【この橋ど〜こだ?】
中学3年生の2月11日、僕は一つの夢を叶えた。
それはプロオーケストラと共演する事。
でも、僕にはその3日前から気がかりな事があった。
大好きなおーちゃんが行方不明になってしまったのだ。
散歩中、何かの大きな音に驚いて走っていってしまった。
突発的に走っていったおーちゃんは、
きっと自分でもどこに来てしまったのか分からなくなったのだろう。
3日も帰ってこなかった。
散歩中リーダーを外しても逃げたりしないのに、とても珍しい事だった。
それだけに、僕もすごく心配だった。
2月11日の本番直前、オーケストラとのリハーサル中、母から吉報が入った。
「おーちゃんが見つかったよ」
僕は飛び上がって嬉しがった。
これで何の心配なしに今日の本番が楽しめると思った。
車にぶつかって重傷を負ったけれど、病院で入院して手術をすれば助かるらしい。
しばらくは入院だけど、すぐ帰ってくるから心配しないで、と言われた。
本当に良かった…。
本当に…。
勢いのあるティンパニが4拍分あった後、
落雷の衝撃のように力強くピアノの自由な独奏からこの曲は始まる。
哀愁めいたメロディと、北欧独特のハーモニー。
チェロの響きでさえヒンヤリと冷たく感じるのは流石に大自然ノルウェー生まれの作曲家。
感動的な2楽章と民族舞踏のような3楽章が終わりに近づくと、
僕の「夢」は成功という二文字に向かって突き進んだ。
最期はオーケストラと一体になる。
全てが一つになり、音が重なり合い、音楽は洪水のようにあふれ出てくる。
ここまで来れば、もう心配ない。
後は流れに身を任せ、この音楽の海原に気持ちよく浮いていればいい。
おーちゃんが生きていてくれて本当に良かった。
3日も帰ってこないんだから、本当に死んでしまったかと思った。
でも、また会えるんだ。
また、今日の日のこの感動をおーちゃんに伝えられる。
そう思うと自然に涙がこぼれてきた。
…本当に、良かった。
初めてのオーケストラ共演は、大成功の内に終わった。
僕の人生の中でもあれほど気持ちよく弾けた経験はそうはない。
未だに感触が昨日のように残っているくらいだ。
イギリスの事務所からオファーも来た。
楽屋には行列が出来た。
「僕は、ピアニストになれたのかな」
そう思えた瞬間だった。
初めてそう思えた。
それから、僕の調子が上がった。
数々のコンサートを成功させ、コンクールも獲り、順調に進んでいった。
怖いものなしの中学3年生だった。
桐朋学園の高校入試があったが、何とも思わなかった。
何の不安もなかった。
そして僕は高校生になった。
やっと音楽だけを考えていられる環境が整った。
全ては上手くいっていたはずだった。
ただ一つの事を除いては。
おーちゃんがまだ入院していた。
半年もたったのに、まだ帰ってこなかった。
僕は毎日のように母に尋ねた。
「おーちゃんはどこにいるの?」
しかし、母の返事は決まっていた。
「もうすぐ帰るよ。」
それを言う時の母の表情はいつも暗かったのを今でも鮮明に覚えている…
つづく