清塚信也 OFFICIAL BLOG: DIARY

DIARY

2007.08.05

ショパンのソナタ第3番

「ある教会にね、とてもステキな振り子時計があったの。
上の時計の部分が「天使」になっていて、その天使が腕を下の方に伸ばしているの。
その、伸ばしている腕の部分が、振り子として右に左に動いているのだけど、
私は、その、振り子の腕が持っているモノに、すごく驚いたわ。」


これは、僕がショパンの故郷ポーランドに勉強に行ったときに、先生がおっしゃった事です。
その時のレッスンでは、ショパンのピアノソナタ3番を持っていきました。
僕は、この曲が大好きで、大好きで、大好きなのに、、、
中々上手く弾けませんでした。
思うようにならない。。。
ただじっと振り返ってくれるのを待っているしかない「片思い」のように、いつも苦しい思いをしてました。
でも、この言葉で、僕の中の全てが解決し、そして、ショパンのソナタ3番も、振り向いてくれました。
僕が、救われた言葉です。

高校2年のある日、この曲を練習していた僕は、悩み苦しんでいた。

迫り来る「コンクール」という名の期限と、周りの期待に応えなきゃというプレッシャー。
神様にも、「この曲をうまく弾かせてください」と何度祈った事かわからない。
でも、それでも、この曲を弾きこなす事は出来なかった。
特に3楽章。ゆっくりとしたテンポの曲。
右手は自由に歌えるように、ノクターンのような美しいメロディが流れている。
でも、左は、その美しさを殺してしまうかのように正確なリズムを刻む。
この、両極端な左右の性格を目の前に、僕はただただパニックに陥るだけだった。
あんまり上手く弾けないものだから、家族や友人にも当たってしまう始末。

段々、自分が孤独になっていくのがわかった。

それでも、きっとこの曲が振り向いてくれるだろうと期待して、頑張った。
でも、いつまでも振り向いてもらえない。
「努力しても、誠意をもって望んでも、しょうがない事があるんだ」
そう痛感した。そして、諦めようと思った。
諦めるなんて、絶対間違ってるんだろうけど、悔しいけど、でも、このままでは辛すぎるから。。

頑張ることをやめた僕は、すごい脱力感に襲われた。
こんなに力が入っていたのか、とすごく驚いた。
その虚しさが妙に心地よくて、まるで麻薬のようだった。
「あぁ、こうして人は嫌な事を忘れていけるんだろうな。」
そう思った。
結局、コンクールには間に合わず、結果は1位だったのだが、ソナタの批評はイマイチだった。
1位だからいいじゃん。
皆からはそう言われたけれど、僕の中で、その言葉は一番痛い言葉だった。
「良いわけないだろ!」
そうどなってしまった事もあった。
何だか、この曲に「呪われてしまった」のではないかとさえ思った。

それからしばらく、僕はもう21歳になっていた。
そんな「呪われた」記憶なんかどこかへ忘れてしまっていて、
この曲を安易に選んで、ポーランドへ持っていってしまった。
しばらく感じていなかった、あの「呪い」が、僕の体のなかにとぐろを巻いているのを再び感じた。
まただ。また弾けない。
そう思った。
・・・と、その時。
先生が僕の演奏を止めた。
そして、ゆっくりとにこやかに喋り出した。

「ある教会にね、とてもステキな振り子時計があったの。
上の時計の部分が「天使」になっていて、その天使が腕を下の方に伸ばしているの。
その、伸ばしている腕の部分が、振り子として右に左に動いているのだけど、
私は、その、振り子の腕が持っているモノに、すごく驚いたわ。」

そこまで言ってから、僕が不思議な顔をしているのに気付いたのか、先生は先を急いで話した。

「天使の腕が持っていたのはね、『不気味な鎌』だったのよ。
それはそれは奇妙だったわ。穏やかな微笑をみせている天使が、鎌を右に左に振っている。
とても怖い描写ね。でも、それは、私たち人間の「時間の意味」そのものなのよ。
1秒1秒、確実に私たちは「死」に向かって歩んでいる。でも、生きるってとても幸せなこと。
天使と鎌のアンビバレンツな美しさは、私たちが生きている事自体の美しさと同じなのよ。
ね、シンヤ、どこかで訊いたことのある言葉でしょ?
まったく違う二つのものが合わさって、そして一つの芸術になる。
そんな曲をアナタは少なくとも1曲知っているハズだわ。」


