清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2007.08.18

ペルソナ

ラテン語で「仮面」という意味。
英語のパーソン(人間)の語源でもある。

人は皆、社会的な「仮面」を持っており、
今自分の属しているところによって、その仮面を使い分けているという。
心理学用語でもある言葉だ。

でも、このマスクを使いすぎると、自分を見失ってしまう。
本当の自分はどの顔だったか、自分でも判らなくなってしまう。
誰にでも、社会的地位がある。
人によって顔を使い分けているのが人間だ。
それが、意識的であっても、無意識であっても、人は今日も顔を使い分ける。
人間界ではこれを、マナーとかエチケットとか言ったりもする。
でも、いつしか本当の自分を忘れてしまったとき、人は「孤独」に怖じ気づく。
そして、決定的な危機感を持つ。

いよいよ、僕は本当の孤独になってしまうのか…。

そんな時に、人の暖かさに気づく。
やっと、いつも当たり前になっていた事に感謝をする。
確かに、暗闇がなければ光は生きないけれど、失ってからでは遅い事だってある。
だからこそ、本当の自分で、掛け値なしの気持ちを持って、人と接しなくてはいけない。
仮面だって必要だけれど、自分で自分を見失わないように、時にはスッピンで出歩こう。

今、本当にあなたのペルソナは必要なのですか?
あなたの愛する人は、あなたの仮面を必要としているのですか?
僕は知っている。
僕が仮面を付けるとき、その仮面の下の素顔は、いつも恐怖で満ちている。
本当の自分を見せる恐怖に満ちている。
でも、それに立ち向かう勇気が、本当の幸せを手に入れるためには必要だ。

心が開くとき、きっとどこかでペルソナの壊れる音がする。
たまには、スッピンで歩こうよ。

2007.08.16

感謝

僕は、たくさんの方々から愛されています。
コンサートでも、色々な方から応援のメッセージを頂けるし、
テレビや雑誌観ました!と声をかけてくれる方も増えてきました。
大体、コンサートにお越し頂ける事自体、本当に感謝しなければいけない事です。
心から、本当に、皆様に、感謝しています。

でも、世の中に、時々ですが、「感謝」を忘れる人がいます。

人は幼い頃、本当に小さな事にでも、感謝をしているものです。
自分で買えない百円のお菓子を、誰かが買ってくれたときに心から感謝する事が出来ます。
聞いてくれる人がたったの一人でも、全力でコンサートができます。
どんな小さな事からも、感謝を見つけ出す事が出来るのです。
僕は、そんな幼い頃の「感謝の気持ち」を絶対に忘れたくない。
でも、世の中に、始めは今の僕のように「絶対忘れたくない」と言っていたけれど、
結局忘れ去ってしまった人がいる。
人の事はさておき、
僕は、自分が知らないうちにそのウイルスに侵されているのではないかと心配になります。
特に、一生懸命仕事をしまくった後、「何か大切なものを後ろに忘れてきてないか」
と心配になります。

絶対に、絶対にって心に決めている事でも、いつしか忘れてしまっている事って、
本当にあるんですね。
初心にかえれる事、それが、良い芸術家であるための鍵の一つなのかもしれないな。

話は変わりますが、
最近思うのですが、僕は何かと「究極の美は?」「究極の愛は?」と求めています。
何だか、トレジャーハンターみたいじゃないですか?笑
え?トレジャーハンター知らないって?
あの、ニコラスケイジさんの映画です。
是非観てみてください。ああいうの、大好きなんです!
子供の頃から、マリオ大好きだったし、「冒険」と名のつくものは全て大好きでした。
トレジャーハンターも、そんな冒険のおはなし。
お宝を探すプロです。
僕も、究極の美と愛を探すために、色々な冒険をします。
あぁ、一度でいいから、トレジャーハンターみたいに、遺跡とか洞窟とかを旅してみたい。
巻物一つ探すのに、すごいおっきな図書館とかで、資料を盗み見たい。笑

世の中は冒険ですね!
僕は毎日ゾクゾクしながら生きています!
もちろん、感謝を忘れずにね。

今日もロマンティックだなぁ

毎日毎日暑いですね。
僕は暑い夏も、寒い冬も大好きですが、皆さんはどうでしょう?
暑い時は寒い冬に憧れて、寒い冬には暑い夏を思い出す。
芸術家として、四季がハッキリと分かれている日本に生まれたことは、
本当に幸せなことだと思います。
幼い頃、ショパンの恋いこがれた気持ちを表現することが出来なかったとき、
ある先生にこんな事を言われました。
「ショパンの心境の変化が理解できないなら、日本の四季の変化を思い出しなさい。
夏が段々と色あせていくように秋になって、紅葉と涼しさを感じだすとき、
どこか切ない思いになるでしょう?それが恋なのよ」


「•••ふ〜ん、そんなもんか」

くらいにその頃は思っていたけど、今となってはよく理解できます。
あぁ、本当に、世界はロマンティックだなぁ〜^^

2007.08.12

何か

今から何百年も前にも、今の僕らと同じように、

人を憎み
人を愛し
夢が破れて
夢が叶って
精一杯生きて
精一杯死んで

・・・今と同じように「生命」があった事に、僕は限りなくロマンを感じます。
音楽だって、本当に大切な事は楽譜には書いていない。
だからこそ、僕ら音楽家が「自ら」をもって表現し続ける。

