突然ですが、皆様は「心の投影」という言葉をご存知でしょうか。
これは心理学の言葉で、意味は「自分の不都合な事柄を、他に転嫁してしまう」というものです。
特に、物事に一生懸命になれる人、責任を強く感じられる人に多く現れる現象ですが、
誰でも一度はこういった経験があるのではないのでしょうか。
僕もたくさん経験いたしました。笑
練習しなきゃいけないのに、したくない、やる気が出ない。
でも、サボってる事はかなりの罪悪感・・・。
だから、練習しない事を「美化」できるように言い訳を探す・・・。
「今は、え~っと、午後4時だ。4という数字は縁起が悪いから、5時から始めよう!」
ここまでいくとただの言い訳ですが、でも、こんな事みんなもよくするでしょ^^;
すぐ目の前にピアノがあって、練習できる環境にあるのに、何らかの言い訳を作って、
あたかも自分が今「弾けない状況に置かれているか」のように装う。
そう、心の投影とは、「自分への偽装工作」だ。
自分を騙して、罪悪感を削ろうとしている。
でもね、人間って、本来は「なまけもの」なんです。
動物全体みたって、こんなに「生きる」こと以外に一生懸命な種類ってそうはない。
だから、必要以上にストイックに生きるのは、本来の動物からはちょっと不自然。
だからこそ、そこに美学が生まれるのですが、でも、動物的本能に逆らっているのは事実。
僕は、どうしても言い訳付けて練習や仕事を嫌がる自分に、「頑張れ云々」ではなく、
「好きなだけ言い訳をつけてみなさい」って言い聞かせます。
それで、言い訳を言いまくる。笑
我ながら、サボるための言い訳が、これほどスラスラ出てくる事に、才能を感じます。^^
でも、笑っちゃうくらいいい加減でバカらしい言い訳を言いまくると、結構スッキリする。
それで、全部言ったってくらい頭使って言い訳しまくった後に、
「じゃあ、もうピアノやめる?」
「それとも、自分のピアノを今か今かと待っている方のために、一音でもいいから出してみる?」
と、自問してみます。
すると、答えはシンプル。
もちろん、「やってみる」と言います。
やめるかやるかって言われると、妙にやりたくなるんですよね。
なんだかんだ言って、色々言い訳してサボろうとするけれど、
「じゃ、やめる?」
って言われるとドキっとする。笑
だから、一音だけでもと思って鍵盤を動かしてみれば、後は大丈夫。
自然と、体から音楽が溢れてきます。
そう、初めの一歩。
それが大事なんだ。
本気になるのが怖い。本気になって失敗したら、自分が生きている意味が薄れてしまうかもしれない。
競争するのがいやだ。自分は表現していたいけど、周りと競争になるのが嫌だから、動けない。
自信がない。昨日までずっと「やれてなかった」自分が、今日になって出来るようになる自信がない。
様々な障壁が僕たちを邪魔します。
でも、それらは、本当に障壁ですか?
あなたの前に、本当に壁は立っていますか?
僕の前には、まったく壁は無かった。
ただ、霧が濃くて、前が見にくかっただけで、障壁だと思っていたものは、ただの見間違えでした。
心の投影は、あなたの「不安」や「憶測」、「罪悪感」などによって、丸々と太ってゆきます。
逆を言えば、自分自身が、この悪魔を育てていくのです。
一度ハマってしまったら中々脱け出せないこの幻覚。
ハマってしまったら、一度大きく深呼吸をして、自分の孤独な心を抱きしめてあげましょう。
そして、優しく言うのです。
「君は独りじゃない」と。
それで、言い訳を全て吐き出してみる。
最後に、落ち着いた上で、「やめるのか、一歩でも歩いてみるのか」と問う。
僕は、この方法でいつも切り抜けてきました。
頭がスッキリすると、何が大切なのかがハッキリします。
本当に価値のあるもの、それは、自分以外からの「愛」です。
自分ですらこれ程自分を欺こうとしているのに、他人が少しでも自分を思いやってくれたら、
それは、とても重大な事です。
だから、僕は、相手が別に僕に好意がなくても、何か得ることが出来た時、
必ず「ありがとう」と言う事にしています。
まぁ、時々、「え?何が有難うなの?」ってポカンとされる事もありますが。^^;
地球のどこかで誰かが、「自分が嫌いになりそう」な時、
僕の音楽が支えになってくれれば、それ以上の僕の幸せはありません。
最後に、めちゃくちゃ壮大な、おこがましい話をしてしまいました。
今日も皆様に愛と美が訪れていることを願っています。