・・・そうだ。
僕が弾けなかったこの曲。
ショパンのソナタ第3番の3楽章。
何故弾けなかったかというと、
あまりに美し過ぎる右手のメロディに、あまりに冷酷なリズムを刻む左手がいるからだ。
その二つを組み合わせるだけのアイディアや器が僕にはなかった。
でも、その二つの両極端な性格は、常に一体として存在している。
そうだった。
僕が生きていること、それ自体なんだ。
ショパンが、もう「死期」を悟って、全てが終わろうとしている人生の晩年に、
生きる事の素晴らしさ、そして、死ぬ事の儚さ、その二つを組み合わせたんだ。

答えは、「時間」だ。

ファウストのように、永遠の若さと命を手に入れる事に人は憧れる。
でも、それは、憧れているからこそ、美しい。
人が優しくしていられるのも、終わりがあるからだと思う。
僕が愛せるのも、僕が感謝できるのも、僕がピアノを弾けるのも、
全て、儚い終わりがあるってどこかで感じているからだ。
いやだなぁ、愛する人と、永遠のお別れしなくてはならない時が来るんだ。
ピアノが弾けなくなるときが来るんだ。
僕はその時、「ありがとう」って素直に言えるかな。

ポーランドの田舎で、ただ独り、そんな事を考えていたら、涙が自然と溢れてきた。

受け入れよう。
涙の後は、ただそう思った。
今生きている、素晴らしいこの世界から、僕はいつか離脱しなくてはいけない。
僕の中に浮かんで来る、色々な人の笑顔も、いつかは見えなくなる。
でも、それを受け入れよう。
その時がくるまで、そのことに逆らわずに、一生懸命生きよう。


そして、あの曲を弾いてみた。


信じられないくらい、「無欲」だった。
右手のメロディが、美しいのは、左手の儚い刻みがあるから。
そう思って、美しくしてやろう、という欲を取り払った。
そう。
「呪い」とは、「欲」だ。
「こうしてやろう」「ああしてやろう」「ここを美しく聞かせよう」「ここをドラマティックに」
そんな作為的なことが、僕の体の中の自由な表現を束縛していたのだ。


僕は、今でも、孤独な寂しい気分に陥ると、この曲を独り静かに弾いています。
そして、あの時の気持ちを思い出す。
そう、全ては、儚く終わりを向える。
でも、それを受け入れた上で、どれだけ、苦しみ、悲しみ、痛み、怒り、から愛を育てられるか。
そこが大切なんだ。

「もう、何も要らない」

そう思えるほど無欲な状態になったとき、自分という人間は驚くほど進歩している。
でも、「何も要らない」というのは、「動かない、歩かない」というのとは違う。
自分が、ステキな人間になりたい、と強く思ったうえで、もう、「生きる」という以上の幸せは要らない、
そう思えることを言うんだと思う。

これだけ思っているのに振り向いてくれない。
そんな苦しい思いをしている時、本当に振り向いていないのは自分自身です。
自分が自分を背いている。
足元に転がっている幸せにすら気付かない。
「欲」とは、全てをぼかしてしまう、恐ろしい「呪い」です。
本当に苦しい時、本当に辛いとき、自分に正直か、もう一度振り返ってみてくださいね。

2007.08.02

人生の価値

「いえ、一生勉強なので」

この言葉、今まで幾度と無く使ってきた。
コンサートの終わった後、大きな仕事の成功の後、
「これでまた一つ大きくなったね」
そう言われると、むずがゆいような、照れくさいような嬉しい気持ちと共に、一種の「恐怖感」も覚える。
それは、「これで満足しては、もう先へ進めないかもしれない」という危機感だ。
この危機感を覚えると、僕はいつも、「いえ、一生勉強なので」と一言言ってしまう。
もしかしたら、「これで満足するな!」という自分への言い聞かせなのかもしれない。
(でも、賛辞のお言葉、本当は心から飛び上がるくらい嬉しいのですよ)

人の欲求というのは尽きることを知らない。
人の欲求が尽きないメカニズムには、「前回満たされた時の快感との差」が関係しているらしい。
人は、その時満たされた大きさよりも、前回満たされた欲求との差が大きいかどうかで、
快感の度合いも変わって来るというのだ。
つまり、同じ100万円を得るという事でも、ただポンと100万円貰うより、
1円、10円、100円、千円、と段々貰う数値を大きくして、100万円に到達する方が、
より快感を得れる事になる。
これは、良くも悪くもどっちにもとれるメカニズムじゃないかと思う。

もし、100万円を最初からポンと貰ってしまった場合、次に100万円以下を貰っても、
まったく欲求は満たされない事になる。
これは危険だ。
大きな快感を得すぎると、次に求める快感が尋常じゃないものになってくる。
そして、快感を求めさまよう。