ただ自分を表現する、ただ誰かを感動させる、それだけではなくて、
何百年も前から伝わってきた、僕ら人類の大切な「何か」を、伝えるべく、今日も僕はピアノを弾きます。

先日ある方に言われたこと。
「ただ、ベートーヴェンが凄かったという事だけではなくて、
信(僕の愛称)だからこそ聴きたい、という所まで突き詰めなくては意味がないと思うよ」
うん、その通りだ。
ただ、昔の偉大な作曲家たちの力にかまけているのではなくて、
僕自身も、それを越える「何か」を創らなくては。

いつもこの時期になると、広島や長崎、その他、戦争の犠牲になった方々を偲びます。
僕は体験していないけれど、僕らからすれば、「昔」のことだけど、
忘れてはいけない。
背けてはいけない。
だから、そいういう「忘れてはいけない大切な何か」も、大切にしてゆきたいと思います。

2007.08.06

心の投影

突然ですが、皆様は「心の投影」という言葉をご存知でしょうか。
これは心理学の言葉で、意味は「自分の不都合な事柄を、他に転嫁してしまう」というものです。
特に、物事に一生懸命になれる人、責任を強く感じられる人に多く現れる現象ですが、
誰でも一度はこういった経験があるのではないのでしょうか。
僕もたくさん経験いたしました。笑

練習しなきゃいけないのに、したくない、やる気が出ない。
でも、サボってる事はかなりの罪悪感・・・。
だから、練習しない事を「美化」できるように言い訳を探す・・・。

「今は、え~っと、午後4時だ。4という数字は縁起が悪いから、5時から始めよう!」

ここまでいくとただの言い訳ですが、でも、こんな事みんなもよくするでしょ^^;
すぐ目の前にピアノがあって、練習できる環境にあるのに、何らかの言い訳を作って、
あたかも自分が今「弾けない状況に置かれているか」のように装う。
そう、心の投影とは、「自分への偽装工作」だ。
自分を騙して、罪悪感を削ろうとしている。

でもね、人間って、本来は「なまけもの」なんです。
動物全体みたって、こんなに「生きる」こと以外に一生懸命な種類ってそうはない。
だから、必要以上にストイックに生きるのは、本来の動物からはちょっと不自然。
だからこそ、そこに美学が生まれるのですが、でも、動物的本能に逆らっているのは事実。

僕は、どうしても言い訳付けて練習や仕事を嫌がる自分に、「頑張れ云々」ではなく、
「好きなだけ言い訳をつけてみなさい」って言い聞かせます。
それで、言い訳を言いまくる。笑
我ながら、サボるための言い訳が、これほどスラスラ出てくる事に、才能を感じます。^^
でも、笑っちゃうくらいいい加減でバカらしい言い訳を言いまくると、結構スッキリする。
それで、全部言ったってくらい頭使って言い訳しまくった後に、

 「じゃあ、もうピアノやめる?」
 「それとも、自分のピアノを今か今かと待っている方のために、一音でもいいから出してみる?」

と、自問してみます。
すると、答えはシンプル。
もちろん、「やってみる」と言います。
やめるかやるかって言われると、妙にやりたくなるんですよね。
なんだかんだ言って、色々言い訳してサボろうとするけれど、
      
      「じゃ、やめる?」

って言われるとドキっとする。笑
だから、一音だけでもと思って鍵盤を動かしてみれば、後は大丈夫。
自然と、体から音楽が溢れてきます。
そう、初めの一歩。
それが大事なんだ。

本気になるのが怖い。本気になって失敗したら、自分が生きている意味が薄れてしまうかもしれない。

競争するのがいやだ。自分は表現していたいけど、周りと競争になるのが嫌だから、動けない。

自信がない。昨日までずっと「やれてなかった」自分が、今日になって出来るようになる自信がない。

様々な障壁が僕たちを邪魔します。
でも、それらは、本当に障壁ですか?
あなたの前に、本当に壁は立っていますか?
僕の前には、まったく壁は無かった。
ただ、霧が濃くて、前が見にくかっただけで、障壁だと思っていたものは、ただの見間違えでした。

心の投影は、あなたの「不安」や「憶測」、「罪悪感」などによって、丸々と太ってゆきます。
逆を言えば、自分自身が、この悪魔を育てていくのです。
一度ハマってしまったら中々脱け出せないこの幻覚。
ハマってしまったら、一度大きく深呼吸をして、自分の孤独な心を抱きしめてあげましょう。
そして、優しく言うのです。
「君は独りじゃない」と。
それで、言い訳を全て吐き出してみる。
最後に、落ち着いた上で、「やめるのか、一歩でも歩いてみるのか」と問う。

僕は、この方法でいつも切り抜けてきました。
頭がスッキリすると、何が大切なのかがハッキリします。
本当に価値のあるもの、それは、自分以外からの「愛」です。
自分ですらこれ程自分を欺こうとしているのに、他人が少しでも自分を思いやってくれたら、
それは、とても重大な事です。
だから、僕は、相手が別に僕に好意がなくても、何か得ることが出来た時、
必ず「ありがとう」と言う事にしています。
まぁ、時々、「え?何が有難うなの?」ってポカンとされる事もありますが。^^;

地球のどこかで誰かが、「自分が嫌いになりそう」な時、
僕の音楽が支えになってくれれば、それ以上の僕の幸せはありません。

最後に、めちゃくちゃ壮大な、おこがましい話をしてしまいました。

今日も皆様に愛と美が訪れていることを願っています。

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