行方不明になってしまったのだ。
散歩中、何かの大きな音に驚いて走っていってしまった。
突発的に走っていったおーちゃんは、
きっと自分でもどこに来てしまったのか分からなくなったのだろう。
3日も帰ってこなかった。
散歩中リーダーを外しても逃げたりしないのに、とても珍しい事だった。
それだけに、僕もすごく心配だった。

2月11日の本番直前、オーケストラとのリハーサル中、母から吉報が入った。
「おーちゃんが見つかったよ」
僕は飛び上がって嬉しがった。
これで何の心配なしに今日の本番が楽しめると思った。
車にぶつかって重傷を負ったけれど、病院で入院して手術をすれば助かるらしい。
しばらくは入院だけど、すぐ帰ってくるから心配しないで、と言われた。
本当に良かった…。
本当に…。

勢いのあるティンパニが4拍分あった後、
落雷の衝撃のように力強くピアノの自由な独奏からこの曲は始まる。
哀愁めいたメロディと、北欧独特のハーモニー。
チェロの響きでさえヒンヤリと冷たく感じるのは流石に大自然ノルウェー生まれの作曲家。
感動的な2楽章と民族舞踏のような3楽章が終わりに近づくと、
僕の「夢」は成功という二文字に向かって突き進んだ。
最期はオーケストラと一体になる。
全てが一つになり、音が重なり合い、音楽は洪水のようにあふれ出てくる。
ここまで来れば、もう心配ない。
後は流れに身を任せ、この音楽の海原に気持ちよく浮いていればいい。
おーちゃんが生きていてくれて本当に良かった。
3日も帰ってこないんだから、本当に死んでしまったかと思った。
でも、また会えるんだ。
また、今日の日のこの感動をおーちゃんに伝えられる。
そう思うと自然に涙がこぼれてきた。

…本当に、良かった。

初めてのオーケストラ共演は、大成功の内に終わった。
僕の人生の中でもあれほど気持ちよく弾けた経験はそうはない。
未だに感触が昨日のように残っているくらいだ。
イギリスの事務所からオファーも来た。
楽屋には行列が出来た。
「僕は、ピアニストになれたのかな」
そう思えた瞬間だった。
初めてそう思えた。

それから、僕の調子が上がった。
数々のコンサートを成功させ、コンクールも獲り、順調に進んでいった。
怖いものなしの中学3年生だった。
桐朋学園の高校入試があったが、何とも思わなかった。
何の不安もなかった。

そして僕は高校生になった。
やっと音楽だけを考えていられる環境が整った。
全ては上手くいっていたはずだった。
ただ一つの事を除いては。
おーちゃんがまだ入院していた。
半年もたったのに、まだ帰ってこなかった。
僕は毎日のように母に尋ねた。
「おーちゃんはどこにいるの?」
しかし、母の返事は決まっていた。
「もうすぐ帰るよ。」
それを言う時の母の表情はいつも暗かったのを今でも鮮明に覚えている…

つづく

2007.11.28

おーちゃん

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【秋の景色です】


あれは僕が中学3年生の頃だった…。

中学2年生の頃から僕には大好きな愛犬がいて、名前はおーちゃんと言った。
小学生の頃からろくに学校生活を送っていなかった僕には、唯一の親友でもあった。
ピアノという孤独な世界に生きていた事もあってか、僕にはとても心強い親友だった。
何でも聞いてくれる、いつでも一緒にいてくれる、信頼し合ったいい関係だったと思う。
コンクールやレッスンなど、緊張を要するような時はいつでも話し相手になってくれた。

小学5年生の頃から、僕の人生でコンクールを受けない年はなかった。
中学に上がると段々とコンクールのレベルも上がってきて、音楽を楽しめなくなってきた。
周りは僕の音楽に「感動」ではなく「勝利」を要求してくる。
僕は音楽を愛していたから、その現実はあまりに残酷だった。
だから、おーちゃんの存在は大きかった。
まだ現実と社会を受け入れられない僕には、親友は必要不可欠な存在だったのだ。

やがて、僕は幾多もの争いから「勝利」を生み、段々と現実的な社会に染まっていった。
でも、いつでも勝利の後にはおーちゃんに話しかけていた。
それが自分を保つための儀式だったのかもしれない。
でも、気がつくと、僕はプロのオーケストラと共演出来るようにまでになっていた。
それが中学3年生の時である。
「やっと一つの夢がかなった」
オーケストラとの共演をいつものようにおーちゃんに報告した。
おーちゃんは相変わらず、キラキラした瞳で僕の話を聞いてくれた。
「僕、絶対頑張って今回の公演成功させるからな」
自分への決意とも言える事を言ったりしてみる。
おーちゃんのそぶりが本当に言葉を理解しているようで、愛らしかった。

そんな支えのある中、僕は忘れもしない、あの中学3年生の時の2月11日のオーケストラ
との共演を果たす事となった。
グリーグのピアノ協奏曲。
情熱的な曲で、ノルウェー生まれのグリーグの独特なハーモニーと、北欧を感じさせる哀的
なメロディが特徴的だ。
やっとオクターブが届くようになってから1年の僕には少し大変なところもあったけれど、
頑張って弾き込んだ。
そして、遂に人生初めてのオーケストラとの共演の日が来たのだった。
建国記念日。
2月11日。
その頃おーちゃんの身には…

つづく

2007.11.24

DIARY

昨日は千葉の伊藤楽器さんに行ってきました。
新店舗オープン記念コンサートで、1週間くらい前にオープンしたほやほやの場所でした。
お客様も沢山来て頂いて、とても楽しい時間が過ごせましたね。^^
「今日はブログ更新されないのですか?」
楽しみにしています、と仰ってくれた方もいらして、とても嬉しかったですよ!
前にぴくとあっぷでケンイチとも話しましたが、
人の信頼とは、「失えるもの」の一つです。
この世で一番美しいものでもあり、一番不安定なものでもあります。
だから、人との出逢いを大切にするからこそ、僕は出逢いが怖くもあります。

「また一つ失うものが増えてしまった…」

まったく、贅沢な悩みですが、でも、一度得た友情や愛を失うという事は、
本当に辛い事ですよね。
でも、僕は勇気を出してこれからも大切な皆様とともに音楽の力をもって幸せを広めてゆき
たいと思っております。

寒くなると、寒かった時の深い思い出が蘇ります。

そう、あれは高校生の時…
なんて、今日も感傷的な僕なのでした。

2007.11.17

近況報告

25歳の初めてのお仕事は国際フォーラムでのワーナーコンベンションでした。
ワーナーの誇るミュージシャン達も集まって、
コブクロさんや絢香さん、新垣結衣さんからウルフルズさんまで、
流石ワーナー、幅広い層のミュージシャンでいっぱいでした。
外国からも沢山呼んでいて、そんな中1人クラシック代表として弾いてきました。

なんたる光栄!

この時のために頑張っていたんだ。
舞台に上がる直前にそういう思いが立ちこめてきて、涙が出そうになりました。
ワーナーのチームともすごく上手くいっています。
我がレイヴンジャムファクトリーとの相性もバッチシ!
この調子でCDも沢山の方々に聴いてもらえるといいなぁ。^^

近況報告でした!

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