しかし、少しのことでも感謝できる人は違う。
1円でも貰って感謝できる人は、10円貰ったときの快感もすごい。
それが積み重なって100万になったとき、それはそれは素晴らしい感動を得る事ができるだろう。

僕の「勉強する」というのも、一種の欲求だ。
「知りたい」という欲求。
だから、尽きる事はないんだ。
前へ進むために、勉強したいという欲求が尽きる事はない。
・・・ん?
これ、ファウストも同じ事を言っていたなぁ。
彼は絶対尽きる事はないといって悪魔に魂を売り渡した。
「もう前進しなくてもいい。」と満足した時点で悪魔に魂を渡すという契約で。
初めは「絶対に尽きる事は無い」と思っていたのに、結局彼は・・・

う~ん、満足する時が来るのかな。
僕が将来、本当に大切な人を1人心から幸せにさせてあげられたときなのかな。
それとも、地球全体を音楽と美と愛が包み込んだ時かな。
現役の選手が引退を怖がるのと同じように、僕も、その日が少し怖いというのが正直。
愛が世界を満たしたとき、僕が愛を語る必要がなくなるのではないか。
そう思ってしまうと怖いなぁ。
うん、願いが叶う事って、欲求が満たされる事って、思った以上に怖い事だ。
そして、それらは人間にとってすごく重大なことなんだな。
でも、みんなの夢が、出来るだけ多く叶うように、今日も僕は祈っています。

ところで「勉強」という言葉、本来は「嫌なことをする」時に使っていたそうです。
だから、勉強をするということは、出来るだけいやな事をするという事。
確かにあたっている。
僕のピアノ人生でも、ひとつ結論付いていることがある。

「迷ったら嫌な方」

です。
「どうしようかな~?」って迷ったら、出来るだけ嫌な方を選ぶ。やりたくない方をやる。
そうすると、必ずいい事が待っている。(不思議だね)^^?
でも、勉強して、いやな事をして得た快感は、少しの事でも大きな達成感を得られる。
小さなことでも、大きく欲求を満たせる。
だから、他人にも優しい。^^v
皆さんも、是非やってみてくださいね。

人生で、より早く、より多くの欲求を満たすのではなく、
ほんの小さなことに、大きな価値をつけるために、嫌なことを進んでする。
努力した後は、どんな小さなことでも、大きな快感となる。
これがサイクルになると、人生がとても面白い。
だから、これからも僕はこういい続けます。

「いえ、一生勉強ですから!」^^v

2007.08.01

シンプルなノクターン

幼い頃から、人はたくさんの痛みを背負って歩いている。
時の風に煽られながら、それでも、一生懸命に人生と言う道を歩き続けている。
途中で離脱してしまう人、まだ歩き続けたかったのに力尽きる人、色んな人生を横目に、
自分も必死で生きる。
満員電車に押し込められ、見ず知らずの気まずさから、必死で目線が合わないようにする。
夏の熱い日なのに、冷房が中々効いて来ない車中、そんな中でも携帯電話で話し出す誰か。
ちょっとしたことだって、耐えられる人と、そうじゃない人がいるんだ。
自分にはどうでもいい事を、死のうかどうかまで考え込んでしまう人だっているんだ。
何が幸せかって、本当に難しい。

みんな、苦しいんだ。
生きるって、本当に大変。

でも、その場で不満をぶちまけたら、負け。
「みんな苦しいんだよ」
と言われて終了。

だから、必死で耐える。
現実逃避しながらも、必死で乗り越える。

僕は、そんな光景を見て、心からエールを送りたくなる。
僕だって苦しいこともあるけど、僕は、たくさんの人に愛されている。
だから、僕は、僕自身を愛してあげられる。
みんなのおかげです。
だから、その優しさや愛を、今度は誰かに渡さなきゃいけない。
それを、僕だけで独り占めしてはいけない。
そこに、本当の幸せは、ない。

色んな言葉で飾り付けて、色んな表現で人を力づけてあげたい。
でも、言葉で言えば言うほど、伝わらなくなる。
言えば言うほど、解り辛くなる。
気持ちだけが空回りして、何を言ってるか、自分でも解らなくなる。


