僕は大切なものを失くした事があります。
僕は大切な人を亡くした事があります。
その時は、「もうこれ以上は歩む事をやめてしまいたい」と思ったけれど、
今は、僕を大切だと思ってくれている人のために、一生懸命生きていられます。
夜の飛行機で、遠くに東京の光が見えたとき、
心に染み入る美しい音楽を聴けたとき、
香りだけでもとろけてしまいそうな美味しい食事をしたとき、
凍りつく冬が明けて、春のそよ風を頬で感じたとき、
人から、暖かい愛を受け取ったとき、
僕は泣きます。
その時の涙には2つの意味があります。
一つは、「生きていて良かった。なんて幸せなんだろう。」
もう一つは、「あぁ、あの人にもこの幸せを同じように感じさせたかった。」
ステキな飛行機でのフライトも、美しい最上の音楽も、いつかは終わりがきます。
そう、全ての感動には「終わり」が必要。それは、人生でも同じ事が言えるでしょう。
でも、いつかは終わるけれど、自分で終わらせることは出来ない。
人生だって、自分で終わらせてしまったら美しくない。感動できない。
美と幸せの前では、「終わり」という存在は皆に平等なのです。
僕にも、こんなに大好きな音楽でさえ、ただの騒音に思えるほど苦しい時がありました。
ショパンでさえ、一年間殆ど何も作曲できなかった時期があります。
あの、鉄人と言われるベートーヴェンだって、一度は自殺を決意しました。
でも、彼らは自分では絶対に幕を下ろさなかった。だからこそ、彼らの人生は美しく輝いている。
僕は、後で解ったけれど、死にたいとさえ思った苦しい感情は、ただ「泣きたかった」だけの間違い。
「死にたい」と「泣きたい」は似ているのです。でも、思い切り泣くのは、すごく勇気がいることです。
だけど、自分から幕を下ろしてはいけないのだから、何とか先へと進まねばなりません。
だから、勇気を振り絞って泣いていました。それ以来、本気で泣ける人を尊敬しています。
大切な人を失くしたり、大切な人から裏切られたり、自分の人生から「信用」という二文字が消えても、
歩き続けるのです。半歩だけでもいいから、歩みを止めてはいけない。
それは、貴方のためではありません。それは、あなたを密かに大切に思っている人のためです。
あなたを大切に思ってくれる、まだ逢ってもいない、未来のあの人のためです。
自分にとって本当に大切なものとは何か、それは苦しい時にはわかりません。
半歩でもいいから自力で歩いたら、その先に大切なものは待っています。
辛いときには、苦しい時には自分を思いっきり表現してください。
それが無理なら、大泣きしてください。それが、「半歩」にあたります。
僕は大切なものを失くした事があります。
僕は大切な人を亡くした事があります。
その時は、「もうこれ以上は歩む事をやめてしまいたい」と思ったけれど、
今は、僕を大切だと思ってくれている人のために、幸せに生きています。
今は、もういないあの人のために、「ありがとう」と告げて、泣く事が出来ます。
そして、泣いた後に、幸せそうに、「ありがとう」と小さく微笑む事が出来ます。
今は、失った大切な人に、感謝をする事ができるのです。
人の大切さを教えてくれたから。愛情の美しさを教えてくれたから。
今、僕は、僕の周りにいる全ての人に、こうやって告げることが出来るのだから。
「みんな、生まれてきてくれて、本当にありがとう」