そう・・・。
全ての芸術が「シンプル」であるように、優しい気持ちだって、本当に伝えたいと思ったら、

「シンプル」なんだ。

一言でいい。
「愛してる」「大好き」「ありがとう」「ごめんね」etc...
どんな言葉だって、心が篭っていれば、何にも代えられない価値の高い言葉になる。
気持ちを伝えるってそういう事だと思った。
くどくどと説明をするのは、自己満足じゃないか。
一言でも、二言でも、もしかしたら、微笑みかけるだけでもいいかもしれない。
掛け値の無い、心から湧き出て来る気持ちを込めていれば。

僕の音楽でも、それを試そうと思う。

いつも支えてくれている皆様に、そして、未来、僕を支えてくれているアナタに。
それ以外の、苦しい思いを抱いているアナタに、不正な目に遭っているアナタに。
心を込めて、ピアノを弾いてみようと思う。
「感謝」と「愛」を込めて、作曲してみようと思う。
それは、凄くシンプルな和声とメロディだけど、
もしかしたら、誰でも作曲できちゃうくらいシンプルかもしれないけれど、
でも、誰にもマネ出来ないような心の篭った演奏をする事で価値が出る曲。

そんなノクターン(夜想曲)を作ってみようと思います。

初めに聴いてくれるのは、誰なのかな。

2007.07.28

たけしの誰でもピカソ

昨日、収録でした。
あこがれのたけしさんを目の前に、少したじろいでしまいました。笑
久しぶりに「緊張」したかな。^^;
でも、緊張ってすごく気持ち良い。
いや、別にMだとかそういうのじゃなくて。
僕にとって「緊張」という感覚には、幼い頃からの色々な思い出が詰まっているから、
また、そういう懐かしい感覚を思い出すことにも繋がるし、適度の緊張は大好きです。
でも、昨日は結構緊張したかな。

「アート界の王子たち」という、自分で言うにはかな~り恥ずかしい内容の収録でしたが、
僕の他にも、「大衆演劇の流し目王子」早乙女太一(以下サオティ)さんや、
「アメリカで大活躍の逆輸入ダンス王子」TAKAHIRO(以下ヒロピー)さんと共演できました。
番組の中では僕を入れたこの3人のコラボ企画もあり、刺激的な内容でしたヨ。^^
当日まで合わせ練習が出来ずに、ぶっつけ本番でしたが、中々形になっていたと思うし、
これから、また新たなる表現の分野を発掘できたかなと思いました。

でも、それにしてもTVでの演奏、もう少し勉強しなきゃな。
リハの少なさ、音響の悪さ、いつもとはあまりにも違う環境で、まだまだ力を発揮しきれていません。
「ハイ!本番5秒前、4、3、2、・・・」とカウントされると、弾く前のテンポがわからなくなります。
演奏時間の短さも、自分の気持ちを持っていくには短すぎます。
でも、自分のテンポをしっかり持っていれば、そして、モチベーションを下げなければ、
絶対大丈夫なはずです。
僕は、こういう「条件」の中でどれだけ色々な事が出来るかを突き詰めていくのが大好きです。
これから、そっちも研究していかなきゃな~。^^

楽屋で、ついにあこがれのたけしさんと絡める時が来る直前、結構僕は緊張していました。
そんな中、僕の事務所の社長である割田さんが、こんな事を話してくれました。

「私は昔から、CDでもコンサートでも、創り上げてる最中が好きなんですよね。
本番なんて、無我夢中だし、あんまり覚えてもいない。
でも、あ~がんばったな~って仕事を振り返る時、いつも思い出している事は、
努力をしてきた過程のことなんですよね~」

・・・感動した。
僕が緊張しているのを知ってか知らずかは別として、その言葉に強く共感しました。
そう、ピアニストも、本番に向ける姿勢できまる。
むしろ、本番というのは氷山の一角的なものであって、勝負は努力する過程で決まっている。
本番に向かう時には、もう既に大半が決まっているのだ。
僕は、この頃、愛するということに執着し、それを探索してきた。
ケンちゃんからは、「許す」という事の美しさも学んだ。
そういう自分を少し信じてあげようかな、と思いました。
だから、緊張していても、それは「心地良い」程度のものでした。
うん、自分を信じてあげられるか、自分を愛してあげられるか、それが大切なんだな。
たくさん勉強になった収録でした。^^v

ところで、番組の中で、ケンちゃんからコメントが届いていました。
まったく知らなかった僕は、映像を観る前から目が点に(・・)
収録の前日も一緒にいたのに、まったく言わないとは、アヤツもワルよのう。
でも、内容がまたびっくり。色んな意味でびっくり。笑
その内容は、是非10月オンエア予定の番組を観て下さい。
でも、アイツ、皆が観てる、しかも「王子様特集」の内容の番組のコメントで、、、

        「王子ねぇ・・・(フフフ)、でも、しんちゃん、全然モテないんですよ。」

って言いやがって。
もう、殴りこみだな。笑
ウソウソ、嬉しかったです、ケンちゃんありがとう!!
でも、、、
                  
                 お前もモテないだろうが!!!!!!
 
長い一日は終わりました。
また、TVやコンサート、作曲など、音楽家としての努力を怠らずに進んでいこうと再認できた、
そんな一日でした。

サオティ、ヒロピー、本当にコラボ楽しかったですね!
また、近々、ね(^w^)

サオティはたけしさんの映画「座頭市」や「TAKESHI’s」などに出演しています。
その他、銀座を初め、日本全国を渡り歩き、ハワイ公演までも大成功させた芸術家です。

タカピーは、マイケルジャクソンやスティービーワンダーも達成できなかった「9連覇」を、
アメリカの「アポロ」という世界的エンターテイメンとの大会で達成しました。
近々開催される「世界陸上」のオープニングのダンスの振り付けなども担当しています。

これから、「王子仲間」にも注目ですよ!!
僕もサオティとタカピーと、また一緒にやる予定ですので、よろしくお願いします!!

さあて、今日は新潟でいっちょステキな音楽を奏でてきますか!^^

僕は、全ての方々に、「生まれてきてくれてありがとう」と感謝しています。

2007.07.24

最近のまとめ^^v

長野でのヒオキ楽器さんの対応に、すごく感動いたしました。
日置電機という兄弟分の会社でのコンサートと2日続けてだったのですが、
どちらの対応も、本当に丁寧で、そして心がこもっていて感動しました。
2日合わせて1500人以上というお客様と出会えたことも、また感動いたしました。
おかげさまで、長野の善光寺や白馬村を1人楽しく探索することもでき、すごくリフレッシュできました。

さて、徳島や岐阜でのとても若々しいノリの良いお客様とお逢いできて幸せな気持ちを持ちつつ、
今日は香川に寄ってから帰ってきました。
香川の高松では、山田屋さんというおいしいおいしいおいしいおいしいうどんを食べる事ができ、
その後、八栗寺や寅さんのロケ地にも選ばれた御茶屋さんで、これまたすごkkkkkkkkっくおいしい
よもぎもちを食べました。
東京や長野と違って、もう夏真っ只中という感じでしたが、
僕が大好きなゲームの一つである「ぼくのなつやすみ」の中の風景がそのままってな感じで、
また一つ夢がかなってしまいました。
最近ぼく、ゲームオタクっぽくなってきましたね。^^;
いや、ウィニングイレブンというサッカーゲームでは殆ど負け知らずなので、
昔から皆にオタクと連呼されていました。
金聖響さんとも、何度も対戦しましたが、もちろん結果は・・・w
怒られそうなんでやめます。笑
そういえば、ケミストリーのお2人とも対戦しようという約束をしたままだ。
ん~、彼らは手強そうです。

まぁ、そんな中、明日はメタルギアソリッドのイベントが東京ミッドタウンであります。
いつもと違って「ジャズ」寄りなコンサートだと思いますが、がんばりまっす!^^
一般公開は残念ながらなしということで、またいつか皆様にも生でお届けできればと思います。

遠征続きだったので、始まる前はどうなることと思いましたが、終わってみればとても充実していました
コンサートとは、それを創り上げるスタッフと、お客様と、僕のトライアングルで出来ているもので、
その3つのうちどれか一つでも欠けてしまったら、もう良いコンサートにはならないでしょう。
それを、このごろ痛感いたします。

芸能人も、クラシックアーティストも、昔から「私が一番エライ」と思い込みガチですが、
とんでもない。
そんな古臭い時代はもうとっくに過ぎてます。
確かに、「顔」や「看板」となるべき存在ですが、僕らは「偉そうにする」ための存在ではない。
むしろ、宣伝したり、雑用したり、ステージを調性したりしている裏方さんや、
じっと何時間も身動きせずに舞台を観てくれているお客様の方が、よっぽど大変だし、えらいです。
だから、アーティストが、一番腰の低い存在であるべきなのです。

そんなことを、日々思っております。
僕を支えてくれている方々、本当にありがとうございます。
この事務所(レイヴンジャムファクトリー)の方々にも、心から御礼を。
そして何よりも、このHPを今観てくれているアナタに、心から愛と感謝を。

有難うございます。

さ、明日もいっちょピアノで愛を奏でてきますか。^^
世界が愛と美で溢れる事を、僕は強く願っています。
そして、強く信じています。

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